〃 -Ⅱ
誘拐された女性たちは全員無事に保護されたが、事情聴取のための任意同行を拒否した一行は、負傷したレイを収容するなり西へ向かって飛び去った。
「行きがかり上、手を貸しただけです。我々は一切関与しておりません」
ユリエラの言葉を強く否定する材料を持たない騎士団は、最終手段である武力制圧すら出来ずに見送ってしまった。
「俺も、よくは知らん。ただこの中の誰かを助けたがっていたから協力しただけだ」
不幸なことに、事情を把握している者が残っていない。レイは傷と鎮静剤で昏倒したままだったし、カノンは完全に成り行きで事情もよく知らぬままだったから、揃って途方に暮れた。
王都へ引き返すにしても、早馬で来ればよかった行きとは違う。とにかく最寄りの街であるコーザへ向かうことにした。
「こいつらの方が重傷だぞ」
事件に関与していると思しき、護衛の二人と御者は軽くても骨折という重傷だったから難儀した。特に吹き飛ばされた二人のうち片方は虫の息で、どうやら折れた肋骨が肺を突き破ったものらしく、移送中に死んだ。
残った一人も地面に打ち付けられた時に肩を粉砕骨折したらしく、一生左腕は動かないだろう。ただ、この二人も金で雇われただけなので事情は知らないようだ。
御者は、投げつけた骨の欠片で頬骨が亀裂骨折していて喋れるまでに時間が掛かった。
「やり過ぎだ」
カノンは随分と搾られた。一方的に行方不明になっていたとはいえ、まだ団に籍が残っているから当然ではある。
だが、コーザに居るであろうこの荷の受け取り手を拘束することに協力したため、処罰はない。どちらにしろ、この一件が片付けば王都を離れる腹積もりではあったが。
そうしてなんとか事件の全容を掴み、推測も交えて結論を導いたマリレーヌは、冷や汗を掻いた。
(これは、大事ね・・・・・・)
ローランからコーザへ向けて発した荷の中身は酒という申告があった。確かに荷は酒とリンゴだったが、その中に女を詰めていた。どう考えても人身売買であり、その点は充分に検挙理由になり得たが、問題は荷を依頼した人物であった。
稿を随分遡ることになるが、依頼者はヒンメル。マリレーヌ女王即位と同時に挨拶に来た辺境伯、ボルジャックの使者であった。この人物が酒場に依頼して荷を手配したという。
奇妙なのはボルジャック・レイジー伯の領土は南東方向。コーザはローランから見て西である。なにかしらの調略を感じ取るのが当然であった。
(しかしここで罰してはもう尻尾を掴めなくなる。というより、これは本当に・・・・・・)
謀略なのだろうか、とマリレーヌは思う。もしもなにかしらの謀ならば、いったい目的はなんなのか。わざわざ王都から地方都市へ向けて人身売買をすることの意味。
国力を削ぐ――――たかが平民を数名攫う程度がなんになるのか。
コーザへの支援――――右に同じである。加えてこのことが禁酒法を明るみにして王都からの密輸が困難になって寧ろ不利益に繋がる。
伯爵の領土拡張への布石――――国境から王都の傍はさすがに飛躍が過ぎる。仮に同盟を組んで反乱を企てるにしても、事件の規模と利益が釣り合わない。
(・・・・・・これは裁けない)
結局、秘密裏に使者を出した。ヒンメルに向けて、密使を早馬で出して出頭させることにした。全て極秘である。
ヒンメルは、寧ろ待っていたように道中の宿場で逗留しており、自分から名乗り出て王都へ向かった。
その間、マリレーヌは事件の関係者を法務卿の手も借りてじきじきに罰した。酒場は永年営業停止。ノストラ商会は単に荷を預かって輸送しただけだから、三年間騎士団員の監視が送られるだけの軽い処罰を。問題はリイナ伯の領土であるコーザである。
幾ら麾下の領主であっても、領民を捌く権利は領主にある。そこを飛び越しては法の順序が狂う。法務卿自らがそう断じ、リイナ伯爵に連絡を取った。
「こちらの不届き者が王都で働いた無礼です。私にはそれを裁く権利はないでしょう」
伯爵直筆の返書だった。これは、恭順であると言えた。リイナは自分に二心がないということを裁量権を返上することで示し、それ故にマリレーヌもこの不安定な時期に麾下領主を調査するという苦労を負わずに済んだ。
そしてその夜、密使に連れられたヒンメルが人知れずマリレーヌの部屋へ通された。
「なにか、言うことがあるのなら聞きましょう」
ノストラ商会への依頼書、コーザでの調書を投げて寄越し、一言だけ。余計なことは言わなかった。
この点、マリレーヌは単なる司法の遵法者ではない。早くから法務卿に接して実務を学んだこの女王は優秀な行政家であった。
一方、ヒンメルは顔色一つ変えない。それどころか投げられた資料にすら一瞥も呉れず、
「一言だけ申し上げます。それ以外のことは、たとえ五分刻みに切り刻まれようともこの口は開きません」
不敵に笑った。
「我が主にお尋ねください」
マリレーヌは息を呑んだ。
それを見て、ヒンメルはその蛇に似た容貌に鋭さを載せて笑った。虚栄ではない。あの目は、本当に拷問されることも、そこで刑死することも覚悟しているものだと察して、
「・・・・・・こちらも一言だけ返します。主に伝えなさい」
