エピローグ:なぜ義時さんは「吾妻鏡」でも悪く書かれたのか?
俺と莉央ちゃんは、現代に戻ってきていた。
「なあ莉央ちゃん。おかしくねえか?
『吾妻鏡』ってさ、北条氏支配を正当化するために書かれた歴史書なんだろ? 基本的に北条氏を持ち上げて賞賛するのがデフォなハズだ。
にも関わらず……いくら義時がボンクラだったからってさ。なんでああもダメそうなエピソードしか記録に残ってなかったんだ?」
「いい質問ですね、下田さん」と莉央ちゃん。
「その疑問は吾妻鏡を研究する者であれば、誰もがぶつかる壁です。なのでわたしも推論を述べる事しかできませんが……
恐らく義時が良く書かれていなかったのは、編纂した時期に原因があったのではないでしょうか?」
「……編纂した時期? どういうこった?」
「吾妻鏡が書かれたのは西暦1300年頃と言われています。鎌倉幕府は1333年に滅亡しますよね。
この頃すでに幕府は衰退期。編纂者たちはつぶさに見ていたのです。幕府末期の北条氏の専横ぶりを。
貨幣経済が発達し、その流れについて行けなかった多くの御家人が困窮していたこの時代。執権北条氏は自分たちとその側近たる御内人しか顧みなかったのです」
「つまり……屋台骨にガタが来ててヤベーってのに、困ってる人たちを助けようともしなかった今の中央政府の醜態を、義時に投影してた……って言いたいのか?」
「……まあ、あくまで憶測に過ぎませんけどね」
気になる事はまだある。
あれから俺は、吾妻鏡を通しで読んでみたが……歴史書として考えるにはあまりにも構成が中途半端なのだ。
「吾妻鏡、記述が抜けてるところあるよな? 頼朝が死んだ時。それと三代目執権、泰時が死んだ時だ」
「おっしゃる通りです。吾妻鏡は実に大事な部分が、12年ほどごっそり記録が抜けていたりします」
「なんでそんな事になってるんだよ? 有名な北条時宗が元寇を迎えるっつー大事なイベントを前に、話自体も終わっちまってるしさ。
記録が抜けてるのはやっぱり……北条氏にとって都合の悪い箇所だから、わざと残さなかったって話なのか?」
「その件なんですが……そうとも言い切れないんですよ」
莉央ちゃんは「これも憶測の域を出ませんが」と前置きした後、言った。
「おそらく編纂者の皆さんは、書いてる途中で完全にやる気を失ってしまい、中途半端なところで執筆をやめてしまったのでしょう」
「……えぇえ……マジかよ……」
「無理もないと思いますよ。『俺たちの北条氏はこんなにスゴイ一族だったんだぞ!』アピールをしたくて資料を集めたのに。
いざ調べてみると、黎明期の北条氏は身分は低いわ記録に残ってないわ。栄光を掴んだはいいものの、こんなに素晴らしかったハズの北条氏の末裔たる自分たちが今なぜ、ここまで落ち目になってしまったのか。そんな考えが頭の中をよぎってしまったら……執筆するモチベーションもだだ下がる事、想像に難くありません」
「うーむ……気持ちは分からなくもねえけどさ……」
特に途中で抜けてしまった頼朝と泰時の死。この部分は下手な事は書けない。ともすれば北条氏の正当性を大いに揺るがしかねないからだ。
だから慎重に慎重を重ね、どう書くべきか議論を重ねているうちに……嫌気がさして、書かないまま放棄してしまったのだろう。
「歴史書なんて基本、自分たちをどれだけ良く描くか……だよな。
そこにはどうしても主観が混じっちまう。嘘を嘘だって見抜けないと、すぐ騙されちまうんだよなぁ……」
「何言ってるんですか下田さん。だからいいんじゃないですか」
「…………へ?」
俺がぽかんと口を開けていると、莉央ちゃんは心底嬉しそうな笑顔を向けた。
「何もかもを俯瞰して、客観的に過去を書く……そんな事、できるのはきっと全知全能の神様くらいでしょう。
わたしは好きですよ、脚色も捏造も。書き手が何のために、何を考えて、それを行ったのか――書かれた文字の裏を読む。心を読む。それだけでワクワクしてきます」
「へえ……そーゆーもんなのかねえ」
俺は莉央ちゃんの言い分にいまいち同意できなかったけれど。
すんごく楽しそうな顔をしているのを見てたら、気持ちだけは分かったような気になった。
(おしまい)