悲報その3:鎌倉殿の13人、実は10人しかいなかった
俺たちは再び、相模の金沢文庫に戻ってきた。
初代の時政については十分見たので、後を継いだ義時について知りたいと思ったからだ。
こーゆーピンポイントに細かい時代の行き来ができるタイムスリップは便利だなーホント。
「時政がやり過ぎて、娘の政子によって政界追放を食らった後、二代目の執権として息子の北条義時が就任する……と。
この人は実際どうなんだ? 大河ドラマだと結構、色んな所に出張ってて頑張ってるな~って印象だったけど」
俺が何とはなしにそう言うと、莉央ちゃんは露骨に困ったような顔になった。
「……下田さん。大河ドラマの北条義時の描かれ方は、単なる主人公補正です。要するにフィクションですね」
「…………はい?」
「『吾妻鏡』に書かれている義時の良いエピソードのほとんどは、編纂者たちによる捏造だと言われています」
「ぶぶぅッ!? な、なんだそりゃ? どーゆーこったよ莉央ちゃん!? 曲がりなりにも、今年の大河の主役なんだろ? 義時って!」
訳が分からなかったが、莉央ちゃんはあくまで冷静に、噛んで含めるように俺に説明を始めた。
「義時は時政の実の息子ですが、北条本家を追い出され、弱小の江間(註:現在の静岡県。伊豆半島の付け根あたり)の領地を継がされています。何故だと思いますか?」
「へ……? そりゃ何て言うか……えーと、なんで?」
「答えは簡単。義時を産んだ母親の身分が低く、時政も彼にさしたる期待を抱いていなかったからです。
大河ドラマ序盤で、時政が牧氏から嫁を貰い、舞い上がっていたのを覚えていますか? 彼女は歴史上では『牧の方』と呼ばれていますが」
「あ、ああ……ドラマだと確か『りく』って名前、だっけか。確かにメッチャ喜んでいたな……」
「アレは別に、美人の嫁さんだったから、というだけではありません。
身分コンプレックスのある時政にとって、藤原氏の流れを汲む牧氏の娘と子供ができれば、身分の高さは申し分ない。
なので牧の方との子が嫡男として後を継いでくれれば万々歳。もう『北条丸』などと侮られる事もなく、勝ち組人生まっしぐらだったのです。逆に言えば、身分の低い義時など用済みだった訳ですね」
「改めて考えるとひでー話だなオイ!? あーしかしそれで……嫡男が死んだ時、時政は絶望のあまり暴走しちまったんだな。
畠山のせいで自分ちの揚々たる未来が邪魔された、と思い込んじまったのか……」
さて、莉央ちゃんの説明を証明するかのように――吾妻鏡を編纂している御家人たちは頭を抱えていた。
「なんだこれ……どうなってるんだ……? 当時の公家の日記とか、寺社の記録を漁りまくってるのに、義時さまに関する記述がぜんぜん出てこないぞ……?」
「まあ、理由はなんとなく分かるけどね。初代の時政の時点で、身分が低すぎて北条家なんて誰も注目してなかった訳だし……
ましてや義時さまは時政とは、家を分かれちゃった上に政治的に対立してたもんね。そんな雑魚キャラ、普通記録に残さないっしょ」
「いや『残さないっしょ』じゃねえよ! 二代目の執権になったお人なんですよ!? 記録が全然ないんで書けません、じゃあ済まないんだよ!?」
「諸君。逆に考えるんだ……『記録が残っていない』という事は、俺たちの好きなように書ける、と考えるんだ。
問題の無さそうな場所に、たまたま義時さまも居合わせてましたーって感じでデッチ上げておけばいい。どうせ記録に無いんだ。話を盛ったってバレやしねー!」
のっけから不穏すぎる会話である。てか、いもしない人を無理矢理ねじ込むって「話を盛った」で済むレベルなのか?
「よ、ようし。俺も腹をくくった。やってやる。やってやるぞ!」
「そうだ、初代の征夷大将軍、源頼朝公の馬廻集(註:直属のボディガードのこと)に、若くして選ばれたって事にしよう! 多少は箔がつくハズだ!」
「え、ちょっと待って。頼朝公って確か、馬廻を選ぶにしても二人一組を好んだって聞いた事あるぜ? 義時さまを加えたら11人になっちまう」
「ちょっとくらいバレやしねー! いいから加えとけ!」
なんかクラスで二人組つくってー、って言われてあぶれちゃった悲しい人みたいになってない? 北条義時さん。
「ついでだ、二代目将軍、頼家公をお支えした評定衆にも加えとけ! もともと10人だったっぽいけど!」
「こっちはさすがに、義時さま1人だけだと不自然すぎるから、テキトーに2人くらい追加しとけ。13人もいればきっと嘘もバレにくいハズ……!」
ええええ……ちょ、大河ドラマのメインタイトルまで、そんなノリで記録されちゃったの?