〃 -Ⅱ
ローラン王国には継承権を持つ王子と王女が一人ずつある。
最も古い国家である王国の王は、マクノイア王。齢五十一。王子はこの時二十三であった。
シンタロウとアキラの所有物となった城が空へと飛び立った日、革命が起きた。
現体制のほとんどを吸収した王子が、父王に成り代わって新たな国王となったのである。マクノイア王の殺害という、最も端的な手段によって。
「世間には、病死とせよ」
全てを秘密にするために、関わった者は勿論、王城に勤める侍女たちにさえ箝口令が敷かれたが、あまりにそれが前準備もない突然の事件であったため、噂は止められなかった。
翌日には城下で囁かれるようになり、数日で領内に波及するであろう。
「妹君は如何なさいましょう」
先王に最も忠実であった大臣が囁いた。殺すべきである。王位を簒奪したということが噂にでも知られれば、向こうは大義を手にすることになる。反乱の萌芽は未然に防ぐべきだ。
幸い、王女は城に居なかった。行楽のため出掛けており、戻る際中である。今から刺客を差し向けて人知れず亡き者にしてしまえばいい。
が、新王は首を振った。
「手を出さなくていい」
ならば追放するのか、と問うても首を振るばかりで答えない。どうすべきか、新王自身にも決断が出来かねるようだった。
無理もない、と大臣すら思った。仲の良い兄妹だった。また、心優しいこの兄王子に妹を殺す命など下せまい、とも思った。
ならばこちらの独断で始末すべきだ。事が済んでしまえば、仮に新王の不興を買い、最悪の場合でも自分の首が胴と切り離されるだけのことだ。国には代えられない。
大臣は夜を待って人を呼び、秘密裏に王女の暗殺を命じた。暗殺者は出発した。
そして何も知らぬ王女と暗殺者が出会い、護衛とぶつかって取り逃したのが、アキラたちの見た光景であった。
逃がしてはならない。この王女の死は、今の国に求められる必須事項なのだ。
刺客髪を振り乱して逃げる王女の悲愴な姿は、傍目にもあまりにも無残で、無分別な者が助太刀することさえあり得た。
ようやくのことで、馬を仕留めた。騎馬戦にも優れるこの勇敢な王女の愛馬が、王城の厩舎に繋がれていることが幸いした。
「くっ!」
倒れた馬はまだ生きている。ただ、尻に矢が突き刺さっているからもう走れまい。労わるように顔の汗を拭ってやり、街道傍の林へ逃げた。
「追うぞ!」
騎馬はいっせいに降りて、王女の後を追う。木々の生い茂る森や林を馬で行くのは危険なのだ。まさか罠もあるまいが、如何に勇ましかろうと女の足に追いつけない筈はない。念のため馬を置いていく。
「ぐ・・・・・・く、う・・・・・・!」
草を踏み、泥に滑り、枝を払い、根に躓きながらも逃げた。
が、体力が尽きた。何度目か転んだ時、既に立ち上がる体力がないことに気がついた。
「ここまで、ですな」
背後から声。とっくに追いついていたのに、諦める瞬間を待っていたようだった。
「オルゲルト、あなた、この私に向かって・・・・・・!」
「ええ、姫様が三つの頃から存じ上げるこのオルゲルトが、貴女の首を頂くのです。許しは乞いません。これが国のためなのです」
「・・・・・・私になにかしくじりがないのだとしたら、父か兄の差し金ですね・・・・・・?」
は、と髭の生えた騎士は頷いた。
「先王は既に亡く、兄王子が新たな王に即位なされました。姫様が生きておいでだと、国に乱を招きます。この世には道理の正しさよりも沿うべき流れがあるのです」
「それが、親殺しを王にする理屈か!」
吼えてはみたものの、訓練された騎士を六人も相手取る武勇も装備もない。ここまでかと歯噛みした瞬間、それは現れた。
「っ!?」
三メートルには、少し届かない程度だろうか。明らかに金属の光沢を見せる、白い体躯。しかし生き物とは違って、顔に相当する部分に鼻も口もなく、目だけが赤く光っている。
突如の轟音と爆風を引き連れて、背中の出っ張りから青い炎を吐き出す人型のそれは、ゆっくりと地面に降り立った。
「な、なんだ・・・・・・!?」
騎士たちが思わず身構える。王女も思わず立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。
(警告なし、威嚇なし、躊躇も・・・・・・なし・・・・・・!)
一方、硬いパワードスーツに身を包んだシンタロウも、全身から滝のように汗を流しながら、覚えたての操作で騎士と王女の間に入っていった。
王女を背中に、騎士たちを正面に向けて。カメラが取り込んだ外の映像に、自動で照準がついていく。あとは、指先の操作一つで胸に装備された小口径機銃が彼らの命を奪う。
「は、は、は・・・・・・!」
過呼吸になりそうだった。心臓が痛いほど大きく早く打って、眼球が飛び出そうな感覚だった。気を緩めると吐きそうだ。涙が、知らぬ間に溢れて顎へと流れていく。
これから、人を殺すのだ。殺されるであろう女を見捨てられないという、純度百パーセントのエゴのために。
「斉射っ!」
「っ!」
極度の緊張状態であったシンタロウの耳に、鋭く響いたのはユリエラの掛け声だった。反射で撃った。その瞬間は、思考もなにもない無我の極致。単に思いがけない声に反応して指の筋肉が動いたという、ただそれだけのことだった。
「が・・・・・・!」
しかし、直後に目の前に広がった光景は違う。
一瞬にして血を噴いて倒れる男たち。甲冑を貫いて胸と言わず腹と言わず、穴を開けられていく生身の人間。鉛弾に貫かれて足元の草や傍の木々を赤く染める光景は、生涯夢に見た。
全身が硬直して、既に立っている人間は居ないにも関わらず小銃は弾を噴き、そのうちにそれも尽きて空撃ちの軽く高い音がいつまでも鳴っている。撃鉄が空振りする音だけが頭に響いて、ようやく人を殺した実感が湧き上がった。
「う、ぶ・・・・・・!」
吐きそうだった。なんとか堪えられた理由は判らない。
心を守るためなのか、もしもこれがゲームだったらレベルアップでもして軽快な音が鳴るのだろうが、現実はなにも変化しないのだと、妙なことが頭に浮かんだ。
「な、なに・・・・・・?」
集音器が背後からの戸惑いの声を拾った。ようやく我に返ったが、もう指一本も動かせそうにない。
「シンタロウ様、おつかれさまでした。回収はこちらで行いますので、しばらくそのままで深呼吸なさってください」
ユリエラの声が遠い。意味を理解する機能さえ、今は働いていない。しばらく呼吸を忘れていたシンタロウは、その声を最後に失神した。