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     〃   -Ⅱ

 喪服の二人が、林を掻き分けて進んだ。

「ちょい、臭いな」

 体格の良い男が振り返る。線の細い男は、少し息を乱しながら答えた。


「どうも嫌な予感がします。音を立てないように」

 屈み、出来るだけ茂みや木に姿を隠しながらゆっくりと進んだ。

 臭いは強くなっている。鼻にツンとくる酸っぱいような刺激臭。吐き気を催す臭気に顔をしかめながら這って、それを見つけた。

 木々が開けている。パチパチと薪の爆ぜる音がして、白い煙が風下に流れている。


「・・・・・・なに、あれ」

 絶句した。禿げ上がった頭の、子供程度の身長の、体が赤いものが無数に火を囲んでいる。多少香ばしくなくもない匂いは、木を串にして肉を焼いているものらしい。

 解体された動物のものなのか、土を赤く汚した肉の塊が、嫌な臭いを発していた。血抜きのような、料理に分類される工程を全て省いて、仕留めた獲物の肉を寄ってたかって剥いだという様相で、野蛮な光景だった。


「義兄さん、下がりますよ」

 小声ながらも鋭く言った後ろの男に従って、ゆっくりと後退した。

「アキラ、あれはバケモノだね」

 同感だったが、この義兄は生来暢気者である。


「話してみるか? お前も腹減ったろ。焼いてる肉、分けてもらおうか」

「さすがにトンチキが過ぎます。確かに非常識な光景でしたが、義兄さんが正気を失うことはない」

「いやいや、アキラ。人を見た目で判断したらイカンよ。まあ、あれは人じゃなかったけど。確かに皺も多くて牙も鋭くて目つきも悪かったけど、意外に気の好い奴らかもしれんだろ」


「奥に、人間の子供の死体がありました」

 義兄は、シンタロウはぎょっとした。

「・・・・・・マジ? 見間違いじゃなく?」

「損壊して腐敗し始めている人間の子供の死体が見えました。彼らは食うためだけでなく、狩る楽しみのために命を奪う類です」

 推測でしかないが、それだけあれば離れる理由になる。


「逃げる、よ? 大丈夫か?」

「え、ええ・・・・・・」

 吐き気を必死に堪えている様子だった。臭いだけでなく、そんなものまで見てしまったのなら無理もない。

 音を立てず、枝を踏んだり根につまずいたりしないように、間違っても影を見つけられることのないよう、四つん這いでそろりと逃げる。

 心臓が痛い。汗が噴き出て、それが目に入らないことを祈った。四つん這いなのに地面を噛む手足が宙を踏むように。死の危険を身近に感じた緊張感が、涙さえ溢れさせた。

 が、その努力も虚しい。


「ゲゲ!」

 背後で笑い声。ぎょっとして振り向くと、西洋民話のグロテスクな挿絵で見るような醜い顔が、喜悦に歪んでいた。

「っ!」


 走った。

 二人とも、人生でこれほど俊敏なスタートダッシュは決めたことがない。

 運動に適していないスーツと合成皮革の黒い靴なのに、自分でも驚く速度が出た。

「は、は、は・・・・・・!」

 恐怖に足がもつれる、というのをホラー映画でよく見るが、それは疲労が出て、頭の中に思考力が戻ってからのことだ。今の二人は、そんな領域にない。真っ白になった頭で走れという指令を体に発し、夢中で駆けている。

 枝を払い、葉を掻き分け、根を飛び越えて、土を巻き上げる。互いが、互いのことさえ忘れた全力の逃避行。追いかけてくる相手がのろまな殺人鬼なら影も踏ませない。


 しかし、この森を縄張りとし、枝を払いのける必要すらない小柄な体躯の化け物たちは、俊敏に二人を追いかけてくる。

 人間と猿では瞬発力と体の動かし方が違うように、明らかに体格で勝っている方が追い詰められている。

 ちらり、と後を走るシンタロウが後ろを見た。


「っ!」

 醜い容貌の小鬼は十以上に増えている。

 先を行く義弟は体力がない。そろそろ息切れして、足がもつれてもおかしくない。シンタロウは、溢れる涙を切るように一瞬だけ強く目を閉じると、根を飛び越えた拍子に立ち止まった。

