5.守人-2
「…汀」
呼びかけられた男は、自らの前に手を翳したまま瞳を伏せていた。手の周りには心持ち冷たい空気の名残りが見える。
「…取り乱した。すまない」
「どう――――」
どうしたの。その問いは口を出て終わる事はなかった。
「深雪の事は聞いたか」
「まさか、見て来たの?」
この僅かな冷気は、北のそれなのか。
「ああ。だが、連れては来られなかった、深雪は。お前に侘びなくてはならないな」
「汀…?」
汀の前に回りこんだ水城は、彼の瞳が光を失っている事に気が付いた。
何も、見えていない。
「守人は、もうお前と息吹だけだ。面倒を残してしまった」
「…面倒?」
「奴を、北から運んでしまった。もう力を変えていたのに。余計な事をしてしまった」
「―――奴?」
僅かに汀の身体が揺らぐ。汀は両手でそれを支えた。
「奴も種石を死なせてしまた。もう狂っているんだ」
「誰の、事」
ゆっくりと汀の右手が上がり、水城の掌にそれが置かれる。
「大丈夫。お前程のちからを持った守人は今までいなかったから。必ず、生きて」
「…汀、駄目だ」
喘ぐような息の中、汀は言葉を続ける。静かな微笑みを口許に浮かべて。
「お前なら、救える。俺達の…」
「――――!」
力を失った躰は形を崩す事なく次第に温もりを失う。水城は樹々が崩れるのを感じた。
「森が」
溶けるように、流れるように緑が崩れ出す。
慌てて汀の躰を抱えて一度地に降りると息吹を連れて空間を飛ぶ。
――全てが砂と化した。
自らの森の上空から水城が見たのは、果てしなく広がる砂漠であった。
「水城、先刻のは」
息吹が現れる。目が覚めてすぐに飛んで来たのだろう、近くに横たえていた汀には気付いていない。その彼女の視線が水城を通り過ぎた。
「な、に…?」
無言で手を差し出す水城に渡されたのは、小さな石。
「これ、長の」
「とうとう二人だけになった」
見開かれる瞳。息吹は小さく首を振る。信じられず、何度も。
「病気なんかじゃない。誰かが、来る」
「誰か?」
「狂っている、汀がそう云っていた」
不意に水城は顔を上げる。息吹の不安を打ち消すように、笑顔で。
「大丈夫、心配しなくいい。それより、汀をせめて土に還してあげよう。種石も一緒に」
水城の持ち場の中で、泉に近い場所を選んで汀は埋められた。砂に紛れてしまわないように、石になった姿で手渡された種石と共に。
「大丈夫、この森は護るから」
呟くと、水城は最後の土をかけ終える。
血の繋がりなど無くとも、家族のように長い時を傍らで過ごして来た。少年の頃初めて出会った時から汀の姿は殆ど変わっていない。長を継ぎ、これから年を重ねてゆく筈だったのに。
兄弟程の姿の距離をおいて水城の成長も止まった。師弟、兄弟、親子。どの言葉にも当て嵌まる。どれを取ったとしても、自分はこの――恐らくはこれまでの守人の長達の中で最も短命となってしまった彼が眠る場所を護らねばならない。
「息吹」
傍らに膝をついた息吹の顔と同じ高さに、自分のそれを持っていく。
「次は君か僕か。危険だから、ここに一緒においで」
息吹の持ち場よりも水城のものの方が危険が少ない。それは守人の力の差。源の力が大きい程、大地は自らを護る力を持っている。
水城がそこに存在する限り、現在の彼の持ち場には異端者は立ち入る事すら出来ないだろう。汀が息吹を、水城の場所へ向かわせたのもそれが理由だと水城には分かる。
「…あたしも守人なのよ」
にっこりと息吹が笑む。
「確かにそれがあたしにとって一番安全なのかもしれない。でも、あたしにも護らなきゃならないものがあるから」
言葉を遮ろうと息を吸った水城の首に腕を回す。
――愛しい、愛しい人。
「今戻らないと、あたしはきっと二度と戻れなくなる。あそこは誰にも壊させない。それが愚かだと分かっていても、あそこを護るのはあたししかいないの。…砂になんて、させない」
「じゃあ、一緒に」
不可能だと分かっていても、つい出る言葉。守人がいない大地は、比べようもない程その力を弱める。それを知っていても。
「水城、分かってるくせに。一番を間違えてる」
射るように覗き込まれた瞳がふと、和らぐ。
「砂漠にも。緑は生まれるのよ」
水城の指が頬に触れ、息吹は瞳を閉じる。
「忘れないで」
――離れたくない。離したくない。
水城は彼女に触れる自分の全てにその想いを込める。
――失いたくない。
「…怖がらないで」




