ACT.3「魔弓について」
店内の一角にディスプレイされている魔弓を眺めていると、流星はつい先日の敗戦を思い出して、憂鬱な気分になった。
成績だけでいうと、初出場で国内三位は十分誇るべきことだ。
しかし、流星としては、大会後半の失速がどうしても気になってしまう。
自分なりにもっと色々できることがあったんじゃないかと、毎晩布団の中で悶々として、ここ数日は軽く不眠気味なのだ。
「俺もみんなの期待にあてられたかな……」
いやそれは流石に驕りすぎだろと、流星は首を振った。
気を紛らわすために手近な魔弓を触ってみることにした。
紫色をベース色とした洗練されたデザインのスピードボウだ。長さは小柄な流星の三分のニほどある。
新モデルなのか、ひな壇の最上段に展示されており、他のものと比べて一際目を引いた。
「紫が流行りってマジなのか。これなら咲月にダサいって怒られなそうだな」
「お、あんちゃん。それに目を付けるとは中々見る目あるねェ」
自分に似合うかどうかが気になり姿見を探していると、店の奥からガタイのいい中年男性が上機嫌にやってきた。
馴れ馴れしいオジサンだなと目を細めると、首からIDをぶら下げていることに気づく。
どうやらこの店のオーナーであるらしい。
流星は帽子を目深に被り直して、最低限の用件だけ訊いた。
「おっちゃん、これの弓力いくつ?」
「今手にしてるそれは百九十キロだな。機動力を確保するために、軽さと取り回しを重視したスピードボウでこの弓力の強さは中々ないだろうよ」
そう言ってオーナーは得意げに胸板を張った。
通常、弓力の強弱はキログラムの単位で表される。
一般的な弓道やアーチェリーで使用される弓が、おおよそ二十キロ前後。
魔法弓技用にカスタムされた魔弓は、百キロ~というのが弓力のおおよその指標だ。
「百九十? このメーカー、前はもっと強いの出してなかったっけ?」
流星は自分の記憶との差異に戸惑い首を傾げる。
昨年に彼が購入した同メーカーの前回モデルの弓力は二百キロで、無理な動きを控えたい時期、例えばオフシーズンの練習などで使用していたのだ。
「いっても十キロくらいの差だろ? それ以上に軽くなってるから機動力と……あとは魔力に対する反応速度は上がっているはずだぜ。そもそも日本人で二百キロ引けるヤツなんてほぼいねェしな」
メイドインジャパンの宿命だなというオーナーの説明に、流星は小さく肩を落とす。
手に取った際の馴染みの良さに一瞬期待を覚えたが、流星からすれば前回モデルの二百キロですら強度不足なのだ。
百九十キロとなると、少しでも調子が良い日に引けば、最悪弓を壊してしまう恐れがある。
とはいえ、このビジュアルと吸い付くような手触りで早々に手放すのはやっぱり惜しい。
「試しに引いてみてもいい?」
「おう、ぜひ試してくれ。リング外すからちょい待ち」
オーナーはそう言って胸ポケットからスマホを取り出すと、流星の角に嵌められている〝緊箍鬼〟に近づけた。
スマホから仮登録完了の軽い電子音が鳴り、流星の魔力が開放される。
〝緊箍鬼〟は、魔人が魔力を暴走させないようにコントロールするため、彼らの角に嵌められている円環状の装置だ。
もし日常生活で魔力を行使しようものなら、この装置が作動して、持ち主に立っていられないほどの激しい頭痛が襲いかかる。
その痛みと引き換えに魔力事故を未然に防ぐことができるというわけだ。
魔力開放時であれば、例えトラックに跳ねられようがマンションの五階から飛び降りようが、無傷で済むほど並外れた身体能力を持つ魔人だが、魔力制限下ではせいぜい普通の人間程度の能力でしかない。
生後の魔人への緊箍鬼の装着は、各国の法律で規定されており、これにより彼らが社会で共存することが可能となっているのだ。
ちなみに緊箍鬼の制御は、最も取得難易度が高いと言われている国家資格の内の一つだ。
このオーナーは見た目に反して凄い人なのかもしれない、と流星は素直に感心する。
