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「じゃあたまたま花壇に水やりしてる生徒のホースがたまたま三葉にかかったって事?」
「まあ、そういう事になります」
尋問に屈し、美化を目指しながら俺は早々に白状していた。どうせ突っ込まれるだろうからと最近身に起こっている小さな不幸についても掻い摘んで説明した。と言っても、さっきの口ぶり的に先輩はもう薄々気づいているのだろう。
遠くから部活動に勤しむ生徒達の声がかすかに聞こえはじめた。どうやらさっきまで居た場所は部活棟とグラウンドの丁度間辺りだったようだ。
「そんな事、ほぼあり得ないんじゃないかな。うちには園芸系の委員も部活も無い、手入れとかは全部業者と機械が管理してるんだよ」
「じゃあ今日たまたま水やりしたくなったとか?」
「それ本気で言ってる?」
「…まあ、その後謝ってくれましたし、水、ホースからだったから綺麗でしたよ」
「謝るはまあ分かるけど、水が綺麗だったからじゃあ良いか、はちょっと分からないな」
泥水や使用済み雑巾を絞った後の水じゃないからと言う意味を込めたのだが伝わらなかった様だ。藪蛇になるだろうから説明はしないけれど。
「じゃあ三葉が言う、その小さな不幸?の心当たりはある?」
「新歓の後から起きはじめたので、まあそれかなと」
「まあ、やっぱり加美山か…」
「加美山?」
「加美山慶司、この学園の生徒会長だよ。ほら、三葉を保健室まで連れてってくれただろ?」
「え」
「まさかあいつ自己紹介もしてくれなかったの?」
「されてはないですけど、入学式で見てるので生徒会長なのは知ってました。けど、皆カミ様って呼んでるから、てっきりそれが名前なんだと思ってました」
「神様?あいつ一般生徒から神様なんて呼ばれてるの?」
ひとしきり笑った後、先輩が確かにたまに後光が出てるけどとこぼした。出るんだ、後光。あながち一般生徒の神様呼びは間違ってないのかもしれない。
まあ、その神様相手に粗相をおかしてしまったから"やっぱり加美山か"なのだろう。
正直、苛めには少し慣れてしまっている。きっかけは簡単で、苛める理由なんてなんでもいい子供達が貧乏施設出の同級生を見逃すはずもなかったからだ。
初めは教師に伝えてみたりもしたがろくに取り合ってもらえず、ただ耐えて苛めがエスカレートしてきたところでようやく教師から注意してもらえた。ただ、そんな軽い注意なんて子供達が気にするわけもなくその後も苛めは続き、そしてあっけなく終わった。何もない俺は苛め続けるだけの面白さもなかったのだろう、特に何かあったわけでもないのにターゲットはあっさり別の子供に移った。
だから今回も人知れず苛めが終わるのをしばらく耐えれば良いと思っていたのだが、結局捕まってしまった。言える範囲であらかた吐き出し、美化委員室が近づいてきたところで先輩が一つため息をつく。
「相談してって言ったじゃん」
「それはその時断ったじゃないですか」
「…分かってるよ、あの時は俺にも確信がなかったから。でも今は違う、美化として関わらせていただきます。だから改めて言うよ、困ったことがあったら俺に相談して」
言葉を返せないでいると目の前に来ていた美化委員室の扉を開けて中に促されてしまい、返事をするタイミングを逃してしまった。先輩はというと特に気にする様子もなく、俺に新品学園指定ジャージを渡し奥の部屋に入って行ってしまう。
前と違い美化として関わると言い切っていたから俺の返事はあまり関係ないのかもしれない。値段を思い出しながら渡されたジャージに履き替え、袖を通していると美化委員室のドアからノックの音が響いた。奥の部屋に消えたっきりの筒見先輩を呼びに行こうとしたのだがどうやら相手はせっかちな様で2度目のノックが響いたのとほぼ同時に扉が開いた。
「開いてんじゃん、居留守使うなよ」
「あの、筒見先輩は今奥に」
「ん?誰?なんでジャージ?」
「俺は」
「部活?ってまだ部活中だよな。つか筒見、先輩とか呼ばれてんの?ウケんだけど」
「えっと」
「てかどっかで会ったことある?」
「え?多分な」
「待って、今考えてるから」
突然やって来て手のひらをこちらに向け喋るなと制しているこの人は生徒会メンバーの中に居た確か会計さん。入学式でステージに立っていたからこちらは一方的に知っているが、その会計さんに覚えられるような出会いをした記憶は残念ながらない。会計さんがうんうん唸っている今のうちに扉へ向かって念を送ってみるが当然のごとく筒見先輩に伝わるわけもなく扉は少しも動かない。
「んーーーーーー?あ、思いだした、ゲロ君だ」
