〃 -Ⅲ
その、夜のことだった。
レイはなんとなく眠れなかった。背が小さいから三人部屋を宛がわれたが、二つあるベッドを一つもらえた。新参のカノンは粗末なソファで眠り、もう一つのベッドは薄あばたの男が眠っている。
二人とも寝息を立てているようだが、レイはベッドで目を閉じていても眠れる気がしない。体は疲れているのに、神経が落ち着かず、いたずらに寝返りを打つだけになっていた。
(・・・・・・歩こう)
ベッドから這い出て、部屋を出る。二階建ての宿は死んだように静まり返っている。足音を立てないよう廊下を歩き階段を降りた。夜風にでも当たれば気が紛れるだろう。
思えば、姉があんなことになってからきちんと眠れたことは少ない気がする。頼れる姉が居たればこそこまっしゃくれた少年で、頼りがないとなれば世間に怯える小僧に過ぎない。
なんとかオーバーテクノロジーの塊とも言うべき空中城砦の庇護があって世過ぎに不自由はないものの、その器量はトレジャーハンター見習いに過ぎない。
それが必要のない事件に首を突っ込み、護衛戦力もなしに街を駆けずり回って、不安にならない筈がないのである。
(話したいなあ・・・・・・)
姉と、である。しかしそれは叶わない。あの訳の分からない筒に閉じ込められた姉はなにをしようが反応はなく、全てのコミュニケーションは失われた。
しかし、それでも話したかった。通信機を手にして連絡を取ったのは、アキラだった。
『どうかしましたか、レイ』
相変わらず抑揚に乏しい、静かな口調だ。レイは冷静過ぎるアキラとの対比が恥ずかしくなって無理矢理に用件を作った。
「今日一日さ、探し回ってみたんだけど、ちょっとそれをまとめようかと思って」
アキラも昼に情報提供をしてくれたのだからこの件に無関心ではないだろう。咄嗟に重いつたにしては良い話題だったらしく、アキラは乗ってくれた。
『聞きましょう』
レイは、話が下手ではない。要点をまとめる頭はちゃんと持っているし、聞く者への気遣いが出来る性格でもある。手に入れた情報を順番も関係なく話し出すシンタロウに比べれば、遥かに優秀な話し手だった。
『なるほど、では今はその宿に?』
「うん、とにかく明日またいろいろ聞いて回るんだけど、アキラはなにか気がついた?」
今日の報告を聞いて、気になることがあるならなんでも言って欲しい、と。
それを受けて、アキラはどことなく言いにくそうに前置きをした。
『レイ、俺はおそらく貴方ほどにこの件に真剣ではない。だからあまり真面目に取り上げられても困るんですが、怪しいと言ったら宿と加わった同行者ですね』
「?」
『俺は他人事として話しています。真剣でないということは、こうあったれば面白いという野次馬な好奇心を心から除外できていないことを断っておきます。真剣に人を助けたいと思う貴方にとっては、耳障りな軽口程度にしか価値がないと心得てください』
そう言われてしまうと、レイ自身も本当にベルを救いたいのか確信はない。
年上の女であり、最後に言葉を交わした事実と、あの口ぶりに姉を彷彿とさせて、といういろいろな理由から救えない姉を投影して、それに携わって救った気になりたいだけなのだ。本心から被害者の無事と犯人の糾弾を志しているわけでないことは、自覚している。
「俺も、きっと似たようなものだから、大丈夫・・・・・・」
あの三人組に比べれば、遥かに自分は不誠実な気がして、声が落ちる。アキラには判りようがないが、若年で誘拐事件などに首を突っ込めば気も滅入るだろうと察して追及しない。
『人間は先入観と思い込みで、思考を簡略化する生き物です。これは無意識に行うものなので自覚して考えないと陥穽にはまりがちです。