オーナーに「あざす」と軽く頭を下げると、流星は銀角に仄かな光を纏った。
そのまま店の一角にある射撃スペースに向かう。
まずは弦だけを数回引いた後、普段の半分以下の魔力で左手に魔矢を生成する。
そして弦を十分に引き絞り、約三十メートル先にある的に向かって軽く射放った。
ひゅっ、と風を切るような射出音が鳴る。
一直線の銀色の残像を微かに視認した次の瞬間には、アルミ合金製の的は粉々に砕け散っていた。
的を撃ち抜いた後の魔矢は、背後の壁に敷かれた対魔力緩衝ボードに吸収されてそのまま消滅する。
流星は魔力の余波でふわりと浮き上がりそうになる帽子を慌てて抑えた。
バレてないよなとオーナーに目を向けると、彼は唖然とした表情で流星の手元を凝視していた。
「おいおい、このモデルをこんな軽々と引くやつ初めて見たぞ……あんちゃん、普段何キロ引いてんだ?」
「二百三十くらいかな」
流星は弓の調子を確かめながら何の気なしに答えると、オーナーの顔が見る見る青ざめる。
「二百三十……だと? ありえねえ、日本人でそんな馬鹿力出すやつ聞いた事ねぇぞ。〝ファーストシリウス〟の江坂凛音ですら、パワーボウの魔力補正ありで二百キロだって聞いたぞ」
ふいにオーナーが発したチーム名に、流星は思わず渋面になる。
公式大会二日目以降、流星は〝ファーストシリウス〟に徹底的にマークされ、試合数を重ねる度にまるで詰将棋のように追い詰められた。
最終日に至ってはほとんど何もさせてもらえず、流星は今でも軽いトラウマ状態に陥っているのだ。
必ずしも弓力の=実戦の強さではないことを、試合の結果が物語っており、単純にパワーを褒められたところで気分が良くなることなど一つもない。
が、実際に試合を体感していない人にとっては、数値が最も分かりやすい指標だというのも事実なので、流星は大人しく黙っておく事にした。
「そういや昨日うちに来た、緑っぽい髪の女子高生も二百近く引いてたな。なんて名前の子だったかな……」
オーナーが何かを思い出そうとうんうん唸っていると、
「まーた新しいの買おうとしてる。今度はいったい何人目の愛弓なわけ?」
流星の背後から、咲月がひょこっと顔を出してきた。
買い物を終えたのか手には大きめの紙袋を二つぶら下げている。
「人を浮気男みたいに言うな」
「実際そうじゃん。試合の度に違う弓使ってる気がするもん」
呆れ半分にからかってくる咲月に、流星は先ほど試し撃ちした紫色の魔弓を見せて、一応意見を訊いてみることにした。
「うーん、流星にしてはマシなデザインだね」
「いやまあ見た目は普通なんだけど……百九十キロしかない代わりに、魔力反応が速くて使いやすいって話」
「あーね......練習とか地域予選で使うんだったらいいんじゃない? 連戦の時とかテキパキ相手たおせそうだし」
少し考える仕草を見せると、珍しくまともな考えを口にする咲月。
チームメイトから見た目と性能の両方でまずまずの評価を得て、流星にとってもそれが段々良いものに思えてきた。
購入する方向に七十パーセントほど気持ちが傾いたところで、流星は値段を聞くためにオーナーに向き直る。
すると、不本意にもばっちりと目が合ってしまった。
「お? あんちゃん、もしかして〝ノーティリゲル〟の桜川流星か?」
オーナーは驚いたように言うと、レジ横に掲示されているスポーツ新聞と流星の顔を交互に見比べた。
つられて新聞に目をやると、そこには試合中の流星の姿が一面を大きく飾っていた。
しまったと思い慌てて目を逸らしてももう遅い。
まあ油断した自分が悪いか、と流星は潔く諦めて開き直ることにした。
「そうだよ。なんか、賄賂……じゃなくて、忖度……じゃなくて、有名人割引とかある?」
「流星、あんた交渉ヘタすぎるでしょ」
咲月が呆れたように指摘してくるが、オーナーの方は特に気を悪くした様子もなく、ちょっと待ってろと手早く電卓を弾いて、
