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3.廃墟 ―1

 荒れた大地の上を砂が流れて行く。吹き抜ける風は冷たく、体温を奪う。

 男はライフルを担ぎ直し、後ろを振り返る。


「そろそろ今晩の寝床を確保したいな」


 風に弄られる髪は漆黒。忌々し気に細められる瞳は黒味を帯びた緑色をしている。


「あの街に入ろう。風避けには困らなさそうだよ」


 頭一つ低いところから男を見上げ、ふわりと笑うのは後ろを歩いていた青年。年は同じ二十代半ばに見えるが印象がまるで違う。

 癖のある金茶の髪に白い肌。柔らかい空気の中、額の傷だけが違和感を生み出していた。


「ああいうのは廃墟って云うんじゃないか? まあ、でっかい建物も残ってるみたいだけどな」


 苦く返す視線の先には灯りなど一つも浮かばない街。恐らく住人が消えて久しいのだろう。滅びた街特有の寒々しさが遠目からも明らかだ。


「街は街だろ。ほら早く、置いてくよ」


 強い風を受けていないかのように歩き出す青年の後を慌てて追って大股で歩き出し、男は不意に気付く。

 風が止んでいる事。否、風が自分達を避けて行く事に。辺りの砂は変わらず流れているというのに。


「お前―――」


 肩に手をかけ、口を噤む。


「ん?」


 小首を傾け返した彼は、男の次の言葉を待っている。


 ――そんな訳がない。


「何でもない。ほら、陽が沈みきる前に辿り着くんだろ?」


 訝しげな顔で覗き込んでくる相棒の髪を無造作に掻き回し、彼を急かして歩き出す。

 故意に行う筈がないのだ。彼は未だ、自分が何者であるのか知らないのだから。

  

 肩を並べて歩き出す二人の周りを、風が駆け抜けて行った。






「瓦礫の山って感じだな、こりゃ」


 街が近付くにつれてその滅びた様が見え出す。

 石造りの街であったらしいが、崩れ、強い風に浚われ為に元の姿を残す物は少ない。

 遠くから見えたのはその残り少ない現存物で、それも何時崩れても不思議ではなく見えた。


「カイ、お出迎えは…三つ」


 素っ気無い言葉に、既に構えていたライフルの引き金を黒髪の男――カイは無造作に引く。

 瓦礫に飛び込むように二手に分かれた二人が寸前まで居た位置に、どろりとした空気が現れる。

 低く唸り声を漏らしながら気配を探る黒い獣。一匹は既に傷を負った。


「一つ!」

「二つ!」


 確実に仕留めつつ、最後の一頭に照準を合わせたカイは目を見開く。

 手負いの獣が飛びかかったのは、小柄な方が仕留め易いからか。だが、黒い影が獲物に届く前に、標的が飛んだ。


「サクっ」


 桁違いの跳躍。軽々と獣を飛び越え、身を翻しながら腰に携えたいたナイフを獣に向かって叩き込む。


「…あれ?」


 手応えが無さ過ぎないか。拍子が抜ける程の声は跳躍した本人だった。

 何が起こったのか答えを求めるようにカイを見上げるが、カイもまた言葉を失っている。


「サク…曲芸かよ」


 サクと呼ばれた男は、首を捻った。


「何か、体が軽いとは思っていたんだよね」


 いやあ、びっくり。

 呑気な口調ではあるが動揺しているのだろう、ナイフや小銃をしまう手が慣れた動作にも関わらずもたついている。

 と、その手が止まり、表情が改まる。


「カイ…誰かいる」


 軽く目を細めて気配を探るその様子に、カイは肩を竦めた。


「今もいたしな。何が棲みついていても驚けないだろ」


 今更と付け足しつつ、カイは彼の邪魔にならないようにと自らの気配を潜めた。







 何時の頃からか、廃墟には『影』と呼ばれる獣が現れるようになっていた。環境が生み出したのか、何処から現れたのかなどは全く知られていないが、突然変異のようなそれは並の獣より獰猛で醜悪だった。

