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目の前が白い。
「目、覚めた?」
視線だけ横にずらすと白衣を着た男が立っているのに気がついて、さっき見た白は天井なのだと脳がようやく処理を始めた。
「意識はありますか?名前言える?」
「……三葉…俊幸」
名前を伝えれば満足そうに微笑んで、入学式の途中俺が倒れたのだと教えてくれた。正直まだ自分の頭がよくわからないが、それでもここに長居する訳にもいかないだろうと体を起こす。薬品棚や他の空いているベッドなど軽く周りを見たところやはりここは保健室のようだ。
「もう平気?」
「大丈夫です、軽い貧血だと思うので。自室に帰って休みます」
「本当はもう少しここで安静にしててほしいんだけどな…。分かった、じゃあちゃんとまっすぐ寮に帰ること!学校が午前終わりだからってはしゃがないで安静にね?あと、できれば迎えに来てくれる子が居ると良いんだけど、同室者とか呼べそう?」
「そんな大袈裟にしなくて大丈夫ですよ。それに、同室者とはまだ会えてないんです」
そう、入学式の3日前に2人部屋だよと寮長に案内されたものの、実はまだ一度も姿を確認できていない。共有スペースには備え付けではないと思われる家具などが配置されている様に見えるのだが、この金持ち学校の考える備え付け家具と俺の考える備え付け家具が一致しているとも限らない。加えてまだ見ぬ同室者は綺麗好きのようで生活感もほぼ無く、冷蔵庫入っていた飲みかけのペットボトルや食料を発見してようやく同室者の存在を確信したのだ。
「ずっと見かけないって、もしかして同室者って透真くん?」
「あ、そうです。そう説明されました。知ってるんですか?」
「うん、多少有名人かな?それに春休み頃からここにもよく来るから先生とも仲良し」
自分を指さしてそう言う養護教諭は眼鏡の奥を優しげに細め飴色の髪を少し揺らした。つまり同室者は体が弱いのだろうか。それならば今後同室者としては色々気をつけなければ。
「彼良い子だから仲良くできると思うよ。あでも私が良い子なんて言ってたって言わないでね?恥ずかしがって怒っちゃうから」
つられて俺も少し笑い、会えたら口を滑らさないようにしますと返事しながら保健室を出ようと靴を履き立ち上がった。
「うん、顔色少しは良くなったね。俊幸くんも透真くんみたいにまたここにおいで?今度はゆっくりお茶でもしよう、お菓子も常備してあるからね」
確かにさっきよりも呼吸がしやすい、どうやら気が付かないうちに気遣われていたようだ。ふわふわした雰囲気で見方によっては頼りないと思われてしまいそうな人だけど、やっぱりこの人は大人で教師なのだろう。
「ありがとうございます、是非また来させてください」
「喜んで」
ニッコリと見送られて寮への道を歩く。午前授業だからか生徒達の声が無く、時より風が木の葉を動かす音しか聞こえない。今まで生きてきた町との違いを感じ、改めて自分が誠城学園に入学してきたのだと実感した。
中庭までたどり着き、そよ風を受けながら幾分落ち着いた頭で改めて入学式での出来事を考える。
カミ様を視界に入れた瞬間、俺が頭の中で騒ぎ出した。いや、正確には俺の心に突然横から入って来た記憶が叫びだしたのだ。好きだ会いたかった嬉しい生きているごめんなさい、要約するとこんな感情をいっぺんに人の頭の中でぶちまけやがった。
つまり、カミ様が俺の記憶の主人公の好きな相手の現在の姿。なのだと思うのだが顔はあまり似ていなかった様に思う。それでも確信をもって騒いでいたのであれば愛のなせる技、なのかもしれない。
正直くだらない。いくら騒いだところでこの体もこの人生も全て俺の物でお前の物なんかじゃない。お前のために生きてやるなんてまっぴらごめんなのだから。
考えがまとまり中庭から寮への道も終わりかける、というところで前方から人影が現れた。人を引き付けるカリスマ性なのか、はたまた自信に満ち溢れた歩き方なのか、一度しか見た事しかないというのにはっきり見えなくても分かる。
まあともかく、鉢合わせなんてありえない。まだ地理も分からない校内へ俺は踵を返した。ああもう頭が痛い。
※
多少の吐き気をもよおしていた為、空気を求めてダメ元で屋上に向かってみたところ鍵がかかっておらずすんなりと扉が開いた。空が青い、そういえば今日は快晴だと朝の天気予報がうったえていた。
もう少し端へ近づいてみる。校舎が山上の開けた場所だから奥の奥、水平線までキラキラと綺麗に見えている。
飛び降り防止の柵へ手を触れる。輝らされている海が綺麗でどうしようもなく泣けてきた。
何も持っていないなりに、何も持っていないからこそ、自分の人生を努力で埋めてきたつもりだ。でもそれが、たった一瞬でぐしゃぐしゃにされた気分だ。せっかくの入学式なのに、新しく始められるのに、俺の意志なんて関係無いと言われたような。
「待って!」
無音の中に響いた声に驚いた瞬間体がぶれて後ろに倒れる。思ったほどの衝撃がやってこず、瞑っていた目をそろりと開けるとどうやら自分は人間を下敷きにしている様で、突然の事に頭の理解が追いつかない隙を突いて今度は下敷きの人間が俺の体を後ろから抱き込んできた。
「落ち着いて、まず、話、しよう」
話をしようと言う割に微動だにしない後ろの人物のせいで振り返れずこの人が誰なのかも分からないが、触れ合っている背中に感じる心臓がもの凄いスピードで動いているのは分かる。この心音から察するに多分今俺のほうが落ち着いている気がする。ぎゅうぎゅうと抱きしめる力は強すぎて苦しいのに俺を引き留めようとする腕に少し安心してしまい、開放されるまでの間空を見上げてしばらく暇をつぶした。