2.砂の国 ―1
熱く、熱く、焼けるように。
凍てつく夜を越えて灼熱の色を宿す、そこは砂漠の国。生ある者を拒絶しているかのようなそこにも生きる術はある。
切り出した岩で築かれた砦の中に彼等は住まう。褐色の肌に赤銅色の髪。彼等は自らの事を砂族と呼ぶ。
砦より最奥、巨大な石を組んで造られた城、そこに王がいる。
王とは統べる者。
容赦なく砂を照りつける太陽。その地に生きる者達の血もまた同じ。血を好み、戦を欲する。力こそが自らの価値と信じる彼等の道標となり、また最も畏怖される者であった。
砦の外とは比べ物にならぬ程、心地よい暑さ。特に城の中はそこが砂漠の真中にある事すら忘れる程の穏やかな空気がある。それが王の力であることを知らぬ者はこの国にはいない。
風通しの良い回廊を男は歩いていた。
その長身を包んでいた鎧は既に取り払われている。
律動的な足音と共に現れた彼の姿に、扉の前に立っていた衛兵が身を退ける。軽く頷くと彼はその扉を開けた。
「おかえり、イラカーザ」
つられて笑んでしまいそうな程の笑顔で迎えられ、長身の男――イラカーザは深く吐息をついた。
将軍イラカーザ。負け知らずと謳われ、最も王の信頼を受ける腹心である。遠征から戻り体を休める間もなくやって来た彼の勢いを迎え入れた瞬間崩し去った彼の主は、頭を垂れるその姿を邪気のない笑顔で見ていた。
「…只今戻りました」
「その後の処理は?」
長椅子に座りながら、王は首を傾ける。
「順調に。…すべて始末致しました」
イラカーザの言葉に王は興味薄げに頷く。
「莫迦な奴等だ」
呟きは小さすぎてイラカーザの耳にも届かなかった。
戦いを好む砂族は、度々他族を襲う。深刻な背景は何も無く、欲求に従いその領域を広げる。ある時は侵略、またある時は殺戮。今は国として領地を作りあげた彼等だが、その昔は盗賊を生業とする部族であった。
イラカーザは仲間達の変化に戸惑いつつも、その戦いの指揮を執り続けた。
彼には、砂族の中で守り続けるべき立場があったのだ。
「王、私が云いたい事はお分かりですね」
肘をついて寛ぐ王を前に、イラカーザはもう一度吐息した。
「無茶は控えていたつもりだけど?」
静かなアルトの声は穏やかな微笑みと共に彼の臣を包む。
イラカーザは膝を折ると王の顔を覗き込んだ。
「何故、追われたのですか」
王自らが、それもたった一人で。
イラカーザの瞳に映るのは、十代半ばの少年。その若さは見かけだけのものであり、それを侮り命を失った者を彼は数多く知っていた。
「他愛のない、街だった筈です」
砂族が街を襲った時、王は城でその様子を眺めていた。彼は遠く離れた景色を呼び出す事が出来る。
血飛沫が飛び交い、多くの肉塊が通りを埋めていた。抵抗する力もないかと興醒めしかけた時、それはその中に現れたのだ。
家の中から飛び出して来た子ども。五歳にも満たないであろう、母親らしき亡骸に縋り付くその頭に振り下ろされたのは、少年の頭蓋骨など一振りで粉々にするだろう幅広の剣。
それを寸でで弾き飛ばしたのは、何処からか現れた現れた若い男。
決して逞しくないその男は、彼の倍以上の重量はあるだろう砂族の兵士を蹴り飛ばす。
その姿を見た瞬間、王は迷わず自らをその景色の中に飛ばしていた。
「王!」
突如現れた王の姿に、砂族の者は歓喜の声を上げる。この襲撃の結末は既に見えていたが、王がその場に立つ事など暫くなかったのだから。
その隙を衝くように、若い男は子どもを抱いて地を蹴り宙を駆ける。引かれるようにその後を追ったのは王であった。
「随分と遅いお出ましだったじゃないか。ここはお前の護るべき土地なのだろう?」
追って来た少年の口から打付けられる言葉に男は眉を顰めた。
「…君は、奴等の仲間?」
敢えて聞いたのは、見掛けでは判断出来なかったからだろう。白金の髪に透けるような白い肌。砂族とは似ても似つかない。
王はそれを鼻で嗤う。
「そう、見えるか?」
足が地を蹴る。男は抱いたままの子どもを庇うように飛び退った。その足が再び地に着く瞬間を狙い定めたように、他方向から気の塊が叩き付けられる。一度は躱したように見えながら、唸りを上げて方向を変えたその一つを背中からまともに受け、男は呆気なく失神した。
「…お前の意思で、選んだんだ」
子どもを男の手から奪い取ると、泣くのも忘れて恐怖に目を見開くその顔を掌で塞ぐ。
小さな体が力を失うまで、そう時はかからない。
王が手を外すのと、爆風が起こったのは殆ど同時であった。
「やって、くれる」
爆発したかのように思えたのは、意識を取り戻した男が王の周りの地面に向けて気を叩き付けた為に起こった空気の煽りだった。
身を切り裂く程のそれから王が躰を庇った隙に子どもを抱えた男は、瞬間その場から姿を消した。
「王!」
駆けつけたイラカーザは王の姿を見て声を荒げる。
鎧を着けていなかった衣服は破れ、そこから覗くのは明らかに傷を負った肌。
「大した傷じゃない。…先に戻るよ」
云うが早いか、王は姿を消す。
空間を移動する事など、砂族では王以外の者は誰も出来ない。イラカーザは兵の一人に後を追うよう指示を出し、事後処理を済ませてやっとの事で城へ戻って来たのだった。
「傷ならもう癒えた。私があれに負けると、そう思ったのかい?」
王の言葉にイラカーザは頭を振り、微笑む王に向けた顔を曇らせた。
「随分と意地の悪い事を仰る」
「あれを逃がしたのは、わざとだよ」
王の、少年の表情が僅かに変わる。あどけなさが消えた目は細められ、薄い唇の端が上げられた。
「それにあの子どもは使える」
挑むように瞳は遠くを見ている。イラカーザは問い返さずに次の言葉を待った。
「幕はもうずっと昔に開いていた。だが、やっと始められる」
「…何処かに攻め込むと?」
くすりと漏れる笑み。王は臣を見上げた。
「攻めはしない。今度は私が…お前は見ているといい」
「陣頭に立たれると仰るのですか」
不可能ではない。王が自分など足元にも及ばぬ程の力を操る事をイラカーザは知っている。記憶が薄れそうな昔、主は今と同じ姿で自分の命を救ったのだから。
だからこそ、あの男に傷付けられたのを見て憤りを感じたのだ。
「だから違うって云ってるのに」
苦笑を浮かべ、王は片方の掌を広げた。
そこに現れるのは幻影。深い、緑の森。
「私は私の遣り方で。獲物はもう決まっているからね」
うっとりと見詰めるのは、その自らが創り出した遠い景色。
それ以上声を掛ける事は躊躇われ、イラカーザは無言で頭を落とした。