「ゲロ?」
「ゲロ君でしょ?君。うちの会長の顔見てゲロ吐いたって言う」
もしかして今俺は会計さんに認識される程に有名なのか?だとしたらあまりにも不本意だ。いや、不本意も何もそもそも悪目立ちなんてしたくはないのに。
自分をゲロ君だと認めたくなくて返事をしなかったのだが会計さんの中ではもう確定しているらしく、その後もゲロ君ゲロ君と呼ばれ続けられている。
「じゃあさ、ゲロ君の好みってどんな?」
「なんの好みです?」
「顔だよ顔の好み。だあって会長の顔で吐くほど無理なんでしょ」
「そういう訳ではないんですけど」
「あれで駄目なら…ちょっと歪んでる顔の方が良いとか?」
「いやだから………あの、ところでなんですが、会長さん、その事で何か言ってませんでしたか」
「その事?」
「ゲ、ゲロ」
「ああ、それが全然!あいつの人生この先ゲロ吐かれることとかもう無さそうだからめちゃくちゃにいじってやろうとしたのにさ!まーったく気にもしてないの、つまんなかったわ。ゲロ君もそう思うでしょ?」
「いや、俺は」
「三葉?」
言葉を遮られてしまったがそんなこと気にもとめず待ちに待った筒見先輩の登場に助けを求めて扉の方に勢いよく顔を向けた。一方筒見先輩はというと、手にはお盆がありその上には二人分の湯呑と切り分けられたバウムクーヘンを乗せて立っている。
どうやら美化委員室の奥には給湯室があるらしい。
※
「バウムクーヘンとほうじ茶って合わなくね?」
「文句言うなら食うなよ」
「うわ、そーいう事言うんだ。せっかく残りのアンケート持ってきてやったのに」
追加で用意されたバウムクーヘンをぺろりと平らげた会計さんがおもむろに数枚の紙を机に広げた。
「助かる、ありがと」
「そっちが進まないとこっちも進まないからねえ」
「今までのはもう終わってるから安心して。今もらったのも今日中には終わらせるよ」
紙をペラペラと確認しはじめそのまま2人は仕事の話を進め始めてしまった。聞いてる感じ、どうやら体育祭の話らしい。確か体育祭は6月だったはずだけど準備はもう始まっているようだ。
「あ、この回答良いな」
「どれ?」
「紙アンケート廃止」
「採用」
その後もどんどん進む仕事の話を聞いてるわけにもいかず、ほうじ茶を飲みつつ二人の会話のきりが良さそうなタイミングを見計らうこと5分程。
「あの、そろそろ俺教室帰りますね」
「え!もうこんな時間!?呼んどいて話できなくてごめんね…。そうだなあ、今日放課後時間ある?」
部活に入ってないし特に予定もないから問題ない旨伝えたところで会計さんが思い出したようにこちらを見た。多分本当に俺の存在を忘れていたのだろう。
「そーだこの子誰?何でここ居んの?」
「言えません」
「へえ、じゃあ美化関係なんだ。なんで?」
「だから言わないって」
「つかお前に聞いてないんだけど」
ねえ何で?とこちらを向いて会計さんが聞いてくる。ちらりと横を見るが筒見先輩は首を横に振っているから喋るなということだろう。しかし会計さんの何で攻撃が止む気配はなく、それどころか指示に従って沈黙を貫く俺に手まで出してくる始末。止めようとする筒見先輩を無視して俺の頬摘みながら詰め寄る会計さんに俺は降参した。
「ふぉーじ」
「は?何?」
「だから手を離せって言ってんだろ!」
「だから筒見には話しかけてねーって」
ようやく離され少し痛む頬に手を当てながらまだ言い合っている筒見先輩と会計さんを見るが、同級生?と言い合っている筒見先輩はやはり新鮮で少し不思議な感じがする。ただこの場には3人しか居ない筈なのに、倍以上の人数が居るんじゃないかという位騒がしい。
「掃除をしようと思って」
「掃除?こんな早くに?趣味?」
「いや、自分の机を。汚れてるので」
俺のその言葉で察したのだろう筒見先輩の眉間に皺が寄った。
「三葉、もう少し待ってね」
「あ、はい。いや、そんな急がなくても」
「大丈夫、明日にはどうにかするから」
そんな急にどうにかなるものだろうか。どうしても過去の教師が頭にチラつく。先輩には悪いがあまり期待しないでおこうと思っていたのだけども、筒見先輩の言動は慰めでもなんでもなく至って真剣に聞こえる。
「あーなるほど?なあ筒見、もしかしてだけど、まだあの怖いモットー掲げてんの?」
「"生徒も含めた美化活動"の事?別に怖くなくない?」
「怖いわ。ゲロ君気を付けなよ、こいつどーっかズレててなーんか変だから」
話を振られて反射で頷いてしまったからか筒見先輩が真に受けないでねと訂正してきたのだが、思い返せばズレている、という事に関しては若干の心当たりがあるなと目の前のバウムクーヘンとほうじ茶を見ながら思った。