或る夫婦の物語
大陸一の軍事力を誇るがーディア帝国皇帝の唯一の妻は、敗戦国の王女だった。
口さがない者達は、フォマルハウトの妻、すなわち現皇后を人質呼ばわりもしたが、少なくとも皇帝自身はそうは思っていなかった。
妻の故国は敗戦国とは言え、大陸一歴史ある魔法国家の王族で、おまけに現女王と二人最後の生き残りでもある。
妻の、ティアラティスの両親を始め一族郎党を死に追いやったのは他ならぬ自分だ。魔法国家フェリシアの女王は震える声で、だがはっきりと言った。
「妹を、お頼み申します。」
プライドの高い、誇り高いフェリシアの若き女王はフォマルハウトに深々と頭を垂れて、懇願した。妹の命だけは助けて欲しいと。自分は生涯伴侶を得ず、子も為さない。だが、妹だけは見逃して欲しい。あれは幼く、魔力も持たない。生かしておいても脅威にはならない。
「ガーディアに、連れて行くことになるが、構わぬか。」
低い声でフォマルハウトが問えば、東方の魔女と呼ばれ恐れられた女は、雷に打たれたように身体を震わせた。
「そなたの妹姫は、私の妻として迎えよう。決して不自由な思いはさせぬゆえ、安心なされよ。」
女王はフォマルハウトの真摯な眼差しに、小さく吐息をついた。
「感謝いたします、皇帝陛下。」
ティアラティスはフォマルハウトより8つ年齢下のまだうら若い娘だった。
「どうぞ良しなに。」
言葉尻こそ丁寧だが、彼女が明らかに自分を拒否していることは雰囲気で分かった。
フォマルハウトは即位してすぐに内乱を平定し、そのまま東方との戦争へ突入した。そしてその戦争もつい先日終結し、やっと戦場を駆け巡る日々が終わったところだ。
伴侶はいつか迎えねばならない。自分は今や大陸随一の軍事大国ガーディアを統べる君主だ。伴侶選びも慎重にならざるを得ない。
必要とあれば、妃を複数召し抱えることも皇帝とあれば当たり前だ。だが、フォマルハウトはティアラティス以外を妻に迎えるつもりは無かった。
戦場で共に過ごした軍人達は大半が貴族ではない一般庶民達だった。彼らは勇猛果敢に皇帝を守り、そして敵を攻めた。親しくなった兵士達には皆、大事な存在があった。妻であったり子であったり、恋人であったり。彼らは幸せそうに想う人について語った。伴侶は戦う者に力を与えるのだとその時フォマルハウトは確信したのだ。
だからフォマルハウトは妻と言う存在を政治の駒として考えていなかった。ティアラティスを妃に迎えたのも、半分は女王に頼まれた事情もあるが、彼女と生きていこうと決めたのはフォマルハウト自身の意思だ。
それでもテティスはなかなかフォマルハウトに心を開かないままだった。ガーディアに渡っても、テティスは専ら後宮に引きこもり、滅多に顔すら見せなかった。フォマルハウトはそんな妻の態度を寂しく思ったが、自分が彼女の家族を、大切なものを奪ったのだから無理もないことだと、どこか諦めた気持ちで過ごしていた。
しかし、一縷の望みも持っていた。辛抱強く待っていれば、妻もいずれは絆されてくれるのではないかと。無理強いは出来ない、ただ「家族」が欲しい、それだけの気持ちでフォマルハウトは妻を思い続けてきた。
「今、何と申した。」
結婚して5年、20歳になったティアラティスは大陸一の美女とも名高い女神のような美貌を誇るガーディア帝国皇后へと成長した。
ほとんど顔を合わせない夫婦だが、フォマルハウトはほぼ毎晩、テティスが寝静まった後、古参の侍女に手引きされ妻の寝顔を眺めに後宮を訪れていたため、テティスの美貌は見慣れたものだった。自分と距離を置きたがる妻が、珍しく面会を求めてきたことが嬉しく、フォマルハウトは執務を中断し、妻を書斎に迎え入れた。
「ご側室をお迎えあそばせ、と申し上げました。」
「私は先日、妃はそなた以外迎えるつもりは無いと言ったはずだが。聞いていないのか、ティアラティスよ。」
美しい妻はにっこりと笑って頷いた。
「聞いておりますわ、陛下。ですからこうして嘆願に参りましたの。皇室には世継ぎが必要でしょう。わたくしは陛下の御子を産むつもりはございませぬゆえに、他に世継ぎをお産みになられる女性をお迎え下さいまし。」
秘書官であるテオドール・アークライト公爵は皇后の柔らかな春の日差しのような笑顔のまま紡ぎだされる辛辣な台詞に全身が凍り付く思いだった。いくらフォマルハウトの寵愛が深いとは言え、この発言は問題だ。
「ティアラティス様、陛下の御前にてそのような暴言、許されませぬぞ。」
