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森川明子と琥珀の元カレ


 白い扉の隣には「森川明子」の名前が貼られていた。

 しっかりとした個室。小さい劇場で、一人で一部屋を使えるのはかなり上の地位にいるということだ。

 眼の前を歩いていく黒いTシャツの背中は舞台終わりから時間が経っていないためか、汗が滲んで色が変わっていた。

 演出家だと言うのに、勤勉なことだとザクロは思う。

 迷惑な時間帯。千秋楽終わりなんて、一番バタバタしているとき。だが、こういう隙間でなければ捕まえることが難しかった。


「森川さん、お客さんです」

「お客さん? 誰」


 コンコンとノックした後、中から声がすぐに帰ってくる。

 森川明子の声だとすぐにわかった。唐突な訪問者に機嫌が悪そうだ。

 演出家が振り返り、ザクロを見た。その顔には苦笑が浮かんでいる。


「こういうことは、あまりさせないでくださいよ」

「すみません。頼れる人が他にいなかったので」


 あまり使うことのない愛想笑いを作っておく。

 ザクロが明子に会うために使った方法はこうだ。

 まず、この舞台の演出家のことを調べた。その後、その演出家の作品に出演していた、なるべく偉い立場の女優に連絡を取る。


(デートよりは、仕事のうちになったからいいけど)


