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4.緑の民 ―3

 遠くで、人の叫び声――怒鳴り合う声が聞こえた気がして、少年は目を開けた。随分深く眠っていたらしい。陽は高く昇っている。


「母さん?」


 いつもならばこんな時間になる前に彼を叩き起こすであろう母親を呼んでみるが、応えはない。少年は目を擦りながら起き出した。


 ――そう云えば、先刻の声は何だろう。


 夢であったにしては、生々しく耳に残っているし、幾つもの声が混じっていた。

 扉に手をかけた途端、反対側から勢いよくそれが開けられる。飛び込むように入って来た為に少年を避けきれずにぶつかったのは、同じ村に住むセティオだった。


「トール! リストール! 聞いたかっ?」

「…おはよう、セティオ。何をさ」


 少年――リストールが床についた尻を擦りながら問い返すと、セティオは焦れるように拳を振り回した。


「隣の村が無くなったんだよ!」


 未だ寝惚けがすっきりと抜け切らないリストールは首を傾げる。


「村が? 何で」

「もう、起きろってば! この前来た商隊の親爺が云ってたろ? また森が砂漠になり始めたって」

「――ああ。うん、云ってた」


 少しずつはっきりとしてくる思考で、リストールはここ暫くの間に広まった噂を思い出す。

 彼が幼い頃、世界に広がっていた森の多くが砂漠になってしまうという異変が起きた。

 少ない情報を集めた結果分かった事は、その異変はもっと前から起こっており、何とか維持されていたのがこの村を護る人の森だけだったという事。

 それだけでも大した広さではあるのだ。その人は大地を護る一族の中で最も広大な土地を護っていたのだから。

 砂の侵食は今も続いているらしい。誰から聞いたのかもはっきりしなかったが、商人達の言葉は人々を動揺させるのに十分過ぎる程であった。


「…どういう事だ?」

「だから、とうとう順番が来たんじゃないかって、皆云ってる」

「順番?」


 セティオはリストールの腕を掴むと外へと駆け出す。大人達の喧騒を避けて向かったのは村の外れだった。


「村が砂になるのがどういう事か、知ってるだろ?」

「護りがなくなった時」

「俺達が生きてる、この森が残ってるって事は、あの人が今でも生きていて俺達を護ってるって事だ。皆そう云ってたよな」


 息を吸うのももどかしそうに言葉を繋ぐセティオを見て、リストールは村の混乱ぶりが想像出来る気がした。

 いくらいつもは楽観的な希望に縋っている大人達でも、深刻な問題を目前にしてはそう構えていられる筈もない。

 だが、こんな小さな村の中で一体どんな解決が得られるというのか。


「今朝から大人が皆集って大騒ぎだよ。あの人に何かあったんじゃないかとか、見捨てられたんじゃないかとか」


 ――やっぱり、そうやって騒ぐのか。


 リストールは木々に隠れて見えなくなった村の中心に視線を向ける。


「殆どは皆、もうすぐあの人が来てくれるって信じてるみたいだけど」


 そう云い続けて何年過ぎた事だろう。

 溜め息をついたリストールは、次の呼吸をする前にその場に足を止め、瞠目した。

 突然目の前に現れる砂、砂、砂。


 ――こんなにも、近付いている。


「あの人は知らないんじゃないかとか、思った事ないか?」


 あの人の足が途絶えてから随分経つ。最後に見たのは、少年達が四、五歳の頃だった。


「皆待ってるだけで十年とか我慢してるけど、だからまたここにきて慌てるんだ」

「トール?」

「捜しに行けばいいんだ。今でも僕等が待っている事を、知らせればいい」


 リストールの言葉にセティオは首を振る。


「冗談じゃない。あの人の土地がどんなに広いか知っているだろう? 大人だって行き来できるのは二つか三つ隣の街までだ」

「誰がそう決めたんだ? 皆怖がってやらないだけじゃないか。二つ目の街からまた数え始めれば、ここから四つ目はたったの二つ目だよ」


