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今日から本格的に授業が始まる。と思いきや昨日の担任いわく校内施設の案内や委員決め、各授業に使う配布物受け取り等々細かいことが多いらしい。極めつけは放課後に予定されている新入生歓迎会。自由参加と説明を受けているが内申を考えると出ない訳にもいかない。
まあそれでも授業としての初日には変わりはない。特待生としてここに入学した以上、他の生徒よりも頑張らなければ。そして入学式での失態も挽回したい。
歯を磨いて顔を洗いながら気合を入れ直していざ朝飯、とダイニングに向かうとそこには焼き立てのトースト2枚と牛乳、マーガリンにマーマレードが準備されていた。
「今焼いたばっかだから早く食っちゃえば?」
「あ、はい。いただきます」
久々かもしれない、マーマレード。孤児院じゃピーナッツバターの人気が凄まじくてトーストに付いてくるジャムはほぼピーナッツバターだった。
「トースト2枚で足りる?」
「あ、大丈夫です」
「そ」
ジャム瓶の蓋を開けようとしたら固くて少し突っかかり、中身の表面は綺麗に真っ直ぐ。どうやら新品のようだ。確かに昨日まででパンとマーガリンは見かけたがジャム系はこの部屋の中に無かったと思う。それによく見ればこの人はマーガリンだけでトーストを食べている。という事はこのマーマレードは俺の為に用意されたジャムなのかもしれない。
集団生活に慣れすぎたせいか“俺だけの物"という事実に少し嬉しくなってしまったが流される訳にはいかないと思い切って口を開いた。
「あの、筧くん…で合ってますか?」
「筧でいい」
「あ、はい」
校内だったら全く分からないがここは寮、それも2人部屋の自室。どういう心境の変化なのかは分からないが、目の前でトーストをぺろりと2枚平らげたこの男は十中八九まだ見ぬ同室者、筧透真なのだろう。と聞いてみたのだが、駄目だ、突然の見知らぬイケメン登場にさっきから吃った返事しかできない。
「つか今更聞く?」
確かに。俺は俺でマーマレード乗せトーストを既に1枚食べた後だ。あまりに自然にそこに居て朝食が用意されているものだから結局普通に食べてしまった。
気を取り直して次の質問を投げかけてみよう。
「あの、どうして突然帰ってきてくれたんですか?」
「わりと俺、お前が居る時も自室とかに居たけど」
「えっ」
「たまたまタイミングが合わなかっただけじゃね?」
うっそだあ…。こんなにタイミング合わないことある?絶対避けられているのだと思ってたのだけど、それだと今の行動に至った理由に心当たりはないし。それに、百歩譲ってたまたまタイミング合ったからだとして、俺の分までパン焼かれてることある?冷蔵庫の食べ物だけは確かに日々増えたり減ったりしていたけど、朝も見ないし昼も夜も見ないからてっきり俺が居ない隙に食料だけを取りに来てるのだと思っていた。
え、じゃあ今までの数日、俺は知らない人と知らないうちに共同生活してたの?なにそれちょっと怖い。
「あと敬語もいらない」
そして今まで姿すら見せなかったくせに距離の詰め方が早い。
クラスメイト達も比較的に容姿が整っていて大人びて見えたがこの同室者、筧透真はそれ以上だ。同学年だと知らなかったら確実に先輩だと思ってしまう程に。
昨日出会った筒見先輩もそうだし、ちらっと見えた生徒会のメンバーもそうだけど、思い返せばこの学園何故かイケメンが多い。そりゃ講堂で見かけたカミ様信仰生徒みたいな人達が生まれてしまうわけだ。
ただ今まで見かけた人達と違い、筧はそれにプラスしておしゃれセンターパートから覗く耳に厳つい装飾がキラキラといくつも見えるせいで人を寄せ付けない雰囲気が醸し出されている。
「三葉は授業出んの?」
「え、うん。そりゃ出るよ普通に」
「へえ」
「筧は出ないの?」
「出ねえ」
なんで?と、聞いていいのだろうか。佐伯先生から得た情報によると、筧透真には体が弱い疑惑がある。踏み込むのもどうかと一瞬考えたがこれから共同生活をするにあたって知っていたほうが絶対にいいはず。
よし、と意気込んで悩んでいた顔をあげると何か言いたげな瞳と目が合った。しばらく見つめ合ったが一向に会話が切り出される気配がないのでこちらの話を先にさせてもらうことにする。
「保健室で筧の事聞いたんだ」
「知ってる。だから今日…」
「…今日?」
続きを促すように聞き返しても筧は口を閉ざしたまま。そういえば佐伯先生が言っていた、筧は良い子なのだと。
わざわざ用意してくれたであろうマーマレードの件だってそうだし、もしかしてだけど俺が倒れた事を佐伯先生から聞いて今日姿を現して朝食まで用意してくれた、と自惚れても良いのだろうか。
「その佐伯先生に筧は保健室によく来るって聞て、それで…失礼じゃなければだけど、同室者として何かあるなら事前に知っておいたほうが良いと思って」
「あ?…………ああ、別にどこも悪くねえよ。ただサボりに行ってるだけ」
「あ、そうなんだ。それなら良かった」
いや良いのか?いくらエスカレーター式だからと言っても高校からは義務教育じゃない。指摘しようとも考えたがそれこそ余計なお世話というやつだろうし。
「新歓も出んの?」
「しんかん?」
「新入生歓迎会」
「ああ、出るよ」
「へえ」
筧は俺の返答に興味なさそうに返事をしてキッチンへと自分の食べ終わった食器を片付けに行ってしまった。そうだ俺も早く食べ終わってそろそろ登校しなければ。壁掛け時計を確認すれば只今の時間は8時25分。朝のホームルームは8時40分開始。
そこからの俺の行動は素早く、残りのトーストを牛乳で流し込んで急いでキッチンに皿を運んだ。先に片付けを始めていた筧に怪訝な目で見られながら。いいよな授業出ないやつは余裕で。
「何慌ててんの」
「学校!時間!」
「ああ。食器なら俺が片付けるけど」
「ほんと!?助かる!」
有り難くお言葉に甘えてしまえば残るは予め準備してあった鞄を部屋から持ってくるだけ。最後に玄関で靴を履いていると後ろから気配がして、振り返ると壁に寄っかかりながら筧がまた何か言いたそうにこちらを見ていた。残念ながら今度も話し出すのを待つことはできないぞ。申し訳ないと思いつつドアノブを捻ろうとしたところで
「いってらっしゃい」
一言。水面に広がる波紋みたいに、無音の室内に少し低めな声が綺麗に響いた。
「いってきます!」
こんなに晴れた気持ちで登校するなんて何年ぶりだろうか。思いの外大きい声量で返事してしまったがそれに構わず俺は部屋から飛び出した。