もしも酒場がグルだったら、薬でも盛って意識を失わしめ、宿に運ぶことでしょう。しかし宿は通りに面して人の目が絶えないので、運び込むのは難しい。だからおそらくシロだろう、と。自警団も貴方もそう考えるわけですね』
そんなところだ、と肯定するとアキラは続けた。
『だから無理だ、などということは現実にはあり得ないんです。人の目が絶えないといっても、それは長期的なスパンで第三者の目線で統括すればの話です。実際、人は他人の行動にそこまで関心を持ちはしません。
人を運ぶにしても、酒場から出てきたら泥酔していると思うでしょうし、それをどこに運ぶのかまで注視する者はそう居ないでしょう。況してや、たまたま見かけただけの人間を見つけ出すのは困難だ。これが探偵小説なら三流もいいところですが、本当にたまたま見られなかっただけということも、目撃者が覚えていないということも、目撃者を探し出せないということも、あり得るということです。
そしてそう考えれば、人を昏睡させ易いのは酒場で、そこに宿が併設されているなら人を隠しやすい。俺にはその酒場と宿が怪しく見えますし、その酒場で強引に同行したその男も、なにやら怪しく思えます』
不思議なものだ。自分から説得力はないと前置きされたにも関わらず、それらが現実に起こったことのように思えた。
が、アキラは更に言った。
『レイ、繰り返しますが真剣に聞いてもらうと困ります。外からの俺の目では、小説と同じように提示された条件が現実の全てのように感じられるのでそう限定して考えてしまうのですが、現実はさまざまなもので構成されており、その全てを知ることは出来ません。
当然、まったく関係ない者がまったく知らない事情で介入し、予測などとても出来ない手段を用いてこの失踪か誘拐という事件に発展しているということもあり得ます。
俺は第三者の無責任な傍観者で、しかも探偵でも警察でも裁判官でもない。俺の言葉は酔っ払いの戯言と同価値の、無意味な戯言だと思ってください』
それは、きっとそうなのだろう。だがなんとなく整理出来たような気持ちになって、少し落ち着いた。
「いや、うん・・・・・・なんか、ありがとう、アキラ」
『参考にはしないでくださいよ、レイ。それよりももう遅い時間です。明日も動くのなら、眠れなくてもベッドで横になる方がいいでしょう。少なくとも体は休められる』
話し込んでしまった。アキラの言う通りだろう。礼を言って通信を切り、宿へ戻る。従業員も眠ったか帰ったのだろう。灯りのない木造の宿は、耳が痛いほど静かだった。
部屋へ戻る途中、アキラの言葉や今日一日を振り返ってみた。
(同行した男と宿か。アキラはああ言ったけど、確かに怪しいのかも)
まあ、全ては明日である。疲れている体ではなにも出来まい。そう思って寝床の扉を開けようとした瞬間、頭の中は宿を取った時のことを思い出した。
(・・・・・・なぜ二部屋・・・・・・?)
あの時、老婆は二部屋だけ空いていると言った。そしてその前に、騒ぎがあってから泊まる客は居ないとも。ならば何故、他の部屋は空いていないのか。
「っ!」
弾かれたように扉から飛び退き、部屋の数を数えてみた。
突き当たりは仲間の、残りの二人が眠っている部屋だ。そして自分たちの部屋がその左側の壁側。向かいに一つ、その横に一つ、自分たちの部屋の隣が一つ、そして逆側の突き当たりは物置らしい。
一階は厨房や従業員用の部屋だと、案内を受けた時に聞いた。ならばこの三つの部屋はなぜ空いていないのだろう。
(杞憂なら、それでいい・・・・・・)
試しに向かいの部屋の扉を開けてみる。ドアノブはきちんと回った。鍵は掛かっていない。音を立てないよう慎重に開けて、体を滑り込ませる。
暗い。窓は雨戸まで締め切っているようで完全に光がなく、酔うような闇だった。
(・・・・・・箱?)
