〃 -Ⅲ
多くのしくじりは、慢心と焦りから生まれる。
レイは繊細な少年である。空を飛ぶ乗り物を手に入れたから、と安心することはなかった。寧ろそれを以てしても事故を恐れて進みが遅いことに焦れた。
(もう少しくらいなら)
と、不慣れなことは自分でも判っていたが、焦りのあまりつい速度を出し過ぎた。とはいえ、この程度ではネリィの言っていた空中分解などは起こらない。
本来ならば。
「え・・・・・・?」
防護服が厚かったことも、この時は災いした。些細な音の変化を聴力で感じ取ることが出来ず、骨組み自体が悲鳴をあげていることに気がつかない。
枝との接触事故である。速度のために耐久力を犠牲にした骨組みは、衝撃にこそ耐えたが確実にダメージを受けていた。それが、速度を上げたために空気抵抗で軋み、そこから折れた。
「う・・・・・・!」
叫び声を上げる暇さえなかった。せめてもの幸運だったのは、先代が空中分解を起こしたことから、致命的な傷を受けた際に自動で墳進材を切り離す措置をネリィが取っていたことだった。
これで、誘爆はしない。背中のタンクがいち早く落ちて土煙を上げ、それに遅れてバランスを失った骨組みがレイを乗せたまま落下した。
下は森である。高度は三十メートル。どうせ目標は地面を歩いているのだろうから、それを見つけるために下げていたのも幸運だった。
枝がクッションになった。幾ら防護服でも急転直下では助からなかっただろう。あまり太く成長したものがなかったのもよかった。幾つもの枝を圧し折りながら、しかしそのたびに僅かずつ落下速度は殺され、地面に激突しても命は保たれていた。
「か、は・・・・・・!」
息が出来ない。呼吸困難で昏倒するまでの数秒、激痛で頭が真っ白になった。
左脚の大腿骨と左腕の橈骨が骨折、右手首が亀裂骨折、落下の衝撃で左の鎖骨と下側の両肋骨が合わせて三本折れていた。
野生している獣は、落下の衝撃と音に恐れて逃げ散った。ことにタンクはその重さのために地面にめり込むほどだったから、しばらく戻ってこない。
が、魔物がある。以前にも登場したこの生き物は、生態の詳細が判っていないことと、人間に近い知性があることが条件で分類される。
知性とは好奇心の裏返しでもある。危険がないと判ると、その衝撃と音の原因を探りに来て、そこに抵抗できない生き物が横たわっていたら、やることは一つだ。
ちょうど、毛むくじゃらの魔物の群れが近寄ってきた。
二足歩行である。腰を屈めたように動き、顔は猿よりも犬に似ている。それが、昏倒したレイの傍に集まってきた。
「グ、ゥ・・・・・・」
人語を発するかどうかは魔物の種類によるが、人に理解させるべき場面以外で人語を発する魔物は少ない。獣に近い魔物は同種に対してひどく簡素な発生で意思疎通をする。言葉と言うよりも信号に近いのだろう。
群れらしき魔物が低く唸ると、遠巻きに囲った魔物がゆっくりとレイに近づいていく。反応がないことを確認すると、他の数匹も近づいてくる。
「ゥ、ガ・・・・・・」
鋭い爪は、ひどく不潔だった。その爪が防護服に包まれたレイを一度つっつき、無反応を再度確認すると群れは食事の気配を感じ取った。
「ゲ・・・・・・!」
しかし、涎が滴るよりも早く血が噴いた。
レイをつっついた魔物の手首が落ち、噴き出した血がレイのヘルメットと地面に飛び散った。
痛みよりも熱い、という感覚だろうか。思わず欠損した手首を抑えようとした魔物の首が、人形の首が落ちるようにして落ちた。
「ガガ・・・・・・!」
群れの長らしき魔物が吼えた。彼らの動体視力でかろうじて捉えたのは、影だった。そして同時に、ひらひらとなにか赤いもの。
