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バ美肉おじさん高橋衛

作者: 新山了

はじめてなろうに投稿します。プロローグと人物紹介を兼ねた1話です。楽しんでもらえたら幸いです。

 高橋衛(たかはしまもる)がパソコンを立ちあげる時、衛は自宅の電気を全て消し、ディスプレイの明かりだけを身体に浴びるようにしている。五十を間近に控えた目にいい影響を及ぼす筈がないのは百も承知だが、"向こうの世界"に没入する大事なルーティンなのだから仕方がない。

 スーツを脱ぎ、手を入念に洗ってから、深爪ぎみの指をいそいそとスイッチにのせた。

 パソコン──デスクトップ型の、間違いなくこの家で最も高価な品──を置いている居間の電気を消す瞬間、いつものように小さく呟いた。

「……さあ、始まるにゃん」

 ふ、と照明が消える。淀みない足取りでアーロンチェアに腰掛け、ヘッドセットマイクを装着した。

 マウスを動かし、キーを叩く。カメラの位置を微調整し、最後にふーっと息を吐いた。

 大丈夫。

 今日も僕は──わたしは、輝いてる。

 画面が切り替わり、衛の顔が大写しになる。しかし、衛自身が生まれた時から慣れ親しんだ顔ではない。

 つるつるの陶器肌にほんのり赤らんだ頬、潤んだ瞳に愛らしい唇。有名な童話の主人公と同じ、赤い頭巾を被った黒髪の愛らしいアバターが、にっこりと微笑んだ。


「みんなおはよう〜! 元気してた? あかずきんマモのチャンネル、はじまるよ〜!」


 その瞬間、コメント欄に挨拶を返す言葉が連なり、最初にコメントをくれた人の名前があっという間に流れて見えなくなった。おはよう、おはようの文字列を、衛が感慨深い顔で見つめる。

 ただ挨拶しただけで既に視聴者は百人を超えた。今晩はまだまだ増えるだろう。始めた当初の、何を言っても反応がない、何をしても無視されていた視聴者ゼロ時代を思えば、なんと人気になったことか。

 普段の生活では──衛はそちらを仮の世界と呼んでいるけれど──決して味わえない多幸感と充実感に胸が満たされていくのを感じた。これだ。この瞬間。この瞬間のために生きている。

 衛は両手を顎のすぐ下で合わせてウィンクした。


「ごめんね、お待たせ〜。悪い狼さんを退治してたら遅くなっちゃった! お詫びに今日は八代亜紀さんの舟歌をうたいます!」


 コメント欄が熱狂する。あかずきんマモは外見に似合わぬ演歌好きで、情感のこもった歌い方が評判である。舟歌のインストゥルメンタルをBGMに歌うあいだ、衛はそっと、この生活を始めるまでの自分を思い返していた────。





 ※※


 関東は神奈川の田舎に生まれた高橋衛は、平々凡々な家庭に生まれ育った。口数は少ないがおっとりした父親と、ミシンが趣味の母親のもとで、大した事故も怪我もなく、ちょっとした病気はそこそこ患いながらも、二流と三流のあいだくらいの大学を卒業し、同郷の若者たちがそうしたように東京に出てきた。この時まで衛は己のことをそこそこ要領のいい、どちらかと言えば賢い部類に入る人間だと思っていた。

 だが、新卒で入った会社で、その思い上がりは粉々に打ち砕かれた。

 印刷機メーカーの営業担当になった衛は入社からわずか三ヶ月のうちに「命令されたことしか全うできない典型的なお荷物くん」の烙印を押されてしまったのだ。

 衛が新入社員だった頃はアルハラとかモラハラなどといった概念はない。とにかく宴会に呼ばれれば酒を浴びるほど飲み、命じられれば芸をし、面白くもない冗談にやんやの喝采を送り、赤べこよろしく上司や客先の話に頷き、飲ませてもらった酒の分、いやその倍、歯の浮くお世辞を言いまくる。昼間は昼間で上司に尻を蹴りあげられ、ノルマを果たせと怒鳴り散らされ、注文を取ってこれなければクソミソに貶される──そういう時代だった。

 たった三ヶ月の間に衛はげっそりと痩せこけ、大量の胃薬を鞄に常備する男になった。ついでにいえば腹をよく下すようになり、真夏でも腹巻が手放せなくなった。

 自分なりに懸命に働いたつもりだった。それまで見向きもしなかったプロ野球選手の名前を必死に覚え、客が好む酒や煙草の銘柄を覚えた。父も母も飲まず吸わずの人だったから、最初はまるでアラビア文字を解読するような気持ちだった。

 必死にメモを取り、時には同僚に頭を下げてまで上手く契約をとるコツなんかを聞いたりもした。

 しかし。

 男の世界において、ひとたび「無能」のレッテルを貼られた人間がそれを剥がし、胸を張って歩けるようになる胸のすくような逆転劇はほとんど無い。ほとんど? いや絶無といっていいだろう。子供の世界ですら他人への評価はごくシビアである。いわんや、金の絡む世界においてをや。

