第一部 激動の時代と大正生れの歌2
大正生れ
大正生れの男児、僅か十五年間の間に限られた区切りであり、その区切りも、運命的に余りにあらゆる面で明瞭に画されたものと言う事が出来る。
大正時代に生れた男児の殆どは、日中事変や、引き続いては太平洋戦争の兵力の中心であった。軍拡と、それに伴う軍略によって昭和の初期からはじまった戦禍の犠牲になって戦死した二百数十万の兵の殆どは、この大正生れの男児であったのである。
更には戦後の混乱期から立ち上がって、国土の復興に原動力になり得たものは、終戦当時に、二十歳から三十五歳に至る大正生れの人間であったことも自明のことであろう。
加えてその後十年、二十年、三十年と、この大正生れの年齢に加算して、当時の世情を夫々に分析すれば、現在の世界に位置する繁栄日本の存在も、その力の源泉は何であったかは言わずもがなのことであろう。
現在大正生まれと呼ばれる者のしんがりも、既に目の前にいわゆる定年なるものが迫っている。働くことはもうおやめになっていいですよという定年が、大正生まれの最後の若者に訪れているのである。
それにしても、この大正生れの人々の労苦に比例した報いは何であったろうか。
国家の責任は戦争中も、また戦後においても、その身体でもって直接に果たしてきた人間である。
果たして何によって報われているのであろうか。
御苦労様とのねぎらいの言葉を頂く事もなく、有難うと、その成果に感謝されることもなく、黙って微笑だけを浮かべているだけの大正生れでよいのかなと、ふと思うことがある。
慰めもいらない、感謝も欲しない。
だがせめて、お互いに一緒になって呼応する何かがあってもいいのじゃなかろうか。
それには歌がある。そしてそれも、大正生れの男らしく、更に尚励ましあうものでなければなるまい。
やむことを知らぬ男児群、大正生れの心の行進譜を、高らかに合唱しようではないか。
小林 朗