悲報その4:北条義時さん、最後までいいとこ無しだった
俺と莉央ちゃんは、呆れかえるあまり開いた口が塞がらなかった。
「……まあ、事の真相はこんな所だったんじゃないかなーと、ドラマを視聴中にずっと考えてましたけどね……」
「……いや、しかし……いくらなんでもこれは、ヒドすぎやしないか……?」
「でも、こういう事情だったなら、ドラマの不自然な演出の数々も、おのずと合点がいくんですよね。
頼朝をはじめ、源平合戦の著名人たちから篤い信頼を得ていた割には、ここぞという所で残酷な決定を下される時には、義時の意向は完全に無視されています。
彼はあくまで傍観者。家柄もなければ立場も弱く、他人に意見を言えるような力も持っていなかったのでしょう」
「いや、しかし……それでも二代目の執権だったんだよな? 少しは政治的に有能だった記録とか、逸話とか……」
俺がしどろもどろに聞いてみると、これまた莉央ちゃんは哀れな生き物を見るかのような、困り顔になった。
「それなんですが……北条家マンセーを目的として書かれた『吾妻鏡』においてすら、義時についてはロクなエピソードがありません」
「……えぇえ……」
「例えば相模国司となり、三代将軍実朝を支えた大豪族・和田義盛と対立して合戦沙汰になった時も、義時は危うく負けそうになっています。
三浦が和田を裏切ったから義時が勝てた、みたいな話をよく聞くと思いますが、実際の所、ほとんどの武士団は人望篤い和田側につこうとしていました。
それがひっくり返って逆転勝利できたのは義時の力ではなく、当時の情勢と将来を鑑みた実朝や北条政子が、義時を支持したほうが良いと判断したからに過ぎません」
実際、どちらにつくか決めあぐねていた御家人たちは結構いて、義時の名前を出しても誰ひとりとしてなびかなかった。
しかしながら実朝の名前を出した途端、日和見を決め込んでいた武士たちがこぞって義時側についたというのだから、本人の人望の無さがよく分かる。
「しかも、序盤から味方してくれた上に一番槍を取った波多野氏の手柄を認めず、縁故理由で裏切ってくれた三浦氏を表彰するという大ポカを義時はやらかしています。
この時の遺恨から、波多野一族は義時を敵視するようになってしまうのです」
「ちょ……人望が無い上に論功行賞でも下手を打つとか……政治力も全然ダメじゃん……大河ドラマじゃ仕事ができるから頼朝に頼られてる風に描かれてたのに……」
そして……実は結構有能で、和歌も詠める完璧超人、源実朝が惜しくも暗殺されてしまった後。
鎌倉幕府は大混乱に陥り、屋台骨が揺らいでしまう。この隙を突いた後鳥羽上皇が、かの有名な「承久の乱」の引き起こす事になるのだが。
歴史上、朝廷と敵対して勝利した武士政権って、後にも先にもこの時だけなんだよね。普通に考えればこの事件、義時の最後にして最大の見せ場になりそうなもんである。ところが……
「これについても残念ながら……義時は特にリーダーシップを発揮したりはしていません」
「……ああ、うん。これまでがこれまでだったもんな。今更驚かねえよ……」
承久の乱の折、坂東の御家人たちを奮い立たせたのは、高齢になり病を押して皆に檄を飛ばした尼将軍・北条政子であったし。
グダグダやっていたら武士の結束が弱まるから、さっさと京に攻め上った方が良いと進言したのも、大江広元をはじめとしたベテランの文官たちであった。ちなみに義時さん、この頃もう50~60のいい歳こいた爺さんなんですけどね? マジで影が薄すぎる。
「正直、義時の政治手腕になんて1ミリも期待していませんから、首を差し出せというなら差し出してもよいのですけれど……」
「そんな事をすれば、鎌倉幕府の面子は丸潰れでございますな。我らで必死に作り上げたこの地を、戦素人の上皇陛下にむざむざくれてやる道理はございませぬ」
いざ戦がはじまってみると、後鳥羽上皇側に集まったのは軍の体も為していない、ハリボテみたいなド素人連中がほとんどだった。
毎日のようにヒャッハーな内ゲバを繰り返して実戦経験を積んでいる、鎌倉武士にかなうハズもなく……乱は終息。上皇は流罪。
しかしながら乱そのものより、戦後処理や深刻な京都の治安悪化の方が、実はずっと大変だったりしたのだが……この辺りはややこしくなるので省略。
「あっ…………義時さんが脚気でポックリ逝っちまった」
「ホントに最後の最後まで、いいとこ全然ありませんでしたね……」
大河ドラマの主役なのに……なんて哀れな。
せめてもの救いは、彼の後を継いだ息子の泰時さんが、文字通り命を削って頑張りまくってくれたお陰で、鎌倉幕府の基礎を築けたという所だが……それはまた、別の話である。