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第二部 大正時代の育った時代3

 私の一家はその後父親が仙台支店長になって転任するのに伴って仙台に引越しをした。それが大正何年であったのかの記憶はないのであるが、小学校入学の都市から遡って逆算してみると恐らく大正十三年であったのではないかと考えられる。それは数え年で五歳の時である。

 仙台での生活は当時の町名では光禅寺通りという場所であった。国鉄仙台駅前の通りを方向としては青森の方角へ向かって坂を上がって行くのであるが、その坂は「茂市が坂」と呼ばれていた。私の父の名が「茂吉」であったので幼い私にとってはすこぶる覚えやすい名前であった。

 当時はまだ仙台には市内電車がない時代であり、茂市が坂は余り広い道ではなかった。

 その坂を概ね上り切った辺りが光禅寺通りと呼ばれていたらしい。

 私達が借りた住居は昔の仙台藩の武家屋敷であった。

 今の日本の地方都市へ行くと、各地にそれぞれ旧武家屋敷群が残っていて、その土地の観光資源になっていて大切に維持保存されているが、それらの屋敷を見る度に私は大正の終わり頃から昭和の当初に掛けての時代に私の一家が住んだ家を思い出すのである。

 我が家の門の前の道路を隔てて対面して向こう側にも立派な武家屋敷があった。その家を借りて住んでいた家族は太田さんという人の一家で有名人であった。

 父は前の家の太田さんは太田正雄博士という人で東北帝国大学医学部のえらい教授であるが、それよりも別の面で更に日本中に名の知れ渡っている人なんだよと教えてくれた。

 太田教授はペンネームを木下杢太郎といって、随筆、小説、劇作、評論等で有名な文人であり、日本文学全集にも先生の作品は色々と収められている人なんだと説明してくれた。

 その太田家には私と同年の男の子がいた。

 そしてその子は太田姓ではなくて、母方の姓を名乗っていて「河合正一」ち言った。私が正彦、彼は正一で、二人は私が「まさちゃん」、向こうが「しょうちゃん」と呼ばれる事になった。

 この正ちゃんは私の友達となった最初の人物である。

 二人は一緒に東本願寺の付属幼稚園に入園した。当時は珍しかった今で言う二年保育であった。

 朝起きてから夜寝るまで殆ど一日中一緒にいて過ごした。

 仙台は今もそうだろうが、その頃は森の都と呼ばれる程樹木の多い街であった。私の家には胡桃の大木やぐみの木があり、正ちゃんの家には栗の大木が何本もあり、時期になるとそれらの果実を取って焚き火で焼いて食べた事を思い出す。

 二人は進学校である帰範付属小学校に入る為にその頃珍しかった入学試験に臨んだ。

 今でも記憶にあるのは試験官の先生が一枚の紙に描かれた絵を見せて「この絵は、何か変ではないかな?」と尋ねたものである。私は暫く見てから脚が一本足りないと答えた。先生はニッコリと笑って「そうよく分りましたね」と褒めてくれたのだった。

 描かれていた絵は机の脚が三本しか描いてなかったのであった。

 二人は共に入学出来て、毎日一緒に帰範付属小学校に通った。この学校は通称では「フゾク」と呼ばれており、我が家からは当時の道程で十丁と言われていた。

 一年生の児童にとって、特に寒い冬の季節には道路が凍て付く当時の東北地方では十丁の通学は大変だと親は心配していたが、当の本人共は至って平気で毎日通っていた。

 平成の時代の今のことは知らないが、大正時代の仙台は寺の名の付く町名が多かったように憶えている。また町名の下の字を「マチ」と読むところを「チョウ」と発音するところは前者は漢字で書く場合は「町」と書き後者の「チョウ」の方は「丁」と書いていた。だから初めて見たり聞いたりする町名が「マチ」と発音するか「チョウ」と言えば良いのか分らなくて困る事はなかったのである。

 後年大人になってから東京に住むようになってから、よく江戸っ子の人が東京の町名を言う場合に、神田の小川町オガワマチ須田町スダチョウ神保町ジンボウチョウと間違って発音する人を「田舎っぺ」と馬鹿にしたりするのを聞いて東京も仙台式にすれば良いのにと思ったりしたものであった。

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