 ザクロは内心、苦いものを飲み込んだ。

 森川明子に会いたいから、演出家に頼んでくれないか。

 その代償に頼まれた時に1日ボディガードをすることになった。


「失礼します」


 明子の楽屋の扉を開けたまま、演出家はザクロを置いてどこかに行った。

 するりと体を滑り込ませるように中に入る。


「初めまして、こんな時にすみません。琥珀の付き人をしている西園寺と申します」


 頭を下げるザクロに、錐のような視線が突き刺さる。


「琥珀の付き人?」


 ガタンと乱暴に椅子に座る音が聞こえた。

 そっと野生動物の様子を観察するようにゆっくりと静かに頭を上げる。

 想像通り椅子の上で腕と足を組んだ明子がいた。

 臨戦態勢。

 その言葉がぴったりだ。


「それで、琥珀の付き人が何の用?」


 最高潮に警戒されている。

 琥珀からの話、キヨの話、永田と城田からの話。

 そのどれをとっても、こういう反応になるのはしょうがない気がしたし、ザクロの目的は会えた時点で達成されているようなものだった。


「ライブのときのことについて、お話を聞かせてくださいますか?」

「嫌だと言ったら?」


 取り付く島もない。

 苦笑しつつ、ザクロは少しだけ明子との距離を詰めた。

 明子は身動ぎしない。近づくザクロを睨みつけるように見続けている。


「現在、我が事務所には多数の脅迫状が届いています」

「スキャンダルばっかり起こすからよ」


 驚いた様子はなくため息をこぼす。

 そこに嫌悪はない。純粋な怒りだけ。

 ここまであけすけな女優を久しぶりに見た気がする。

 ザクロはさらに火に油を注ぐようなことを告げた。


「内容が舞村ひなたに関係しているとしても?」

「なんで、あの子のことが琥珀に関係するのかしら」


 明子の瞳に力が入る。漫画であれば炎が燃え上がっていただろう。

 どうやら明子がひなたと仲が良かったのも本当のことらしい。

 ザクロはわざとらしく頭をかしげて、唇に笑みを載せた。


「あなたが一番その理由をご存知なのでは?」


 視線と視線がぶつかる。

 お互い押し合いをしたまま、明子が口を開く。


「知らないし、知っていたとしても、琥珀の付き人に教える気はないわ」


 ぷいと明子が顔を反らした。

 外から「森川さん、時間です」と声がかけられる。

 明子がその声に椅子から立ち上がり、椅子を元の位置に直す。

 そのままザクロの隣を通り過ぎ、扉の前で立ち止まった。


「ただ……ひとつだけ忠告。琥珀を恨んでる人間は、思ったより多いわよ」

「肝に命じておきます」


 ザクロは胸に手を当てて、頭を下げた。

 そんなザクロの姿を目だけで確認すると左手を上げる。


「それじゃあね、もう会わないでしょうけど」

「ありがとうございました」


 バタンと扉がしまって、すぐにザクロも外に出た。

 扉の前では演出家が待っていて、苦い顔で「森川にひなたの話は辞めてください」と言われた。

 どうやら、傷は癒えていないらしい。

 素直に謝罪すると、すぐにザクロは劇場を後にした。


「暖簾に腕押しとは、あのことね」


 事務所に戻ってから、ザクロは珍しく城田に入れてもらったお茶を口にした。

 琥珀が家にじゃんじゃん新しいお茶を買ってくるのだ。

 趣味なのだろうが、二人だと消費しきれず事務所にも持ってきている。

 慣れてきた味にほっと一息ついた。

 城田はお茶を入れたときのお盆を自分のデスクに置いたままパソコンをいじっている。


「森川明子、どうでした?」

「ちゃんとした女優だった。付け入る隙がないくらい」


 負けん気が強くて、仕事に誇りを持っている。

 そして、琥珀が言っていた通り、脅迫状を送るような性格には見えなかった。


「だから言ったじゃない。森川はそんなことしないって」

「人の裏なんて分かりませんよ?」


 ザクロの隣で琥珀がソファに座ってお茶に口をつける。

 座ったまま見上げてくる琥珀に、ザクロは小さく首を横に振った。

 琥珀ほど素直に人を信じれない。琥珀のその気質は、人の嘘を見抜くのが得意なのも関係しているのかもしれないが。

 んーと小さく声を上げ、琥珀は顎の下に手を当てる。


「これで、また振り出し、かしら?」

「振り出しなんで、大人しく家で待っててくれませんか?」

「い、や、よ。ひなたのことを知ってるのは私だけなんだから、役に立つかもしれないでしょ」


 強く否定する姿に、ザクロは大きく息を吐いた。

 脅迫状について調べ始めてから、琥珀の側に入れないことが増えた。

 その間は福山と朝霞に任せているのだが、琥珀はそれが気に入らないらしい。ザクロと一緒に時にはあまり見えなかった脱走癖が出始めていた。


「それに」


 琥珀は言葉を切るとザクロをちらりと見た。

 ザクロがそれに気づかない振りをすると、すぐにソファに体を埋める。


「家にひとりは苦手なの」

「福山も朝霞もいますよね?」

「扉の前や外を周回してる人間を数にはいれないわ」


 琥珀は頬をふくらませた。ザクロは言葉を返さず、肩をすくめた。

 城田がキーボードを操作しながら、眉毛を情けなく下げる。


「それにしても、困りましたね。舞村ひなたの周りの人間で他に琥珀さんを恨んでそうな人……」


 城田がパソコンの画面をこちらの方に傾けた。

 画面には次々と人の姿が流れていく。芸能人の宣材写真を使ったスライドショーだった。


「森川さんの言う通り、琥珀さんの元カレだったら、掃いて捨てるほどいるんですが」

「嫌なスライドショー流さないでよ」


 琥珀が珍しく眉間にしわを寄せて、流れていく男たちを見つめている。

 ザクロもパソコンの画面を見つめる。最初に仕事をする際に見せられたものとは、また違うようだ。


「あ」


 何枚目かの宣材写真になったとき、琥珀が声を上げた。

 ソファから立ち上がると城田の側に行き、スライドショーを止めさせる。

 画面に写っているのは、黒髪を短く刈り上げた青年だった。がっしりした体型はアクションもできそうに見える。


「この人も私の元カレになってるの? 嫌だわ」

「小桜優斗。爽やかイケメン俳優ですね……今はほとんど活動してないみたいですが」


 ザクロは首を傾げた。名前を聞いてもピンとこない。

 元々、俳優と仕事で関わることが少ないので、女優より知っている人間は限られるのだ。

 琥珀が爽やかな笑顔を浮かべる小桜の右頬をあたりをノックするように叩いた。


「これ、ひなたの彼氏よ」


 さらりと出た発言に、ザクロと城田は動きを止めた。


「え?」

「えー?」


 ザクロの小さな声は、音量と長さに勝っていた城田の声にかき消される。

 ひなたの彼氏が、琥珀の元カレだと芸能界では思われているということか。

 だがーーザクロは記憶を探るようにこめかみを右手の付け根で叩いた。


「三角関係候補は別でしたよね?」

「あの記事はでっち上げだもの。ひなたに彼氏はいたけれど、注目されるくらいなら嘘のほうが都合良かったんじゃないかしら」


 琥珀は肩をすくめる。

 何ということだ。三角関係候補の俳優については調べていたのだ。そちらは既に結婚して、子供までいた。

 ザクロは心臓が早鐘を立て始めるのに気づいた。

 嫌な予感が増していく。城田に横目で合図をした。


「調べてる?」

「いや、ノーマークでした」


 城田も寝耳に水だったようで、首をぶんぶんと横に降っている。

 彼女のボブの髪の毛が顎の位置で揺れた。


「調べて」

「今すぐ!」


 がむしゃらにパソコンに向かう城田を、琥珀がぽかんと口を開けて見ていた。


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