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第二部 大正生れの育った時代1

 昭和、平成の時代に生まれ育った人々にとって、我々大正世代の人間の育った次代の日本とはどんな国であったのか、またどんな日本人が生活していた時代であったのかは当然知る術がないことはことわりの当然であろう。

 私は大正の概ね中期に生れた。

 私は子供の頃よく日本人の平均寿命は42歳であると聞かされ、また日本人の一人一人は生まれたと同時に一人二百円の国家的借金を背負っているのだから、その借金をお国の為に返済してから死ななくてはならないのだと言われて育った。

 私は物心着いた時分には父方の祖父母は既にこの世にはいなかった。

 当時の日本としては長命であった母方の祖父母は二人とも達者で暮らしており、伊勢の宇治山田(現在の伊勢市)の皇大神宮の外宮の近くで質屋を営んでいた。

 私の頼りない記憶では、この家柄はその地方のある程度以上の、今の言い方で言うと資産の有る家であったらしい。したがって、質屋という金融機関を家業としていたのであろう。

 祖母の実家は藤井大丸という屋号の一族で、今の大丸デパートの前身の大きな呉服屋の一派であったらしい。

 祖父は西暦1860年即ち万延元年の生まれで、その年の三月三日に時の大老彦根藩主井伊直弼が江戸城の桜田門外で、水戸藩の浪士共に襲撃せられて殺害されたと聞かされた。

 祖父母は共に徳川時代の日本人であったので当然きわめて小柄で小さな体格であった。

 私は余り大きい方ではなく、所謂中肉中背であるが、学生時代当時の寸法で五尺三寸二分で、祖父母はよく「御一新ごいっしん」(明治維新のことを昔の人はこう言っていた)からは日本の人は随分大きくなったものだと私共を見上げて言っていた。

 平成の現在、終戦後は日本人も随分大きくなったと言われるが、それと全く同じ事を言っていたのが面白くおかしく思われる。

 この祖父がある時私に、旅に出る時は細い竹の杖を持って出かけると良い。よく山道の峠などで猿の群れに囲まれる時があるが、それは旅人の弁当を狙って威嚇するのだが、そんな時にはその手に持っている細い竹の杖を上下に振って「ひゅうひゅう」と音を立てると猿はどこかへ恐れて去って行くものだ。と教えてくれたものだ。

 祖父の頭の中には「旅」「歩く」「山の峠道」「猿の襲撃」「撃退法」と旅行時の常識が組み込まれていたのだ。

 宇宙時代の今と比べて一世紀程の時間の差というものが如実に現れていて、誠に面白く顧みる次第である。

 この祖父はハイカラ好みの人であった。

 酒が好きで朝夕晩酌を楽しんでいたが、ある時どこからか硝子製の銚子を手に入れてきて早速晩酌に使用した。瀬戸物の品と違って透明で中の酒の分量が一目で分るので大満足で、文明の利器は便利なものだと一人悦に入っていた顔が忘れられない。

 昭和の初期に祖父はなんと海外旅行に出かけた。行き先は当時の支那の港町、大都会の上海であった。

 その頃の感覚では、今で言えば南極旅行へでも行くような気分であった。

 まして老人の身である。周囲のものは皆大層心配したが当人は意気揚々たるものだった。

 但し問題が一つあった。洋服である。祖父は洋服を新調したが、生まれて始めて着る背広はまだ良いのだが、当時の替え襟付きのワイシャツに、更に難問のネクタイがあった。

 黒っぽい細身のネクタイを買った迄は良かったが、どうしてもこれが上手く結べないのだ。随分練習したが、とうとう断念し、どこかで結んであるネクタイを探して買ってきて、これを首につけた。首の後ろで留め具で上手く止められるのもなかなか難しく随分稽古を重ねてどうやらやっとネクタイは首にぶら下がったのだった。

 今考えると祖父はたいした人であった。幕末時代の人間が七十歳になってから、洋服を着てネクタイを締めて海外旅行に行ったのだ。

 今と違って東京から関西へ行くのも大変だった時代の事である。

 私や私の妻の母親も、一回も洋服を着る事が無く一生を終わったというのに、その親の年代で洋服を着て外遊したという事は、現代の日本人には考えられない位の大仕事だった。

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