動くものを目で捉える場合、余程引きでなければ遅い方に焦点が合う。そうなると、それよりも早く動いているものは更に捉え難くなり、捕捉は困難となる。
ひらひらした赤いものを捉えた瞬間、影は見えなくなった。そしてその影たちは、瞬く間にレイを囲む魔物の首を墜としていった。
「ゲウ・・・・・・!」
長は撤退を命じた。言われずとも群れは既に散っていた。この場に留まると命が危ういということを、それぞれが本能で自覚した。それでも号令を発したのは、群れの長たる矜持であったのか。
しかし、それを影は見逃さなかった。
長の足になにかが突き刺さった。尖った鉄が両足と地面を縫い付けて動きを封じ、そのために視線が下を向いた瞬間、首が落ちた。
僅か数秒の出来事だった。辺りにはむせ返るような血の臭いが漂って、平衡を司る脳から切り離された魔物の体が棒倒しに倒れた。
影は落ちた魔物の首を拾い集め、周辺の木に打ち付けた。血の臭いに釣られて集まった獣たちが逃げ出すほどに、恐ろしい容貌の顔で囲めば、誰もここには近づくまい。
それらの作業を終えた影はレイの防護服を、開腹手術のように切って脱がせ、出来るだけ頭を動かさないよう、頽れた姿勢を直してやる。
見ただけで、レイは骨折していることが判る。首に巻いていた赤い布を裂いて添え木をつけて固定し、簡単ではあるが応急処置を済ませる。
「う・・・・・・!」
処置の間、痛みに呻くたびにびくり、と手が止まり、目が覚めていないことを確認して再開する。腕と脚が終わった時、その激痛で意識を取り戻した。
「あ、ぎ・・・・・・!」
全身が痛む。焦点の定まらない目が、自分を覗き込む顔をぼんやりと映した。
(だれ・・・・・・? ねえ、ちゃん・・・・・・?)
ゆっくりと焦点が合うと、似ても似つかない。まったく知らない顔だった。いや、首に巻き付けた赤い布で口と鼻の下辺りが隠れているから容貌ははっきりとは判らないが、その鋭い眼光は今まで見たこともない。
「・・・・・・だ、あぎ・・・・・・!」
起き上がろうとしたが、痛みで動けない。女は懐に手を入れると丸い小さな塊を差し出して、
「の、め・・・・・・」
聞き取れないほどの小声で言った。
「・・・・・・?」
「あ・・・・・・」
意図を測りかねていると、少し焦ったように戸惑って、
「らく、に、なる・・・・・・」
途切れ途切れに続けた。
どうやら害意はないらしい。口を開けると、安堵したようにその口へ丸いものを放り込んだ。
飲み込んだ。数分は特に変化はなかったが、そのうちに段々と痛みが引いてきた。同時に、意識に靄が掛かったようにぼんやりとし、視界も焦点が合わなくなってきた。
「れ・・・・・・?」
「だい、じょうぶ。楽しい、気分になる、だけ・・・・・・」
確かに、気持ちが上向きになっていくのが判る。それに従って意識の靄も濃くなっていくような気がするが、残った痛みがそれらに歯止めを掛けていると感じる。
眠りに落ちるのを邪魔するなにか、集中したいものを前に眠気が襲い来る、そんなイメージだろうか。
「こ、ざ・・・・・・道、ばしゃ・・・・・・」
うわごとのように呟きながら、眠るまいとするように手をついて上体を支える。黒衣の女はふむ、と考えて、レイを抱き起した。
「街道、か・・・・・・馬車を探せば、いいのか・・・・・・」
街道までは遠くない。重傷だから出来るだけ揺らしたくはないのだが、目覚めてからは意識もはっきりしていたし麻痺も見られないようだから、慎重に街道へ出ることにした。
「ねえ、ちゃ・・・・・・」
混濁した意識では、既に助けたいのがベルという娼婦なのか姉なのかすら判別出来ないようだ。酩酊したように目を細めたまま中空を眺めている。
女は揺らさぬよう、しかし素早く、森を駆けて行った。