 あまりの理屈に言葉を失いかけたセティオは、それでも口調を強める。


「それに、護りから外れた所では、恐ろしい獣が人を襲っているって云うじゃないか。分かってるのか? あの人は」

「あの人は、自分の森にいるとは限らない」


 幼なじみの言葉を継いで、リストールは口の端を引き締めた。


「じゃあ、このまま砂になるのを怖がってじっとしてるのか? 僕は嫌だよ、そんなのは」

「トール」

「うん、多分反対されるよね。だから黙って行こうと思う」

「…いつから考えてたんだよ、そんな事」


 今思いついた事でないのは分かる。その決断にセティオは眉を顰めていた。


「ずっと前からだよ。ほら、やっぱりどうにも他に手がない時は、助けてってはっきり云わないと。大体、あの人に何かあった時には僕達は気付く間もなく砂になっちゃうんだろ。なら、あの人は必ず生きてる」

「お前、どうかしてるよ」


 心の底から洩れたらしい言葉に、リストールはうんと頷く。

 あの人の生命によって生まれ、保護される事に慣れた民は普通そんな考えは持たない。自分が異端である自覚がリストールにはあり、だからこそ、今までその考えは母親にしか話した事がなかった。


「取り敢えず、護られている所を辿るよ。資金は貯めてあるし、銃も親父のお古がある。後は書き置きをして…」


 ぶつぶつと指を折りながら呟くと、彼は視線を感じて友人を見た。


「セティオ、今日僕と会わなかった事にして。無理なら滅茶苦茶止めたって事にしといて」

「って、本当に一人で行く気か?」

「当然」


 一緒に行こうなどと云うつもりは最初からない。砂になるまで待つよりも早く死ぬ可能性が高すぎる。

 死ぬと云う事がそんな意味を持つのか、実感を伴ってはよく解からない。父親が死んだ時はあまりにも幼過ぎた。きっと大人達は子どものくせに何を莫迦なと云うだろう。

 それでも。


「…僕は、もう一度逢いたいんだ」


 ――初めて見た時、本当に驚いた。こんなに綺麗な人がいるものかと、子どもだったけれど胸が高鳴ったのを覚えている。


「会えると、思っているのか?」


 セティオの言葉に目を閉じ、ゆっくりと開ける。そして彼は笑った。信じていると。


「皆の事を云えないんだ、本当は。絶対に逢えると思って捜す限り、あの人は待っていてくれてる気がするんだ。僕があの人の民である限り、不可能じゃない筈だ」


 それは信仰にも近い、唯ひとつの願いだから。待つのではなく、自分自身であの人に伝えたい。


「僕等はもう要らないのか、聞きたい」


 ――どうして来てくれないのですか。


 自分の心の中は、所詮他の村人達と同じだとリストールは知っている。

 何年も不安だった。世界が変わっていく中、何時までこうしていられるのかびくびくしながら皆生活していた。来るかも分からない救いを待って。

 貴方にしか助けられないのだと、叫び届けたかった。


「セティオ」


 対処に困っているらしい友人を手で急かす。


「どうせ、まだ皆騒いでるんだろ。今のうちに出るよ」

「今のうちにって、おばさんには」


 リストールには母親しかいない。こんな騒ぎの中で一人息子が無謀に姿を消してしまったら。

 慌てるセティオに向けられたのは、にやりとした笑みだった。


「村で一番気が強いのは誰だ?」

「…おばさん、かも」

「大丈夫。母さんは僕の考えなんかお見通しだよ」


 父親が使っていたという銃を丹念に手入れし、何時でも持ち出せるような場所に母親が置き換えたのを少年は知っている。それは、必ず帰って来いという事だと勝手に解釈した。


「それにしても、これからだなんて急過ぎる」

「もう遅いくらいだよ」


 真顔で云い、一呼吸置かずににっこりと笑う。


「また、会えるよ」





 ―――村はまだ、あるだろうか。

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