年老いた魔女とあの頃のままの少女魔王
今はいつか昔になるもの、この瞬間にも時間は過ぎていきやがて気がつくと「今」は過去になる。
けれども彼女はその罪ゆえに、時の流れから切り離されていた。彼女にあるのは眠りとも死でもない停止された夢のようなものだけ。
その少女はかつて「魔王」と呼ばれ恐れられていた存在。
1
魔女は深い、深い森の奥のさらに結界の張られた小さな家の中に一人で暮らしていた。訪れる者はほとんどおらず、定期的に食料や物資などを運びに来る長年の付き合いのうちに信頼を勝ち得た口の固い商売人たちに仕事関連の人間、森に迷いこんだ者たちそれにかつて魔王を封じるのに手を貸した友人たちがたまに来る程度だった。仕事関連にしてもほとんどは魔術転移装置と科学と魔術の発達によって作り上げられた通信装置で顔を合わせなくとも仕事が進められたし、何よりも魔王を封じた際に手にした褒美とそれまでの蓄えによって無理して仕事を引き受ける必要がなかった。今はただそれまでの付き合いのある人々の依頼にこたえることと、自らの研究の一環として仕事を引き受けるくらいだった。
魔女はべつに人嫌いではなくただ単に人との付き合いが苦手なだけだったのに、いつも不機嫌そうな表情とぶっきらぼうな態度などによって誤解が誤解を生んでいた。魔女も特にそれを否定(それどころかそれを利用した)することもなかったので、結果的に人嫌いであると広まってしまっていた。
彼女は孤独を好んでいたわけでもないし、また人との親密な付き合いをのぞんでいたわけではなかった。求めていたのは信頼できる人間との付き合いとそれに…誰か心を許せるかけがえのない存在だった。その存在はかつて一度は手に届きかけたのだけど、それを壊したのもまた魔女である自分だった。それがある意味その後の生き方を定めてしまったともいえた。
2
その世界はかつて一人の少女、アリス・トゥルーリーによって暗黒に満ちていた。けれどもその少女はべつに悪意があったわけではなく、ただ単に邪悪に生まれたにすぎなかった。罪の意識もなければまた特別に誰かを傷つけたいともましてや世界を支配したいとも思っていなかった。ただ単に自分の色に染めたいと無邪気に思っていただけだった。
けれどもその望みは数え切れないほどの血と死者を生み出すことに他ならなかった…そして少女には善悪の区別もなく人を殺すこともごくありふれた日常にすぎなかった。なぜそうなったのかは誰にもわからなかったし、本人もまたそれはわからなかった。ただいえるのはアリスにはこの世とは思えないほどの魔力が宿り、その使い方を誤ったのだ。
闇があれば光が生まれるのは必然ともいえるもので、少女に立ち向かおうとする者も数かぎりなくいた…そのほとんどはなす術もなく跡形もなく消え去るのみだったのだが、唯一ひとつの集団だけは数え切れないほどの苦難を乗り越えて、何とか封じこめることに成功したのである。殺さなかったのは道徳的な理由ではなく、封じることが精一杯だったのだ。それだけ強力な魔力の持ち主だったのである。そもそも封印できたこと自体奇跡だった。
そのときの討伐隊は勇者アレック・ウィルヴァー、魔術医療師シリル・セイラ、剣士フォード・パターソン、格闘家バレン・コフィーそして魔女だった…魔女は呪術の関係で自らの名前を明かすのを拒みつづけ、すべてが終わったあとに仲間そのときには信頼できる友になっていた彼らにだけ本当の名前を告げた。そして彼らは彼女の信頼に応え誰一人も魔女の本当の名を他人に漏らす者はいなかった。だからこそ彼女は「魔女」としか呼ばれなかった。
魔王を倒した後の世界はすべてが一転し、少しずつでありながらも着実に復興をしていた。討伐隊の面々もそれぞれの能力で人々に、街に、村にへと力を尽くした。
