身に覚えのないひとの話。どこから続くか、この残思
臨死、ではなかったように思う。だが、それを確かめるすべがないことは承知している。しかし、己の生死がこの思いを享受するために関係がある様に思えなく、また、自分が確実に生死の二分の世界のどちらかに在している感覚はひそかにあった。
目の前にいるのは女であった。それも今まで見たこともないほどの美しい女である。まるで珠のそれであると同時に高嶺に咲く花のような畏ろしくとも気品高きとも憶わせる女であった。
自らの衝動を抑えるためにそれに手をかけた。躊躇いなどしなかった。
この女を見ていると不愉快になることがただあった。この人間染みていない女を見ていると自らが人間であるのだと意識下、無自覚下いずれにおいても自覚させられる。それが不愉快でならなかった。
人はやはり動物であるのだから欲が必ず存在する。しかし、他動物にはない理性も存在する。つまり、ひとは動物面での「ヒト」、精神面での「人」の両面を持ち合わせている。
嫌悪する対象の一つに動物である「ヒト」がある。別段、欲が悪いというわけではない。なにせ欲はすべての原動力であるからだ。嫌悪する対象としているのは欲にまみれた「ヒト」である。
欲にまみれた「ヒト」というのは、目先であれ、将来的であれ「ひと」としての動物的要素しか持ち合わせていない。精神的要素など皆無である。これでは家畜同前、己の欲のために蹂躙し喰らいつくだけの数多の動物と同じである。
私は折角獲得した「ひと」としての特権を惜しまず手放す輩を己と同じ「人」とは思いたくはない。それならばまだ猿と同じにされた方がましである。それがどうした。この女を見ていると、下賤な輩「ヒト」と我ら「人」が「ひと」として纏められ、尚且つこの女との境界線を引いてしまっているではないか。それが堪らなく憎らしかった。
この女を消したらこの苦痛を苛まずに済むのだろうか。
そんなことはないとは思った。自ら境界線を引いてしまったことを認識してしまった以上、この結果が覆ることはないとも。
男はその女を無感情に手をかけたように感じた。それも予期せずに邪魔な岩をそこらへんの川に落とした際にたまたま偶然に魚を潰してしまったが如くの気軽さ、その事実への全くの思慮の無さであった。つまり、悦び、後悔、絶望といったような感情は殺したのではなく、そもそも持ち合わせていなかったのだとそう思わせるような思いであった。




