ゴールデンウィーク
美味しいプリンを三つも買って帰った。巷でも人気のとろける食感のプリンだ。
口の中で甘味が広がりとろとろでも食べやすくて、一つ目をペロリと平らげ二つ目の蓋を開ける。単純な事だけどこれはこれで結構幸せな事だと思う。でも三つ目に差し掛かりスプーンがプリンに刺さったまま掬えなくなった。もう無理、気持ちが悪い。込み上げる吐き気をビールで流し込み息をつくと目からはぼろぼろと涙が零れた。
今年はゴールデンウィークに土日が繋がり、私は五日間の連休をもらう事が出来た。
初日の夜、恋人の伸之のマンションを訪ねた。彼は昼間からやっているであろう仕事が片付いていないらしくリビングのテーブルに資料を広げて黙々と書類を作っていた。久しぶりに遊びに来た私としては面白くないけど……仕事だから仕方がないと思い夕食を準備してから、また出直すわね、と彼に告げた。
「なんで帰るの?」
伸之は打っていたパソコンに手を乗せたまま傍らに立つ私を見上げ不機嫌そうに口を開いた。
「仕事してるし、邪魔になるでしょう」
「邪魔になるくらいなら最初から呼ばないし」
伸之は大きく息を吐き、またキーボードを叩き始めた。
かなりイライラしてるわね。その様子に私もため息をついた。
「とりあえず今日は出直すから、仕事が片付いたら連絡してね」
どうせまだ休みは四日間もあるんだからゆっくりできる時にゆっくり過ごせばいい。私はそう思い帰る事にした。でも背を向けるのと同時に彼に手首を強く掴まれた。
「じゃあ来なくてもいいけど」
「え?」
伸之のメガネ越しの目があまりに冷たく睨むから私は返答に詰まってしまった。
「来なくていいって言った。紗也が何を考えてるのかわかんないし」
「わかんないって……邪魔したくないってそれだけじゃない」
「わかったよ、邪魔だ邪魔。もう二度と来なくていいよ」
痛いくらいに掴まれていた手首の束縛は解かれ、伸之は黒髪を掻いてからまたパソコンに向き直る。
「二度とって……別れるって事?」
熱くなった手首をなぞりながら問いかけたけど伸之は何も答えてはくれなかった。
予期せぬ展開に私は思考がついて行かなくて、あまり深刻に考えられないままマンションを後にした。家路の途中で美味しいと評判のプリンを見つけてこんな時くらい贅沢してやろうと張り切って三つも買って帰った。
クッションで声を殺しながらひとしきり泣いたらプリンの気持ち悪さは幾分収まっていた。大好きだけどもう当分プリンはいいや。缶に残っていたビールを一気に飲み干してから、さらにもう一本開けて一気飲みした。
ああ、もう。なんで私はフラれたのよ? 伸之の方がよっぽど何を考えているかわからないじゃないの。
ビールじゃ全然酔えない。私は調理用のワインと日本酒を持ち出して各々を注いだグラスを失恋乾杯、と鳴らして一気にあおった。このちゃんぽんはさすがに効いた。
心地よくなって来て私はまとめていた髪を解き、ベットに倒れ込みながら考えを巡らせる。
「いろいろと気を使ったつもりなんだけどな……」
起き上がって日本酒をもう一杯注ぎ、ちょっと苦しいながらも飲み込んでからクッションを抱いた。
「伸之のお荷物にはなりたくないのよー」
都合のいい彼女になりたい訳じゃないけど、物わかりのいい彼女にはなりたかった。
伸之の仕事が忙しいのもわかっているつもりだからむやみに彼と約束をすることはない。そう言えば彼の家に私の私物ってあまり置いてきて無いな。
「後腐れなんて何も無いなんて! あははは……」
ああしていたら、これをしていれば……そんなことをいろいろ浮かべてはまた涙が溢れる。いくら後悔したって終わった恋には何の役にも立たないのに。
それからの三日間、私は部屋にこもって過ごした。起きて、ぼんやりして、飲んで泣いて眠る。でも三日も経つとそんな生活にも飽きた。
連休最終日、早朝に目を覚ました私は鏡の中にバケモノにため息をついた。瞼も顔全体もむくみが酷い。おまけに目も鼻も真っ赤だ。明日からはまた仕事が始まりいつもの日常に戻る。どうにかしないと。
目を冷やすためのタオルを水に浸したところで日課だったジョギングを三日間サボっていたことに気づいた。よし、まず走りに行こう。私は髪を一本に結びウエアに着替えた。
三日間とことん落ち込んだ。伸之にたくさん腹も立てた。でもまだ好き。だからまだ辛い。
でも私は信じている。これから先もきっと素敵な人生が待っている。どんなに絶望したってまた素敵な事があるはず。そのためにまたたくさん傷つくだろうけど。
そして必ずまた恋をする。私は愛する人の腕の中がどんなにあたたかいかを知っているから。
素敵な事が恋や愛で無くても、私はまた走り出すんだ。
靴紐を強く縛ってからキャップを深めに被り深呼吸をひとつ。鍵を開けて勢いよくドアを開いた。
「あっ」
ドアの外に思いがけず伸之がいた。座り込んでいた彼も驚きながら立ち上がりバツが悪い様子でお尻を叩いた。
「紗也、その……ごめん」
私は顔を伏せたまま彼の顔を見れずにいた。なんでいるの? そう思っても驚きで言葉は出なかった。
「俺はただ紗也にそばにいて欲しかったから。……仕事が片付かない八つ当たりであの態度は無いな。ごめん」
伸之の言葉にぼんやり見つめていた地面が滲んで行く。
「気使ってくれているのはわかっているのに、紗也は俺といるのがつまらないんじゃないのかって、そんな事を思っていたんだ」
私はそんな事無いとばかりに首を振った。
ずっと上げられなかった顔を合わせると、むくみ放題の私の顔を見て伸之は軽く吹き出した。
「ちょっと見ない内にえらい顔に……」
「酷い言いようね。誰のせいと思ってるの」
伸之はごめんごめん、と笑いながら謝り、地べたに置いていたビニール袋を拾い上げた。
「そこのコンビニで紗也の好きそうなプリン買って来たから機嫌直して」
「プリン……じゃあ半分ちょうだい」
私は苦笑しながら伸之を部屋に招き入れた。
最後までお読み頂きありがとうございます。
5月5日 5時55分投稿。
これに全力を注いだ感はあります(笑)