テオドールの唸るような声音にも顔色一つ変えず、テティスは答えた。
「ではわたくしを廃后なさりませ。わたくしはいつ何時でも喜んで降りますわ。」
フォマルハウトは無表情のままだった。少なくとも五年、彼が妻以外の女に寵愛を与えたことは無い。表に出すことは無かったとしても、フォマルハウトがガーディア帝国の誰よりもテティスを愛していることを知っているテオドールは親友の心中を思うと苦々しい感情で胸がいっぱいになった。
「ティアラティスよ」
「はい、陛下。」
「何故、私の子を産みたくないのか答えてはくれぬか。」
皇帝の発言にテオドールとテティスに付き従ってきた侍女は凍り付いた。
フォマルハウトとテティスは未だ正式な夫婦ではない。はっきり言ってしまうと、子を産みたくない云々の前に、子を作る行為事態が二人の間では行われていない。それは皇帝と皇后の側に仕える者達にとって、目下最大の問題だった。
「言えば側室を迎えて下さいますか。」
「断言は出来ぬ。だが、考えても良い。」
テティスはフォマルハウの言葉に、もじもじとうつむいたまま何やら口籠もっていたが、やがて小声ながらもはっきり言った。
「子を産むのは非常に痛く、辛いものだと聞きました。わたくしは痛いことは嫌でございます。」
テオドールは許されるならハリセンかハンマーでこの娘の後頭部をどついてやりたい、と心底思った。
「ティアラティスよ、ではそなたは子供は嫌いなのか?」
「いいえ。大好きです。」
テティスは皇后として慈善事業を起こしている。主に戦災孤児を支援する事業や、孤児院への援助は彼女が進んで参加する数少ない公務なのだ。
「ご側室を迎えて頂いて、陛下の子が生まれたら、わたくしにも抱かせていただこうと思ったのです。」
「ティアラティスよ、孤児院の子供達の中からそなたの目がねに適う者は居なかったのか。そなたの選ぶ者ならば、私は子として迎えよう。だから、そなた以外の妃は迎えぬ。分かってくれ。」
「それはダメです!」
テオドールが叫ぶ前に、憤慨したようにテティスが叫んだ。
「だって、わたくし、陛下の子供が抱きたいんですもの!」
なんだ、これ。
テオドールはずきずき痛みだした頭を片手で押さえ、さっさと執務机についた。相手にするだけ、時間の無駄だと判断した彼の行動は早かった。テティス側の侍女も右に同じ、だ。数分前までの緊迫した空気は霧散してしまったかのように執務室の中は緩んだ空気に包まれている。
だが、皇帝は秘書官の態度に眉をひそめた。
「テオドール、妃の話はまだ終わっていない。」
「勝手にして下さいよ。皇后様は陛下の子供が欲しいけど、痛いから産みたくないって話でしょうが。」
「そ、そうですわ。」
「産む時に無痛分娩なり麻酔なりすりゃ良いじゃないですか?それなら万事解決でしょ。」
最早言葉遣いもおざなりにテオドールは言い放ち、さっさと書類に目を通し始めた。
テティスは目を丸くした。フォマルハウトはやはり無表情のまま、テティスに尋ねた。若干声色に不安そうな響きを持ってはいたが。
「…ティアラティスよ、ガーディアの医学ならば産む時の痛みは取り除けるそうだ。それでも私の子を産むのは嫌か?」
テティスは大きく首を振った。そして、両手を前に差し出すと、執務用の椅子に座っていたフォマルハウトに飛び付いた。
「痛くなければ大丈夫ですわ!陛下の子供、わたくし産みたいです!!」
アークライト公爵テオドールは後々語る。その時のフォマルハウトの表情は、それはもうでれでれしたもので、目撃した自分と皇后付きの侍女は、とんでもないものを見てしまったトラウマから、ショックを分かち合える唯一の仲間として度々会って語り合ったものだったと。それを機に彼女との距離は短期間で縮まり、フラフラと遊んでばかり居て、結婚の兆しが一切無いテオドールを心配していた両親が動き、あっと言う間に彼女と結婚式を挙げていたという愚痴まで付いてくるのはガーディア帝国城内では有名な話だ。
「でもテオドール様って、奥様の為に毎日花を持って帰っていらっしゃるものね。」
「なんだかんだで愛妻家よね。」
など噂され、くしゃみを堪える秘書官を尻目に、積年の希望がかなった皇帝は、今日も最愛の妻と子供たちのために執務に勤しむのだった。
初投稿でした・・・!!!
自己満足の塊みたいな作品ですが、読んでくださってありがとうございました。
スピンオフとか書けたらいいな、と思います。




