3.廃墟 ―2
――何故、あんな事が出来たのだろう。
カイに大きく手を振ってから、瓦礫の縁に座り込んだサクは目を閉じた。
カイと出会って、随分長い旅をして来た。
彼に拾われる前に自分が何処で何をしていたのか、サクは知らない。何も、名前すら覚えていなかった。
誰かを捜している。何処かに行かなくてはならない。
その想いだけがその時から彼の脳裡にある。ずっと、それだけの為に旅を続けているのだ。
カイは自分を知っていると云った。以前に救われたから、今度は助ける。一緒に行って守ってやる。そう云った小柄な少年は、いつの間にか彼の背を追い越した。
何故自分だけが姿を変える事なく時間を止めていられるのか。時折無意識に出て来る勘のようなものは何なのか。サクのその疑問は、カイから答えを得る事は出来なかった。
知っているのかもしれないと、サクは何時からか思うようになっていた。幾度となく、自分は魔物なのかも、『影』と同質のものなのかもしれないという不安を打ち消してくれたのは、カイの確信めいた言葉と強い瞳だったから。
「…逃げた、のか?」
不意に消えた『影』の気配に、カイは眉を顰める。七頭は仕留めた。だが、最初に感じた気配はそれどころではなかった筈だった。
いつもより手応えもなく、萎縮しているようにさえ感じた。未だ階段は半分残っている。そこを駆け抜ける間も『影』は気配すら消してしまっていた。
屋上に出る扉を開き、サクの姿を見付けたカイは一瞬言葉を失う。
見知った相棒を包む空気が、色を含んだ光を放っているのが見えた気がしたのだ。
「思い出したのか…?」
その呟きが届いたのか、サクが振り返る。
「カイ、無事?」
いつもと変わらぬ様子に、カイは軽く背筋を伸ばす。期待を押し付ける事は己に禁じた最も大切な事だった。
「怪我は?」
ない事が見て分かっているならではの軽い口調に、カイは苦く笑って見せる。
「ないない。それより目的は見えたのか?」
「反対の外れみたいだね」
ほら、と指差す方向を見遣りつつ、カイはうんと頷く。
「って云っても俺には見えないけどな。で、分かったんならどうする、行くか?」
「急がないと…子どもみたいな気がする」
「こんな処にか? 本当に人間なんだろうな」
「『影』じゃないのは確かだよ。…ひょっとしたら、僕みたいな異質なものかもね」
自嘲めいた嗤いに、カイはふいっと背を向けた。
「じゃあ急ぐか。今度は階段でいいんだろ」
低い声。不機嫌そうな顔はサクからは窺う事は出来ない。
「…変じゃないか」
その背に向かって、サクは声を絞り出す。
「あんなのは普通じゃない。なのに僕は、自分がああ出来る事を知っていたみたいだった」
――まるで子どもみたいな癇癪。
急がなくてはと思いつつも止まらない言葉に、自分の裡の一部がそう感じているのが分かった。幾度となく繰り返される問い。栓の無い事だと分かっているのに。
「…確かに、普通じゃないのかもな」
カイの言葉にサクは身を硬くする。
「だが、それ以下じゃない。邪悪な…闇に堕ちた奴と何年も旅が出来る程、俺はおめでたくない」
「じゃあっ」
一体自分は何だというのか。振り返ったカイは右手を伸ばし、サクの前髪を掻き上げる。深い傷を負った額に触れるように。
「俺も全てを知っている訳じゃないんだ」
知っている全てを話してしまえばいい、何度そう思った事か。その度にそれを思い留まらせるのは。一分一秒でも長引かせなくてはならない。何故そう思い、何故自分がそれに従うのか、彼自身にも分からなかった。
カイの表情が曇るのを見て、サクはその右手に両手を重ねた。
「ごめん。ごめんね、カイ。ありがとう」
ふわりと逞しい肩に額を乗せ、サクは過去に想いを飛ばす。
――守ってやる。
そう云って手を差し伸べた少年の頃は、自分の両腕にすっぽりと収まってしまったのに。
その頃、守る立場だったのはサクの方だった。だが確かに、得体の知れない自分というものから、少年は守ってくれていたのだ。
そして、現在も。
「僕が思い出せば、済む事なんだ」
「俺が知っているお前は信じていい。これは本当だから」
「…うん」
カイは教えないのではなく教えられないのかもしれない。理由など想像もつかなかったが、サクはそんな気がしていた。時折見せるカイの表情はそう思わせるのに足りるものだった。
だからと云って疑う事など出来る筈もない。それはいつも苦痛に満ちていたから。
不意にサクの手がカイの髪を掻き回す。それと共にふっという態とらしい溜め息。
「大きくなったよねえ」
沁々とした云い方に、云われた方は平静ではいられない。
カイはサクの肩を掴むと、その体を乱暴に引き剥がした。
「あのなあっ」
「いやあ、あんな坊やがこーんなに育つとは思ってなかったから」
うんうんと頷かれ、カイは顔を引き攣らせる。
「いい男に成長して嬉しいよ、ホント」
「てめえっ」
唸るカイに顔を近付けると、サクはにっこりと微笑んで見せた。
「大好きだよ」
一気に脱力したカイの手から擦り抜け、扉を開けるとサクは肩越しに振り返る。
「ほら、急ぐんだってば」
鼻歌まじりに降りて行くサクがいた空間を買いは忌々しげに蹴り、せめてもの恨み言をぶつける。
「くそじじいめっ」
「カイー? 置いてくよっ」
間髪入れずに返ってくる声に、肩を竦めて後を追う。
「はいはいはいっ」
自分が彼に勝てるはずがないのだという諦めにも似た想いが、駆け出すカイの口許を綻ばせていた。




