王女の事情
[奇跡]
そんな言葉を私は今まで信じた事が無かった。
ジャンゴ王国の第三王女として生まれた私。
母親はハラル王国の貴族で政略結婚。
上辺だけの友好目的で無理矢理嫁がされた母、国王である父上を愛する事は無かった。
当たり前だ、母には婚約者が居たのだから。
結局母は18年前、私が6歳の時に病気で亡くなってしまった。
『ラムズボトムに帰りたい...』
そう言い残して。
それからの私は王国にとって都合の良い道具となった。
何の因果か、武術に長けた私は15歳で無理矢理軍に入れさせられた。
ジャンゴ王国の戦乙女と喧伝され、容姿の優れた女達だけの中隊長に。
戦場から戦場を渡り歩く日々。
戦うだけなら良い、それが国の為と割り切れる。
しかし王国の目的はそれだけでは無かった。
....将兵の性処理係。
口にするのも穢らわしい役目。
戦場での活躍が認められたら私と仲間は将兵に差し出された。
拒否権等無い。
拒めば反逆の疑い有りで処刑すると脅された。
何人かの仲間は自ら命を絶った。
王国は名誉の戦死と国民を欺き、相手国を憎む材料にした。
こんな腐った王国にも良心を持った人は居た。
私はそんな人達とクーデターを企んだ。
しかし、事が成る前に私はアントワープ行きを命ぜられた。
クーデターの空気を察知した王国が私を戦場に留め置くのが目的だった。
幸いにも私がクーデターを企んでいる証拠は見つからず、仲間達も殺され無かった。
しかし、王国は私を殺そうとした。
証拠なんか無くても良い、中心人物の私が死ねばクーデター計画も葬り去られると考えたのだ。
アントワープに到着するや私は仲間達と共に将兵から無理矢理毒を飲まされ、乱暴の後、戦場の中に造られた建物に投げ込まれた。
『死にたくない、こんな事で死にたくない』
戦死した仲間の遺体を戦場から集め、彼等が携帯していた食糧を食べた。
解毒薬は無い、毒が身体を蝕み、腐り始めた。
敵味方共に気味悪がって建物に近づか無いのは良かったが、建物内は地獄絵図となった。
何も見えない、耳も僅かにしか聞こえない。
仲間が生きているのかも分からない。
さすがの私も観念した。
自ら死にたくても腕は腐り、剣は握れない。
舌を噛もうにも歯なんか最初から無い。
男に危害を加え無い為と無理矢理抜かれていたのだ。
...絶望。
そんなある日、私は建物内で人間の気配を感じた。
最後の気力を振り絞り、言葉を出した。
「...こ殺してくれ...」
誰でも良い、殺して欲しかった。
もう気持ちは折れていた。
私の身体は担ぎ上げられ、床に置かれた。
僅かに聞こえる人間の呼吸音。
どうやら息のある人間が他に居たようだ。
1ヶ所に集めたという事は纏めて燃やすつもりか?
苦しいのは嫌だ、剣で一気に殺して欲しいが贅沢は言えない。
最後の時を待った。
「完全治癒」
小さく聞こえた声。
涼やかな響きの意味が分からない。
治癒?何の事だ?
突然視界が開く。
薄暗いが間違いない、目が見える!
腕が!腐り落ちた指まで!
「...これは」
「信じられない...」
周りから聞こえる仲間の声。
こんな奇跡があるなんて!
私は涙を流しながら前を向く。
(...天使?)
そこに居たのは1人の天使だった。
「睡眠」
後ろから聞こえた声、私は意識を失った。
目を開けると私はベッドに寝かされていた。
死後の世界では無いようだが。
「お目覚めですか?」
突然話掛けられる。
振り返ると1人の女兵士が私を見ている。
軍服から察するにハラル王国の人間か。
「こちらに、歩けますか?」
「...問題ない」
兵士はシーツを私の身体に掛けてくれた。
ベッドから足を下ろす。
そこには2本の自分の足が!
記憶の最後では腐り落ち、這いずって移動していたのに。
動揺を隠しながら女兵士の後に続く。
暫くすると、1つの部屋に案内された。
「それでは何かありましたらお呼び下さい」
兵士は私を残し部屋を出ていく。
私が逃げるとか考えないのだろうか?