マリレーヌは腹の奥から湧き上がるような怒りを抑えながら、
「一度だけだ、と」
机のコップを飲み干した。空のコップを戻した時、割れそうなほどに強い音がした。
「はっ」
これまでの不敵な様子が嘘のように、ヒンメルは腰を直角に曲げて礼をした。
ヒンメルはその後すぐに辞して、一度も王都に尻を落ち着けることなく馬上の人となり、主の元へ帰っていった。
しばらくの間、マリレーヌは執務室の机に揃えられた資料を忌々しげに見つめていたが、ぐっと奥歯を噛むとそれらを棚に整理した。
ヒンメルの独断ではなく、その奥にレイジー伯の思惑を潜ませ、おそらくはコーザを収めるリイナ伯との共謀であったのである。
リイナ伯はおそらく狡猾なレイジー伯に乗せられただけだろう。いや、立場は対等であり、もしもこちらがしくじった時の利益を受け取る側に立っただけかもしれないが、首謀はやはりレイジー伯であることがはっきりした。
確証はない。それらを得るために踏み込めば、おそらくレイジー伯はマリレーヌの治世を疑って遠からず離反するかもしれない。
婦人たちの誘拐は、レイジー伯がヒンメルに与えたもう一つの王都での役割だったのだろう。そしてこれらを明るみにするだけの統治力があるかを試し、更に明らかにした後に麾下の領主に対してどのような対応を取るかを見たかったのだ。
このことから察するに、ボルジャック・レイジーという男は謀略好きで、それも並大抵な好きではなくちょっと狂っているような、ある種無邪気なほどに謀略に熱中する性質なのだろう。そうでなければ正気でこんなおかしな謀は巡らせまい。
「リイナ伯も気の毒な」
リイナ伯はずるい。レイジー伯の企みを、持ち掛けられた時はおそらくにべもなく蹴ったであろう。露見させるための事件など馬鹿馬鹿しい。もしもマリレーヌが直情型の石頭であった場合、二人とも責を問われていた可能性もあるのだ。
しかし配下の者(これも元を辿ればレイジー伯の息が掛かっているかもしれない)切り捨てることで保身は万全、上手く転がれば元手要らずで奴隷が手に入る。この仕組みを持ち掛けられて乗ったに違いない。
こちらこそ卑劣漢と思うが、レイジー伯の謀略好きに比べればまだ理解できるだけ可愛げがある。
そうしてマリレーヌの器量を確かめ、意に添わなかった場合は持ち前の謀略でローランを相手取って戦うために周辺と共謀を始めていたかもしれない。
そういう意味で、上首尾であった。これでボルジャック・レイジーに借りを一つ作れた。謀略好きの人間が腹に忍ばせておくべき誠実さがきちんと備わっているのなら、味方として頼れる筈だ。持ち合わせていなければ、いずれその謀略で自らを滅ぼすだろう。
しかし、そのために弄ばれた女たちは哀れである。同性だけにその苦しみがある程度は察せられて、決して愉快な気分ではない。更に言えば、こちらが頼れると判ればより連帯を強められるという思惑もあったに違いないから、向こうの掌の上であることも不快だった。
(もしも、兄上なら・・・・・・)
どうしただろうか。あの穏やかな兄が王のままだったなら、どんな判断をしたのか。
(気持ちが弱っているのか。もう居ない人を当て嵌めるなど、これで王とは笑わせる)
女王として、考えねばならないこと、やらねばならないこと、やってはいけないことなど山ほどある。それらにいちいち神経を尖らせ、頭を使い、肉体を削ると考えると弱気にもなろう。
未だ年若の身なれば当然だが、位はその弱さを許さない。
自分の選択が国の選択。国の選択が民の生死を分かち、民の生死が国の寿命を決める。その双肩に、最も古い国とこれまで生きた者の作った文化、そしてそこに生きる者の命が掛かっている。押し潰されそうな重圧だった。
王にも様々な生き方がある。その重圧に立ち向かうも王ならば、その重圧を無視するのも王である。が、憧れた父と親しんだ兄が目指した王は、おそらく前者だろう。
(・・・・・・アキラ)
ふと、あの城の主が浮かんだ。誰のものでもない空を領土とし、最も強大な軍事力を持つあの城主は、既に旅立ってしまった。
惜しかった。それはアキラの持つ軍事力を背景にしたいという意味だが、旅立ったことに対して安堵もしていた。背景にした軍事力に踊らされる危険性がなくなったからだ。
だが寂しくもあった。それは、どういうことだろう。
(貴方は、私と同じ王なのか・・・・・・)
目的は知らない。出自も知らない。なにも知らないが、もしも知ろうとしたらどうなっていただろうか。あまりにも違う価値観を理由に忌避感や嫌悪感に近い恐怖を抱いたが、もしそれらを捨て去って最初に語り合ってみれば、理解出来ていただろうか。
意外と人間らしいことも後から知った。こちらの思惑を十分に外すことが出来ない不器用さも後で知った。しかしその頃には、立場が個人の関係から自由を奪っていた。
(もう休もう。こんなことを考える頭ではもう働けない。彼は私を拒否していたし、私も彼を否定していた。それだけのことだ)
また会えそうな予感がしたが、父と二度と会えないことを予感できなかった自分のことだから信用は出来ない、と自嘲して夜着に着換えることにした。