 かくて高橋衛は同僚、後輩達がめきめきと出世していくのをひたすら肩を縮こめて、どうかこっちを見てくれるな、居ないものと思ってくれと願う男になっていた。なぜなら入社五年目にもなる頃には、「高橋みたいな奴にはなるな」が営業部の合言葉になっていたからだ。

 十年経ち、二十年経ってもその評価は変わらなかった。営業部第三課係長という肩書きこそ貰ったが、これとてなんの権限もないお飾りに過ぎない。部下達はみな高橋を素通りし、直接課長の意見や指示を仰ぐ。高橋の判子が必要な書類や業務などひとつもないのだから当然だ。

 いっそ席に信楽焼のたぬきでも置いてみようか。もしかしたら何日も誰も気づかないかも。

 コンビニで買った発泡酒を呷りながら自嘲していた、その時だった。

 惰性で巡回していたネットのニュースサイト、その広告が目に入ったのは。


『あなただけのアバターを作って、第二の人生を歩んでみませんか?』


「……アバター……?」

 世情や流行に疎い中年男でもその意味するところは知っている。3DCGか何かでモデリングしたキャラクターのことだ。

 だが、それと第二の人生とやらがどう結びつくのだろう。冷やかし半分興味半分で広告を開いた。

 WiFiはすぐさま反応し、新規タブでアバター会社のサイトを展開した。

 サイトトップには多種多様なアバター、それこそ老若男女問わず、顔かたちも肌の色も様々な顔が浮かんでは消えていく。何がなにやら分からぬまま、『お試し』の文字をタップした。

 そこはアバターの製作画面だった。目、眉、鼻、頬骨、顎、唇、髪は言うに及ばず、瞳の色、肌の色、唇の血色ぐあい、睫毛の長さすら自由に選べた。衛はぼうっと口を開けたまま、とりあえず目に付いたパーツから決めていった。

 掌の中で、どんな顔も好きなだけ作れる。

 趣味といった趣味を持たなかった衛にとってこれは実に新鮮で、興味深い体験だった。

 そうして作り上げた顔は、今思えばどことなくあかずきんマモに似ていなくもなかった。あどけなく、純粋で、しかし時折いたずらっぽい笑みを浮かべる少女。お試しコーナーにはさらにサンプルボイスが置いてあって、作ったアバターに喋らせることが出来た。何気なく、「こんにちは」のボタンを押す。


『こんにちは』


 涼やかな声色。しかし"この子"の声にしてはやや低すぎた。別のボイスを開く。


『ありがとう』


 ダメだ。高すぎる。こんなキンキンした声は衛の趣味じゃない。はじめましてのボタンを押した。


『はじめまして』


 ──その一瞬の興奮を、どうお伝えすればいいだろう?

 心臓がドキン!と高鳴り、ついでばくばくと震えだした。手にはじっとりした汗をかき、口の中がカラカラに乾いていく。

 まさに理想の声だった。そう。この子なら、そんな声を出す。高すぎず低すぎず、あまり媚びを売った甘ったるい喋りでなく、かといって突き放したような口調でもない。優しい、淡やかな声だった。

 もう一度同じサンプルボイスを聴く。もう一度、もう一度。聞けば聞くほど理想の声だった。

 ボイス名を見る。ほかのサンプルボイスは日本名らしいフルネームが書かれているのに対し、そこには素っ気ないひらがな二文字だけがあった。


 《ゆき》


「ゆき、さん」

 作ったばかりのアバターがじっとこちらを見つめている。心なしか、顔も知らないゆきさんに見つめられているような気持ちになった。

 もっと彼女の声を聞いていたい。せっかく作ったこの子も持っていたい。どうすればいいのだ、何をすればそれが叶う? サイトのトップに戻るとまさに衛が求めていた文言が目に飛び込んできた。


『自分だけのアバターが持ちたくなったあなたに』


 光の速さで開く。内容は意外にも簡潔明瞭、問題はそのお値段だった。


『このサイトにあるフォーマットに必要事項を記入のうえ、指定の口座に送金してください。入金が確認され次第、専用アバターを作るための装置一式をお送り致します。ご購入金額:三百万円』


「さ、」


 思わずスマートフォンをぱたっとうつ伏せる。

 三百万円? 新車が買える値段だぞ!

 急に怒りがこみ上げてきた。なんだよ。詐欺サイトなんじゃないのか。期待を持たせるだけ持たせて、足元を見るのか!

 ぐしゃぐしゃと薄くなった毛を掻きむしる。どこの誰が作ったかもしれないサイトすら、馬鹿にしてくるなんて!

 なにもかもバカバカしくなって、そのまま布団に潜り込んだ。

 三百万円。それだけの金を稼ぐのにどれだけ働けばいいと思う。どれだけ胃薬を飲み、下げたくもない頭を下げ、胃からこみ上げる酸っぱいものを飲み下して来たと思う!