闇には這うのがいい。耳を地面にくっつけるほど姿勢を低くすれば物体の陰影が浮かび上がる。そうして見てみると、どうやら幾つもの箱が置かれているらしい。
部屋の戸を開けた。暗すぎて箱の中身が判らないだろうから、せめて廊下の灯りを入れれば見えるようになるだろう。
そして、箱に手を掛けてみた。釘止めなどはされていないようで、思いの外軽い木の蓋を持ち上げる。
嫌な想像が湧き起こった。
もしもアキラの言葉が当たっているのなら、この中に入っているのはなんだろうか。それはきっと、行方不明者たち。
そう、この中にはベルが入っているのだ。膝を折り曲げて詰め込まれているのなら、まだいい。もしも殺されていたら、その時はきっと詰めやすいようにバラバラにでもされているのではないか。
前後も判らない闇が妄想を育てた。勝手に汗が吹き出し、鼓動が激しくなる。
もしもその妄想の通りなら、開けたくない。切り刻まれた人間など、一生のトラウマになる。このまま蓋を閉じてなにも知らないふりで朝を迎えたら、それはどんなに安らかだろう。
「・・・・・・っ!」
いや、それもきっと恐怖なのだ。あるかもしれない凶行の証、生きた人間にするにはあまりにも無残な仕打ちの証拠を、あると知りながら眠るなどとても出来るわけがない。
「は・・・・・・は、あ・・・・・・!」
息が荒くなる。力の抜けてしまいそうな手と指をなんとか奮い立たせて、蓋を一気に剥いでみた。
「・・・・・・?」
丸いものが詰まっている。人間の頭かと思ったが、手に取ってみるとリンゴだった。
奥へ手を突っ込んで見ても、触れるのはリンゴばかり。なにもかも妄想に過ぎなかったのである。
「・・・・・・ふ、は・・・・・・」
気が抜けて崩れ落ちる。膝と腰から力が抜けて、無駄に上がった体温が気持ち悪い。背中にまで汗を掻いていて、このまま眠るのは不快そうだった。
「どうした?」
「っ!」
が、一瞬でそれらも引いた。血も凍るような恐怖と驚きが走り、まだ力の入らない腹から下を這いずるように振り返る。
そこに、カノンが居た。廊下の薄明りを背にして顔は判らないが、おそらくそうだろう。アキラの言葉が蘇る。怪しいのは、宿と強引に同行した男だ。
嫌な想像が一気に頭を駆け巡ったが、当人は心配したように屈んで、
「部屋を間違えたのか? ここの向いだよ」
レイの手を取った。腰の抜けたレイの体を支えて立ち上がらせて、
「びっくりしたか? すまんすまん、いや、なかなか戻ってこないもんだから、寝ぼけてるんじゃないかと思ってな・・・・・・ん、どうした?」
そこで、カノンも箱の中身に気がついた。
「ああ、腹が減ったのか。まあ失敬するのも二つや三つにしとく方がいいぞ。あんまりくすねるとすぐバレるからなあ。寝る前に満腹になるのはあんまりよくないぞ。なんでも喉が焼けるらしい。まあ迷信だろうけどな、師匠はなんかそう言っていた」
カノンは、盗み食いの現場を抑えられたらそれは驚くだろうと勝手に納得して、蓋を閉めた。
「なあに、ちゃんと秘密にしておくよ。だからもう今日は寝よう。ちゃんと寝ないと明日動けないぞ?」
疑うのが馬鹿らしいほどに明るく、気安く、親切だった。
あまりにも気持ちの乱高下が激しい。アキラと話せて落ち着いたような気分はどこへやら、疑念と恐怖と驚きと安堵が短い間隔だったから、心臓が痛い。
「あ、ありがとう・・・・・・」
そこに、疲労が重なっている。眠いという以前の話だった。その言葉を最後に、火が消えるように意識が途絶えた。
「お、おい・・・・・・寝てる・・・・・・」
慌てたカノンだったが、腕の中で崩れ落ちたレイがきちんと寝息を立てていることを確認して、抱きかかえた。経緯は判らないが、とにかく眠ったのならベッドに運んだ方がいいだろう。純粋に親切心で寝かせてやり、自分も横になった。
そんな眠り方だったからだろう。ほとんど寝た気もしない、残念な朝がやってきた。