 人は身を守る為に群れを崩す事を厭う。旅をする者は激減し、敢えて行なう者は武装し集団を作らねば容易に生き抜く事は出来ない。

 村を、街を造っても、運が悪ければ『影』に襲われる。その為に一夜で潰された街も少なくなかった。


 この街もそんな一つなのだろうか。

 もっとも、街を襲うのは何も『影』に限った事ではない。

 カイは忌まわしい記憶を振り払うかのように小さく頭を振る。


「うん、確かに棲みついている。それはそれで視線を感じるよね」

「おいおい」


 あっさりとした言い草にカイは溜め息をついた。


「お前ね…。俺はお前みたいに鼻が利かねえんだから、そういう事は早く云えっていつも云ってるだろう」

「大丈夫だよ。先刻の以外は陰からこそこそ見てるだけで、全然出て来る感じじゃないし」


 苦言など歯牙にもかけずに目を閉じるその様子に、カイは更に深い溜め息をつく。

 こうなると絶対に耳を貸さない事は長い付き合いで分かっている。また、この新緑の色をした瞳の相棒が大丈夫と云う時には、絶対に『影』が襲って来ないという事も。


 勘などではない。異質なものの存在を感じ取るそれがどんな理由からもたらされるものなのか、本人は知らない。カイもまた、教える気は何故だか起きなかった。

 長く旅を続ける中で話そうとした事はある。だが、その行動を止める何か、声を止め、意識を反らそうとする何かが自らの裡にある。その理由をカイ自身分からずにいた。


「カイ、あそこに登ろう。ここからじゃよく分からない」


 サクが指したのは、見渡す限りで一番高さを保っている塔。人が住む為のものだったらしいそれはかなり頑丈に造られていたのだろう、随分崩れてはいるが元来の姿を窺う事が出来た。


「本気…なんだよな」


 思わず問い返したカイにも、そこには『影』が潜んでいる事が分かった。邪悪な気配とも云える暗く重たい空気に加えて生臭く鼻腔をつくものがある。


「おいこら、サク!」


 お構いなしに歩き出した背中に鋭く舌打ちをすると、カイはライフルを片手に後を追う。


「ちょっと、そりゃないんじゃないのか?」


 肩を掴まれて立ち止まったサクは思案気に頭上を見上げていたかと思うと、くるりとカイを振り返った。


「試してみたいんだけど、いいかな」

「ああ?」


 何を。顔を顰めるカイに、サクはぺろりと舌を出す。


「先刻のはまぐれかもしれないんだけど、すごく出来そうな気がするんだよね。でもそうすると、カイは一人で『影』を相手にする事になるかも」


 何が云いたい。いらいらとカイは相棒を見下ろす。


「『影』に相手はいつも俺の仕事だろ。いいから何の話なんだよ。分かるように」

「見てて」


 カイの言葉を遮りにっこりと笑うと、サクは踵を返して地面を蹴った。

 跳躍。それも並のそれではなく、次の瞬間サクは遥か頭上、塔の屋上に立っていた。


「カイーっ 気を付けて来いよーっ」

「…か、勝手な奴」


 サクの纏ったケープが翻った瞬間、カイの記憶を何かが過ぎった。

 瞬きすると消えてしまったそれが何だったのか分からないまま、彼は呆ける時間を惜しみ塔の入り口へと向かう。並の人間に出来る事と云えば、立ちはだかる『影』を排除しつつ上を目指すしかない。

 

 サクの行動自体には驚いていない。それが出来る事をカイは知っていた。ただ、それを彼が自発的に行なった事に驚きを感じている。


「…まだ、早い。全てを失くしてから気付けばいい」


 微かに動く口許から洩れる呟き。本人の意識には触れないそれは、風に攫われて消えた。


「しっかし、奴等が上に向かって行くとかは考えないのかね、あいつは」


 間に合わせるからいいけど。独りごちたカイは、低い唸りに反応してライフルを打ち込みつつ駆けだした。

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