そして時は流れも少年・少女だった彼らも青年になり、気がつけば中年になっていた。勇者はその功績と生真面目な性格によって子どもを亡くした王の養子となり、やがてそばでずっと支えつづけていたシリルと結婚し手探りで色々な壁にぶつかりながらもよき王子、今では王でありつづけようと努力をしていた。人々はそんな彼の人柄に触れて少しでも役に立ちたいと考えた。そしてそれが大きな流れとなり街は復興をとげ様々な技術の発展へとつながっていた。そしてそれは勇者である彼が持つ最大の強みでもあった。彼がいたからこそ様々な人間が出会いそして力を合わせることができたのである。それこそ力を貸す気がなかった魔女が討伐隊に参加したのも彼の人柄に人間としての魅力を感じたからだった。
討伐隊の面々のなかで魔女は二番目に年上の人間だった(一番の年上はバレンだった)ことと、いつも冷静な性格から彼らの悩みを聞いたり相談に乗ったりとまさに姉という存在になっていた。それはまた魔女も同じでバレンは考えの無い兄、他のものは心配な弟、妹と家族のように思っていた…そしてそれは他の者も同じだった。
だからこそ定期的な彼らからの手紙や実際に彼らが訪ねてくると表情には浮かばないものの、喜びは行動にあふれ出るのだった。
3
その日の朝、いつものように手紙を確認していると窓をコツコツと叩く音がした。窓のほうに目を向けるとそこにはアレック専用の特殊な伝書鳥がいた。すぐに窓を開けてその脚にくくりつけられた筒から手紙を取り出すと、素早く目を通した。いつものアレックは丁寧な筆跡で堅苦しい文章だったのだが、その手紙は一目で慌てて書いたものであることがわかった。
緊急事態が発生した。
魔王の封印がある狂った集団によって破られた。彼らは危険な集団として目を注意していたのだが、まさかそんな愚考を犯すとは予想もしていなかった。いつ封印が破られたのかは定かではない…おそらくは魔王が細工をしていて、封印が解かれたことを隠していた。少なくとも一ヶ月は経っていないと魔術師たちは判断しているものの、それだけあれば魔王が準備をするには充分だ。この手紙はその報告があってすぐに書いたものだが、同時に応援を君の元へ送った。その場を離れたくはないと思うのだが、今回の事態…最悪の場合僕らに復讐をすることも考えて安全のために国に来てほしいのだ。すでに彼女は自分の封印を解いた者たちを気まぐれに皆殺しにしている…
さすがに僕らの歳になると再び魔王に立ち向かうのは難しいとは思うのだが、最悪の場合またあなたの力を借りたい…
詳しいことはまた再会したときに。
レストアリア王国国王アレック・レストアリア
その文章はかなり乱れていていてそれはアレックには似つかわしくはなかった…それだけ彼が慌てている証拠だった。
そして手紙を読み終わった瞬間、襲撃は起こった。
4
魔女と名乗るだけあって彼女が得意とするものは魔術を使った戦いだったのだけど、大掛かりな魔術を発動させるためにはそれなりの道具と準備が必要だった。突然の襲撃には簡単な魔術しか使えなかった…けれども、魔王討伐の中でバレンの意見を受け入れてそれなりの格闘術を身に着けていた。
素早く襲撃者の人数と彼らがもはや命がなくただ操られているだけにすぎないことを確認すると動きだした…肘や膝で相手の骨を砕き、手近にある椅子などで殴り飛ばし果てには飛び跳ねたりして着実に相手を倒していった…やがて最後の一人を倒したときには老体は悲鳴をあげて、思わず膝をつくと荒い息を少しでも整えようと努力した…
そして耳に届いたのは懐かしい笑い声だった。
そこには封印された当時のままのアリスがいた。
5
「淑女としてはしたないわよ、ねえ」
「わたしを殺そうとしている人間に淑女である部分を見せる必要があるかしら?」
「ないわよね」
そこでアリスはくすくすと笑った。