「義兄さん!?」

 先を行くアキラが振り返る。夢中で走ったままなら、背後の音の変化に気づきもしなかったろうに、義兄の推測通りに疲労感で余計なものを取り入れ始めた意識が察した。


「止まるなよバカ!」

 小鬼たちは突如向かい合った獲物に一瞬困惑したが、思わず振り返った様子に安堵して、石斧を手に飛び掛かってきた。

「あ・・・・・・」

 死を思った。いや、その実感すらなかったろう。ただ、無造作に解体された小鬼たちの獲物が脳裏に蘇り、頭を割られる痛みを夢想した。


「ゲッ!」

 しかし、そうはならなかった。

 飛び掛かった小鬼は寸でのところで地に転がり、ピクピクと嫌な痙攣をした。

 見ると、その後頭部に小さなナイフが根元まで突き刺さっている。

「ケ・・・・・・?」

 仲間の変化に一瞬疑問が浮かんだのもつかの間であった。外側から見ているシンタロウだから、かろうじて見えたようなものだった。森の中、葉と枝に囲まれた小鬼たちの隙間を縫うように、赤いものが見えた。

 それは、ヒラヒラとあまりに頼りなく揺らめいて、そのくせ視界の端から端へすぐさま移動した。


「ゲゲ・・・・・・!?」

 それに目を奪われた次の瞬間、小鬼たちは首から血を噴いて倒れた。

「へ・・・・・・?」

 理解が追いつかない。危険の元凶たる小鬼たちが全員血まみれで伏しても、その危機が脱したかどうかの判断さえつかなかった。それほど、唐突な光景だった。


「義兄さん・・・・・・」

 アキラが戻ってきた。呼びかけに驚いて振り向いたが、義弟は小鬼たちの死体より高いところを見ていた。

「ん・・・・・・?」

 その視線を追う。

 ポタポタと、血が落ちてきた。喉笛を掻き切られた小鬼がさかさまにぶら下がって、枝に引っ掛かっていた。

「うわ・・・・・・!」

 驚いて飛び退いたが、アキラはじっと見つめたまま動かない。アキラの視線はその更に上らしい。そこに、人影があった。


 木陰に溶けそうな、黒い衣装。首元に厚く長く巻かれた赤いマフラーが印象的だった。ところどころ、無防備に肌が見えているのはなぜだろうか。それを疑問に思うより、その眼光の鋭さに息を呑んだ。

「え、っと・・・・・・」

 目にもとまらぬ速さで小鬼共を討った様子から、背を向けて逃げたところで無駄だろうが、後ろ足に重心を傾けながら話しかけてみる。

 助けたのかどうかも判らない。単に、獅子の獲物を横取りする鰐のようなものかもしれない。信じていいものかどうか、それさえ測りかねているのに、頭上の女は睨むばかりで一語も発しない。


「・・・・・・い」

 耳を澄まさないと聞こえない程度の、小さな声。風でも吹けば簡単に搔き消えてしまう小さな声は、一瞬のうちに十以上の命を奪った凄惨さと手際の良さとは、まったくアンバランスだった。

「・・・・・・け・・・・・・」

 正直聞き取れなかった。どうすべきか迷っていると、女は更に眼光鋭く二人を睨みつけ、すっと北を指差した。


「いけ、と?」

 アキラが思わず訊いた。女は射抜くような視線でアキラを見て、時が止まったかのように制止していたが、やがて、

「・・・・・・」

 残像さえ霞むほどの身のこなしでどこかへ消えてしまった。

「・・・・・・なに、これ。特撮じゃん」

「どちらかというとアニメですね。どういう意図で助けたのかは判りませんが、とにかく行ってみましょう。群れがこれで全てとは限らない」

 確かに、火を囲んでいた小鬼の正確な数さえ把握していないのだ。次がくれば、今度こそ命はない。安堵のあまり膝から力が萎えそうだったが、なんとか奮起して山道を登った。


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