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1.守人 ―1

 闇に横たわるように広がる樹海の緑。

 樹々を覆う満天の星は、その色を更に深く鮮やかに浮かび上がらせている。

 それを受けて煌めく湖の畔に座った男は、静寂に身を委ねる。


 ――何も、聞こえない。


 見上げても得られるものは、ただ光のみ。

 欲するものは与えられず、男は落胆の嘆息を漏らす。

 

 移した視線の先には、淡い光。

 蒼いその光は細波に戯れるように空中を舞い、男の沈む心を穏やかに浮上させた。


「さすがに、まだ揃っていないみたいだね」

「ああ。お前が最初のようだ」


 唐突に背後に現れた気配に振り向きもせず、男は即答する。

 不意を衝かれたという素振りも見せない付き合いの悪さに、現れた少年は顔を顰めた。


「面白くなあいっ」


 どすんと腰を下ろして腕を組むと、少年はぐいっと胸を反らして口を尖らせる。


「面白くないよ。ダメダメだねっ お愛想でも、わあとかきゃあとか云ってみたらどうなのさ?」

「…と云い続けて長いな。そろそろ何か斬新な登場を考えてくれないか」

「うわっ 可愛くないったら。別にウケを狙ってる訳じゃないんだよ、僕は」


 まったく、厭味なんか云っちゃって。そうぼやく姿に男は苦笑する。

 いい年をして、背後から驚かせるのもないだろう。

 大体にして驚かせようとするならば、空間を移動するその方法はあまりにも常套手段すぎる。

 

 いい年…見た目では男は二十代前半、少年は十代半ばというところではあるが、実際にその年齢であった頃の事など記憶の彼方である。

 その遠大な時間を共に過ごして来たのだ、気配を察する事など容易くて当然だろう。

 男はそう思うのだが、少年の姿をした友はここ暫くというもの男を慌てさせる事に執心しているらしく、度々こういう登場の仕方をする。

 そして、その度に悔しがるのだ。

 男にとって、その姿を裏切る事なく無邪気な行動を取る友人は羨ましくも微笑ましい。


「やだねえ、悟った爺さまは」


 ぼやくと少年は小首を傾げて男を見る。


「報せが遅いから、明日まで持ち越すのかと思ってたんだ。何か問題でもあった訳?」


 男は表情から戯けた色を消した少年に首を振る。


「聞いていない。…報せは何時来た?」

「つい先刻。待たずに出ようとしたところにぎりぎりでね。って事は、成程。(みぎわ)は報せを聞かずにここへ来たって訳だ」

「気になる事があったからな」


 小さく息をついた男――汀を見る少年の視界の端に光が現れ、彼は軽く手を挙げる。

 今も湖上に浮かぶ蒼い光と似たそれは三つ。

 淡く異なる色の光は緩やかに空を舞い、その中の一つが少年の許へと降りて来る。

 掌に乗る程の白い光球は、彼に音を使わずに語りかける。


「有難う、(なつめ)

 

