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6.禍 ―4

 ざわめきと共に息吹の叫びを感じた彼は、その場から息吹の森へと飛んだ。


「…みず、き?」


 小さな声に振り返ったそこにいたのは、半身を血に染めた息吹だった。右肩から先が不自然にぶら下がっている。彼女はそこから溢れる血池に蹲っていた。


「息吹っ」


 駆け寄ったが、再び声は聞こえてこない。目は開かれない。


「―――!」


 声にならない悲鳴に共鳴したのは柊の叫び。ぽとりと頭上から落ちて来たのは石――樟であった。

 森が揺れ崩れてゆく中で、水城は身動ぎもせずに息吹と樟を抱える。


「自分から森を出て来るとは、間抜けだなあ。何の為に息吹が一人でいたんだか、分からねえよ? それ位の分別があると思っていた俺は、ただの親莫迦かねえ?」


 全てが砂と変わる中、立っていたのは男。

 随分前に死んだはずの守人の一人。一族を背負う者の一人。

 何より、大地が持つ慈愛の深く穏やかな事を水城に教えた男。


「…滝津瀬?」


 逞しい体躯は変わっていない。その腕も、衣服に包まれた胴も。だが、その表情は。


「生きていたのが不思議か? 残念ながら、死に損なったんだよ」


 くくっと嗤いが洩れる。その見た事もない表情は、水城の背中に冷たいものを流した。


「――種石はこの通りだけどなあ!」


 左手の甲を見せられて、水城は言葉を失う。

 そこには石が埋まっていた。種石が石となり、そのまま甲に宿っている。


「こいつは俺をおいて、一人で死んじまった。なあ、何故俺達だけが、こんな風になる? そんなのは許されない。皆、同じように死んじまえばいい!」


 ――狂っている。汀が云った言葉、あれは滝津瀬の事だったのか。


「今までの、全部あんたがやったのか? 長老も、汀達も…深雪も、皆お前が殺したのか?」

「お前で最後だ!」


 叫ぶなり、滝津瀬は跳んだ。水城はそれを寸でで躱し、砂の上に息吹を横たえ頭上を見上げる。


「柊!」


 自らの持ち場でない上に、森が消滅した大地では種石なしの力はあまりにも弱い。応えて柊は水城の額へと降りた。


「無駄だ。お前は自分の森を出るべきじゃなかったんだ! もう遅いがなあっ」


 言い放ち、振り上げられた滝津瀬の掌から力の塊が放たれる。

 滝津瀬にこんな力があっただろうか。水城はそれを交差した腕で受け止めながら、歯を喰いしばった。


 …静かで、優しい瞳だった。いつも和むような笑顔で包んでくれた。争う事のないこの土地が、一族が好きだと云っていた。

 寡黙で大きな彼と、勝気で華やかな深雪の睦まじい姿すら、つい昨日の事のように思い出せるというのに。


「滝津瀬ええ!」


 搾り出す叫びの分だけ反応が遅れる。崩れた体勢のまま堪えるには、何度も衝撃を受け過ぎていた。

 砂に強く叩き付けられ、一瞬呼吸が止まる。


「最後のお前は、他とは違う。…この苦しみに耐えてみろ」


 残酷な笑み。片手で首を押さえつけられ、伸びて来るもう片方の手を避けられない。手も足も動かなかった。


「柊――――――!」


 滝津瀬の指が戸惑いもなく種石にかけられ、その腕が力任せに引かれる。

 引き剥がされた柊と水城の意識が瞬間絡み合い、闇へと吸い込まれてゆく。


 滝津瀬の嗤い声を間近で聞く者はなく、いつまでも続くそれは砂へと染み込んで行った。







 「狂っていようがいまいが、お前は許されない事をした。知っていた筈だろう? 皆が砂に還る事をどれ程望んでいたか!」


 カイに羽交い絞めにされながら叫ぶサクは、一瞬滝津瀬の表情が引き締められるのを見た。右手がゆっくりと左手を包む。その甲にある、亡骸を慈しむように。

 正気を取り戻したのかと思った途端、そこに浮かんだのは露わな侮蔑。


「だからこそ、だ」


 サクの中で、何かが弾け飛んだ。


「…カイ、離して。これは違う、滝津瀬なんかじゃない。これ以上は嫌だ」


 逆らい難いものを感じてカイは腕を緩める。


「滝津瀬」


 口許を上げて、笑顔をつくる。口の端が震え、泣き顔にも近いそれを滝津瀬は無表情のまま見ていた。

 

 あれから十年。滝津瀬の森が消えたのは、もっとずっと前の事だった。狂気がもたらす憎しみの中で大切だった人達にそれを向けながら、たった一人で。


「忘れてしまった? …それでも僕は、貴方が大好きだったよ」


 目を逸らさずに、サクは腕を持ち上げる。

 滲む景色の向こうで、滝津瀬の躰が高く跳ね上がった。

 振り下ろした腕を握り締めて、滝津瀬に歩み寄る。膝をつき、手を伸ばしてその亡骸を抱いたサクはあまりの軽さに瞠目する。


 何故、死んだ種石が石となったまま体から離れなかったのか。

 その種石から流れ込んだ感情が滝津瀬の精神を壊してしまったのだろう事は想像に難くない。

 許すにはあまりにも大きな罪を犯した彼を、ただ責める事は出来ない。


「柊…」


 ぽつりと口をついて出た言葉にカイとトールが視線を合わせる。

 透明な緑の光が燃え上がるようにその身を包んでいた。滝津瀬との遣り取りが、彼の記憶を呼び覚まさせたのだ。

 サク――水城は砂漠の遥か先を見遣る。


 …やっと実感が生まれた。何故忘れていられたのか。今、とても逢いたい。


「この先にいる」


 存在を感じる。間違える筈もない。

 

 自分を待っている。




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