「そうだな……定価十万のところ、八万五千でどうだ?」
「たかっ! あたし同じメーカーの弓持ってるけど、六万弱とかだったよ? ちょっと負けてや、おっちゃん!」
ぎょっと目を丸くした咲月が値引き交渉を始める。
自分が買うわけでもないのに、謎に大阪人根性を発揮し始める彼女に、オーナーは勘弁してくれと手を上げる。
「いやいや、日本製だしぶっちゃけこんなもんだぜ。この国じゃパワーボウが主流だからスピードボウは数が出なくて、その分量産に向かず割高になるんだよ。新モデルなことを加味してもかなり頑張った方だぜ?」
「でも、流星が使えばかなり宣伝になるよ? 彼とお揃いのものを使いたいファンはこれからどんどん出てくると思うけど」
咲月が「もうちょっと頑張って」と、愛嬌たっぷりの笑顔で拝み倒すと、オーナーは本気で悩んだようにうーんと両手を組む。そのままたっぷり三十秒悩んで、
「つっても、それじゃあメーカーの宣伝にしかならんからなあ……よしわかった、こうしよう。うちの店のロゴを、ここに入れて試合に出てくれるっていうなら、七万五千円まで下げる」
オーナーはそう言いながら、どこからともなく持ってきた不細工なタヌキのステッカーを、よりによって一番目立つ魔弓の胴のところにあてがった。
これには流石の流星でも思わず、うへぇ、とドン引きしてしまう。
「いや、流石にこれはダs
「へえ、可愛いじゃん! ナイスおっちゃん、愛してる!」
流星の抗議を遮って、咲月は派手にネイルされた親指をノリノリで突き立てていた。
他人を虜にする可愛らしい笑顔だが、流星フィルターを通すといじめっ子のようなニヤニヤ笑いに見える。
お前面白がってるだけだろ、と流星は半眼で睨むが、このJKとおっさんはほぼ勢いだけで動いてるらしく、いつの間にか熱い握手まで交わしていた。
「ハハハ照れるぜ......その代わり、上手く使ってくれよ! 来シーズンはそいつで〝ファーストシリウス〟をぶっ飛ばしてくれよな、桜川流星‼」
気を良くしたオーナーに大声で名前を呼ばれて、流星はぎょっとした。
そんな悪い予感はすぐさま的中し、店内の客の視線が一斉にこちらを向く。
ほどなくして「え、桜川流星?」「ホンモノだ!」などという声と共に、ファンが大挙して押し寄せてくる。
「……終わったわ」
流星は呆然と天井を仰いだ。
それからすぐに諦めの境地に立って、何とか一人一人写真撮影とサインに応じていく。
もし咲月のフォローが無ければ、化けの皮が剥がれてあまりの人見知りっぷりに、ファンたちを幻滅させてしまうところだっただろう。
一通り対応を終える頃には三十分ほど経過しており、弓を買うかどうか悩んでいた時よりもはるかに時間がかかってしまっていた。
「はぁ、マジつかれた」
流星は盛大にため息をつきながら、せっかく買った魔弓を引きずるようにして店を出た。
冷房の効いた店内と外気との寒暖差が、流星の身体から余計に活力を奪っていく。
「ごめん、うちがしつこく交渉して騒いだせいだよね……」
咲月がしゅんとした顔でとぼとぼと着いてくる。
べつに咲月に腹を立てていた訳ではないが、なんとなく嫌な気分にさせたようで流星は申し訳なくなる。
「腹減ったし、サンドイッチでも食べていこうぜ。値切ってくれたお礼におごるよ」
流星がコホンと気を取り直して言うと、咲月の表情にぱっと笑顔が射した。
「流星が自分からどこかに行きたがるなんて……行く行く! 流星とならどこにでも行く!」
「失礼なやつだな。俺だって食欲くらいあるわ。ってか、暑いからくっつくな!」
憮然とする流星だが、悪気のない笑みを浮かべながら甘えるように腕を絡めてくる咲月を見ていると、まあいいかという気分になる。
人々で賑わう夕方の街路の中、梅雨入りのじめじめとした空気に抗うように束の間の現実逃避デートを楽しんだのち、二人はチーム活動の為、所属チーム〝ノーティーリゲル〟の事務所に向かった。