もっとも、今の私は丸腰だ。
逃げたところですぐに捕まってしまうだろう。
掛けられたシーツを脱衣籠に入れる。
ここには私以外誰も居ないようだった。
「一体どうなっているのだ」
脱衣場の隣は清潔な湯を張った浴槽。
身体を洗う石鹸まである。
いつ以来か分からない、身体を清め汚れを擦った。
「...なんという事だ」
傷痕1つ無い腕を見る。
こんな美しい腕を見たのは少女の頃以来、全身に刻まれていた古傷まで全て消え失せていた。
「どうぞ」
浴槽から上がり、脱衣場に戻ると先程の兵士がタオルと着替えを手に待っていた。
「ありがとう」
素直にタオルを受け取り、身体を拭き取る。
瑞々しい肌、私だって女だ、美しくなれて嬉しく無い筈は無い。
「サイズはどうですか?」
「ピッタリだ、すまない」
着替えに身を包む。
用意されていたのはジャンゴ王国の軍服。
しかも新品の士官服だ。
捕虜は士官であっても普通は簡易な貫頭衣と決まっているのに。
「これをお使い下さい」
「これは?」
最後に兵が差し出したのは...櫛?
「こちらで髪を整え下さい。
美しいブロンドヘアですね」
....自分の髪を見る。
肩まで掛かる美しい髪に涙が止まらない。
『シルビアは綺麗な髪ね』
『ありがとう母上!』
亡き母と交わした懐かしい記憶。
もう私は戦う意思を無くしていた。
「さあ、此方の部屋に」
「ありがとう」
一際大きな部屋の扉を開く。
中に居たのは。
「「「シルビア様!!」」」
「ま、まさかお前達...」
そこには居たのは私の仲間達。
数人だが、紛れもない私の仲間が笑顔で迎えてくれた。
「よく休まれましたか?」
「貴女達は?」
美しい二人の女性士官が私を見つめる。
1人は小柄ながら醸す雰囲気は紛れもない戦士の物。
もう1人は大きな身体。
魅惑的な笑みは妖艶ささえ感じる。
しかし彼女もただ者では無いだろう。
私の戦士としての直感がそう教えていた。
「シルビア様、この方達こそ、ローレン様とディジー様です」
「な、何ですって!?」
仲間の言葉に飛び上がる。
有名どころでは無い。
彼女達の威名は我々ジャンゴ王国に響いている。
[首狩り姫ローレン][微笑みの灼熱天使ディジー]として。
「そんなに畏まらないで」
「そうよ、首を狩ったりしないから」
「こら、ディジー!」
軽口を交わす二人。
仲間まで笑っている。
どうやらすっかり打ち解けたんだろう。
「話は仲間の方達から伺いました。
安心して下さい、私達は貴女達に害を成す気はありませんから」
「え?」
意味が分からない。
「貴女達は捕虜として扱いません。
立派に戦った戦士としてジャンゴ王国にお送りします。
それと、貴女達に毒を盛った連中は既に処刑しました。
ハラル王国、第一師団エリック将軍からの命です。
毒を使う奴等は許さぬそうなので、宜しいですね?」
「...はあ」
奴等は死んだのか、自分の手で殺したかったが、仕方ない。
味方が殺すのは何かと不味いし。
それに彼女達は信頼出来る人だ。
素直にそう思った。
「貴女達に起きた奇跡は内密に。
そして、あの方の事はお忘れ下さい」
「あの方?」
「約束して下さい」
凄まじい気、どうやらあの方の事がお二人は...
「分かりました」
ここは従おう。
「それでは食事にしましょうか」
「そうね腹ペコよ、お願い」
ローレン様とディジー様が声を掛けると扉が開き、次々と美味しそうな食事が。でも...
「どうされました?」
「いえ、こんな厚い肉は歯が...」
愛用していた入れ歯を使っても、こんな厚い肉は噛みきれない。
その入れ歯さえ、今は持ってないし。
「何を言ってるの?」
「そうよ、綺麗な歯をお持ちなのに」
「え!?」
慌てて口に手を当てる。
「...嘘」
そこには綺麗な歯が。
1本残らず失った筈の歯が並んでいた。
「良かったですね」
「...はい」
またしても涙が。
「最後に1つ。
貴女達の身体から穢れは消えました」
「消えた?」
「はい、乙女の身体に、これ以上は」
「みんな...」
「「「シ、シルビア様...」」」
もう声にならない。
私は仲間達と抱き合って泣いた。
こんな夢の時間があって良いのだろうか?
翌朝、ハラル王国が用意してくれた馬車に乗る。
道中の安全まで配慮し、護衛の兵士まで着けてくれた。
こんな奇跡を与えてくれたハラル王国に戦争なんか出来るものか。
『滅ぼすべきはジャンゴ王国だ!』
決意を込めて帰国の途に着くのだった。
(ローレン様、ディジー様。
天使様の事は忘れられそうもありません)
最後にそっと心で囁いた。