「懐かしいわね。またあなたに会えて嬉しいわ。あなたもそうでしょ、わたしに会えて」
「いいえ、嬉しくないわ。どちらかといえば二度と会いたくはなかったわ」
「本当にそうかしら?」
アリスは黒い瞳でじっと魔女の翡翠色の瞳を見つめた…先に目をそらしたのは魔女だった。
「やっぱり、今もわたしのことを想ってくれているのね」
「…なぜわたしがあなたのことを想っていると思うの?わたしは女よ、それにこれまでに男性経験がないとでも思っているの?」
魔女の表情も口調も冷え冷えとしたものだった。けれども魔王は構わず近づくと、彼女の胸に耳を当てた。そしてにっこりと笑みを浮かべた。
「嘘ね…だって鼓動が早くなっているもの。歳を重ねたからって鼓動の動きが早くなることはないわよね?」
そして魔女の背中に手を回し、きつく抱きしめた。
「ねえ、わたしが眠っている間どんな夢を見ていたかわかる?」
「わかりたくもないわ…それにそうなったのは自業自得じゃない」
「わたしはただ、自分が望むようにしただけよ、それがいけないことなの?」
「人を殺したのが悪いことでないのなら、何が悪というの」
「それがいけないことなの?」
「普通は悪いことよ」
「誰がそれを決めたの?」
「人間の良心があればそれはわかることよ。それがわからないあなたはやっぱり心が壊れているのよ」
「でも、それはわたしだけじゃないわよね…だからこそあなたはこんな森の奥に住んでいるだわ。誰もが持っている闇を見たくないから。でも残念ね、人間は誰にだって闇があるの、そうあなたにもね」
「でも、わたしは人を殺さないわ…そうね、少なくとも自分に危害を与えようとする人間にはね。それこそあなたは自分を封印から解いた人間を皆殺しにした恩知らずじゃない。この彼らもその一員なんでしょ?」
「ええ、そうよ。でもね勘違いしないで。それはあなたのためにしたことよ」
「わたしのため?」
「だって、あなたは彼らを憎むでしょ。だからあなたの代わりに殺したの」
「なぜ」
「なぜって、あなたに嫌われたくないから…わたしがずっと夢に見ていたのはあなたのことよ…わかる?生きてもいないし死んでもいない空白の中で夢を見る気持ちが?」
「わたしはまだ生きているからわからないわ」
「わからなくていいのよ…少なくともわたしはあなたにだけはあの気持ちを味合わせたくないもの…だからお願いがあるの」
「何をあなたが望むというの?魔王」
「わたしはもう二度とあなたと離れたくない…だから魔王ではなくアリスでいつづけるわ。だからお願いわたしとともにいて」
「何をいっているの?わたしは女よ…それにねわたしとあなたでは生きてきた時間が違うの。わたしは歳をとったわ、けれどもあなたはあの頃のままよ」
「時間なんて関係ないの…ただあなたさえいてくれれば」
そしてじっと瞳を見つめた。翡翠の瞳の中に黒い瞳が、そしてその中にまた翡翠色の瞳が合わせ鏡のように奥までつづいていた。
6
王が送った応援部隊がたどり着いたのはそれから少し立ってからだった。
魔女の住む小さな家はきれいで、襲撃の後は一切無かったし、部屋も綺麗に片づいていた。そして魔女はどこにもいなかった。もちろん魔王も。
ただ部屋の中には王国で平和の象徴となっている白い鳩が二羽いるだけだった。
やがてその二羽は飛び立つと開いた扉から青空に向って旅立った。ただ真っ直ぐに外に向かって。
本作はアイディアメモを元に一部変更してまとめたものです。
当初は魔女は男でしたが、色々な考えと女性にすることによって印象的になると考えて最終的に今回のような物語になりました。
全体的な構成や特に終盤の会話のやり取りは色々と不満があるのですが、今の自分ではこれが精一杯でした。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。