 少年に棗と呼ばれた白い光球は数回揺れると、ふわりと再び舞い上がった。

 三つの光は湖上へと向かい、先に波と戯れていた光と共に踊るように闇を舞う。

 歌うように、それぞれの淡い残像で旋律を奏でるように、軽やかに。


「一応、呼びに行かせたんだけど」


 必要なかったってさ。と少年はにやりと笑った。


「集いは広場だってのに。お前の行動は見透かされてるね、汀」


 云い返そうとした汀の耳に、女の声が届く。

 視線の先に現れたのは二つの影。声の主が先に立ち、続く男を急かしている。


「意外性に欠けてるわね、二人とも」


 腰に手を当てて見下ろす女の第一声である。


「…深雪(みゆき)、それは僕も入っちゃってるの」


 心外だと呟いた顔に、深雪はにっこりと笑顔を近づける。


「ちゃあんと、ここにいるじゃない?」

「…お前達だって来たじゃないか」


 明らかな負け惜しみに深雪は腰まで届く銀の髪を掻き上げ、ふふんと笑う。


「絶対、二人揃ってると思ったのよね」


 絶対、の力の込め方に少年は頬を膨らませた表情で抗議するが、深雪は意にも介さない。


「報せを待ち切れなかったんでしょ」

「ちゃんと聞いてから来たよっ」


 バチッとはじけるような音がして、深雪の髪先が跳ねる。

 一瞬の沈黙。跳ねた髪を摘んだ深雪は少年に一歩近付いた。


 うわ、やば。

 少年は呟くが謝る間合いは与えられない。深雪の怒りモードへのスイッチは切換えが速いのだ。


「また、やったわねえっ?」


 右手を一振りすると、その勢いに煽られたように少年に向かって行ったのは、氷の粒。


「いててっ」

「人の自慢の髪焦がしてただで済むと思ってんじゃないわよ!」

「可愛いもんだろ、静電気だと思えばっ」

「思えないわよ! そっちこそ氷漬けにされるよりマシだと思いなさい!」

「感電するよりマシだろーっ?」


 どこまで本気で突っかかり合っているのか分からないような戯れ合いを横目に、汀は深雪の後ろで止めるでもなく傍観を決め込んでいるもう一人の男を見上げた。


滝津瀬(たきつせ)、広場には行ってみたか?」


 殆ど真上を見上げるような姿勢に、滝津瀬は膝を折る。

 逞しい体躯に不釣合いな程の穏やかな瞳が柔らかく細められた。


「いや、まだ刻も早い。…と云うか、その前に深雪に捕まったからな」


 くくっと漏れる笑い。滝津瀬はエスカレートして喧嘩に発展しそうな気配の二人に手を伸ばし、深雪の腕を引いた。


「人聞き悪いわねえ。どうせ、広場より先にここへ来るつもりだったでしょ」


 膝に乗せられ軽く睨んだ深雪だったが、喧嘩の仲裁には成功している。

 二人の仲睦まじい姿は、仲間達にとって珍しいものではない。服に付いた氷粒を払いながら、少年も滝津瀬の隣に腰を下ろした。


「…で?」


 不意に空気が改められる。その姿よりも大人びた本来の表情で。

 それは彼が何を問いたいのかを十分に語っていた。

 汀が自らの好む水場――一族の長の森の中で最も星の光を受けるこの湖で、何を求め考えていたのか。

 汀は答えを出さないまま、湖面へと視線を移す。

 そこには自分達と同じ数だけの光が舞っている。その下には瞬く星。


「星の声が聞こえた気がしたんだ」


 天を仰ぎ見ての言葉に、三人は軽く目を瞠る。


「ああ、違う。老は健在だ」


 友の先走りを制するように小さく笑った汀は、ゆっくりと息を漏らして彼らを見た。


「胸騒ぎがした。それで、ここへ来た」


 汀が持つ力の中で最も強いのは水が由来のものである。

 長老の力を受けた湖ならば、彼の跡を継ぐ自分への手助けをしてくれるのではないかと考えたのだが、それに報いる声が再び降りて来る事はなかった。


「胸騒ぎというなら、確かに」


 滝津瀬が低く呟く。

 だからこそ。それを感じたからこそ、四人の筆頭である汀がいるであろうこの場所へと足を運んだのだ。

 頷く三人に、汀は目を伏せる。


「――老は長くないな」


 そこに流れたのは、驚愕ではなかった。だが、動揺を隠す事は誰にも出来ない。


「すぐに、という事ではあるまい。しかし、そう遠い事でもない。俺が聞いた声は、老に語られたものだったんだろう」


 その声は長老のみが聞くべきもの。

 それを次期長老と定められている汀が感じ取った。それは、代替わりの時が近付いている事を証明している。


「でも、早過ぎる」


 眉を顰めたのは深雪。常からの白い肌が青味を帯び、声は震えを抑えきれない。

 ある程度で姿の成長を止めてしまう一族の中で、長として選ばれた者だけがゆっくりと老いてゆく。

 それが長老と呼ばれる所以なのだ。

 長の姿は老いた後に再び時を止め、更に長い年月を過ごす。

 しかし、現在の長老はその姿を止めてから、未だ百の年も数えていない。

 

 支えるように深雪の肩を抱く滝津瀬もまた、眉根を寄せている。


「長の寿命としては、確かに」


 過去の長老達と比べたならば、半分にすら届いていない。

 汀は思案気に指を口許に寄せた。


「だが、今の我々には先を知る力はない。こればかりは、長に尋ねる他に道はあるまい」


 立ち上がった彼等の足取りは重い。

 何故この時に気付かねばならなかったのか。喜びに満たされるべき集いを前にして。


「皮肉なものだな」


 嘆息を抑えきれない少年の肩に手が置かれ、彼は間近に寄せられた友の顔にある自らと同じ表情に、弱く微笑んで見せた。

 思いは、同じなのだ。

 四人は長老に育てられた。大きな力を持つが故に、いずれは一族を率いる者達として。

 自分達の出現は、現在の長の生命がいつか終わる事を示唆していたのだ。

 それを痛切に感じる時が来てしまった。


「…長が戻ったな」


 見知った気配に汀が顔を上げる。


「朗報を持って、ね」


 深雪の堪えるような笑みに滝津瀬が頷き、三人の顔を見渡す。


「――――一時、一時だけ忘れよう。今夜は喜びの為に皆が集っている」


 その言葉は、無言によって受け入れられた。

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