 ちょうど貯金全額とほぼ同じくらいの額なのも腹立たしい。まさに足元をくすくす笑いながら覗かれているようじゃないか。

 この程度は払えるだろう? 高橋くん。

 嫌味ったらしい上司の声で再生され、ぶんぶんと頭を打ち振るった。

 うるさい、出ていけ、でていけ、でていけ。

 人の頭の中でがなり立てるな! 聞きたいのはもっと────


『はじめまして』


 ────優しくて


『こんにちは』


 ────まろやかで


『ありがとう』


 ────どんなにダメな自分も救ってくれそうな、あの声。


「ゆきさん……」


 放り投げたスマートフォンに手を伸ばし、ホームボタンを押す。アバター製作画面を呼び出し、ゆきさんのボイスをタップした。


『おつかれさま』


 ふわり、と、花がほころぶような。

 気づけば衛は頬をしとどに濡らしながら、朝日がカーテンの隙間から差し込むまで、ずっと衛女の声を聴いていた。





「……よし」

 頷き、布団の上に身を起こす。

 アバター製作の装置を買えば、自分の動きや喋りを任意の姿、声に変換できるという。

 結局、衛の背中を押したのは広告にもあったあの一文だった。

『あなただけのアバターを作って、第二の人生を歩んでみませんか?』

 第二の人生とやらがなんのことかは分からないが、ゆきさんの声がいくらでも聴けるのなら三百万くらい惜しくはない。貯金をはたいたところですぐさま影響があるわけでなし、元々月々の給料だけで充分に食べていけるんだから、何も困ることは無いのだ。

 たとえ金のかかる病気や怪我をしたって、保険もある。

 かぴかぴに乾いた涙の筋を手の甲でぐいっと拭って、衛は購入手続きを終えた。

 詐欺かもしれないという不安はあったが、その時はその時で訴えてやればいい。

 何年ぶりにか、衛は清々しい気分でいた。会社がなんだ。レッテルがなんだ。あの声がもっとたくさん、いくらでも聴けるようになるなら安いものじゃないか。

 この日、衛は入社して初めて風邪をひいたと偽り会社をズル休みした。

 無能とは呼ばれてもそうした行為はしてこなかったために、存外すんなりと許可がおりた。

「ま、お大事に」

 投げやりなお見舞いの言葉にぺこぺこと頭を下げ、通話を切る。途端に開放感が溢れてきた。

 サイトを見ると入金確認から二日ほどで装置が届くらしい。今日は金曜日。ということは日曜日には届くということだ。

 そわそわする心を抑えきれず、掃除機を手に取った。ゆきさんをお迎えする部屋が汚いのは相応しくない。床という床、窓という窓をきちんと磨きあげねば。

「掃除道具が足りないな……買いに行かなきゃ。忙しくなるぞお」


 ────本当に、何年かぶりに、高橋衛は楽しいという気持ちを噛み締めていた。





 ※※


 舟歌最後のフレーズを歌い終え、マモが頭を下げる。褒めるコメントがずらずらと流れていくのを感謝の念とともに眺めながら、衛は目元をこする仕草をした。

 高性能モーションキャプチャとリップシンクで、衛が行う動作はすべて反映される。画面の向こうではマモが子猫のように目をくしくしとこすっていた。


「ううん、ちょっと眠くなってきちゃった。また悪い狼さんが来ないうちにすこし眠るね? みんなもあんまり夜更かししちゃダメだよ? ばいばーい!」


 ぱたぱたと手を振り、コメントをある程度見収めてから電源を落とす。会社員とVtuberの二足のわらじを履いているせいで、平日の配信は夜の十一時半から十二時までの三十分しかないのだ。

 しかしその三十分こそが、視聴者と、なにより衛本人の癒しの源だった。

 どんなに疲れていてもゆきさんの声を聞くだけで疲れが飛んでいく。

 衛の代わりにマモが笑い、手を振るだけで、みんなが応えてくれる。そのたびに衛は胸の真ん中がじいんと熱くなる感覚を覚えた。

 椅子から立ち上がり、床に広げっぱなしの布団に身を横たえる。

 ああ、今日の配信もよかった。

 きっといい夢が見れる。

「おやすみ、マモちゃん、ゆきさん」

 明日もまた、よろしくね。

 そうして、衛はそっと目を閉じた。





 冴えない営業マンの高橋衛は仮の姿。

 どんなに辛いことも、悲しいことも、パソコンを開けば忘れられる。

 バーチャル世界で美しい肉を纏い、みんなを幸せにする赤ずきんマモこそ、真実の姿なのだから。




 end

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分も最近バ美肉に興味をもったのでとても興味深く、どんな話になるのだろうとわくわくしています。 [気になる点] 今は特になし。 [一言] とても続きが読みたいです!
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