一万年に隔てられた地球人が見たもの
佐藤船長は1万年ぶりに地球に帰還する宇宙探検隊の宇宙船のリーダーです。宇宙船はあと2日で地球に到着する予定です。彼らはどんな平行線でさえも遂には交わってしまうような宇宙の遠い彼方まで探査に出かけていました。もちろん、1万年前に地球を出発したのは佐藤船長の何百世代も前の遠い先祖で、宇宙船も数えきれないくらい新しい物に交換されています。
1万年前の地球でも既にかなり高度な科学が発達していました。その当時の技術の粋を集めて作製された未来予想機によって人類の将来を占ってみたところ、今後、地球固有の思考パラダイムのまま人類が活動を続けていくと、そのパラダイムの範囲内でたとえどのような抜本的な発展と改革が行われたとしても、およそ1万年程度で文明が袋小路に陥り、人類は滅亡してしまうという予想結果が得られました。この予想を覆すには、地球とは全く異なった文明の叡知を吸収する以外に方法がないことを未来予測機は明らかにしました。そこで、将来の人類の行き詰まりを打破するために、決死の覚悟の宇宙探検隊が結成され、未知の宇宙人に高度な文明を授けて貰う使命を帯びて、宇宙に送り出されたのです。帰還の時期は任務が完了するまでとされ、定められませんでした。宇宙をできる限り広く探索し、地球の文明を未来永劫に存続させられると確信が持てるような宇宙の叡智を手にするまでは決して再び地球の土を踏まないという厳しい誓いを立てて彼らは旅立ちました。
地球を出発してからは、様々な宇宙人とその文明に出会いました。しかし、そのほとんどは、地球人に敵対的でそこから叡知を吸収することが困難であるか、地球より文明が劣っていて学ぶべきものが何もないかのどちらかでした。攻撃を仕掛けてくる宇宙人には容赦のない反撃を加えて撃破しました。友好的ではあるのですが、発達した文明を持たない宇宙人には、地球の技術力や科学力を供与し、替わりに宇宙旅行を続けるのに必要な物資を入手しました。文明を持つ生物のいない星で欠乏した物質を補給することもありました。彼らは強い使命感のもと、何代も継代を繰り返して宇宙探査を続けましたが、友好的で地球より高度な文明を持つ宇宙人にはなかなか遭遇できませんでした。
5000年の間、宇宙探検の旅を続けた結果、彼らは遂にメンケント星に辿り着きました。メンケント星人こそ、地球人が探し求めていた宇宙人でした。地球人に対しては極めて友好的で、加えて驚異的に高度な文明と技術力、科学力を兼ね備えていました。もっとも、友好的というのは地球人の視点からの印象で、メンケント星人にとって、宇宙の果てからオンボロ宇宙船に乗ってはるばるやって来た地球人は路傍をさまよって玄関口に辿り着いた子猫のようなもので、一杯のミルクを皿に入れて飲ませてあげるぐらいのささやかな好意を示したに過ぎません。メンケント星人は彼らの文明の初歩的な内容の一部を教えてあげただけなのですが、地球人にしてみれば、目のくらむような高いレベルの知識と技術を次から次へと惜しげもなく山のように教えて貰ったことになりました。彼らが授けてくれた知識と技術の量と高度さは予想をはるかに超えた桁はずれのものであったので、地球人はもうこれで人類を滅亡から救うためのパラダイム変換に十分な知識を得たと確信しました。その知識とは具体的には、戦争を完全に避ける方法、理想的な政治を行うシステム、正しい経済政策を施行するための理論、犯罪をなくす方法、部下の100%の忠誠を得る方法、放射能除去機、重力遮断機、天気制御機、化石燃料を1年で作る技術、完全病気診断機、完全病気治療機、高性能の宇宙船建造術、高度な宇宙航海術などです。地球人は自分達の宇宙船を、途方もなく貴重な知識と技術を満載した宝船のようだと感じました。
これで必要なものは手に入りました。後はこれらを地球に持って帰れば任務は完了です。メンケント星は地球から宇宙船で5000年も掛かる宇宙の彼方です。再び5000年掛けてこれまで来た道のりを戻らなければなりません。だだし、帰りの旅行はメンケント星人から得た様々な知識と技術を宇宙船の中で活用したため、往路とは比較にならないほど快適でした。そして、佐藤船長の代になって、ようやく地球に帰還できる見込みとなったのです。2日前に土星の軌道内に到達し、現在はちょうど木星の脇を通過しています。佐藤船長は、無論、木星を真近で見るのは初めてですが、1万年前に固い決意と強い使命感に燃えながら地球を出発した彼の先祖達が見ていた木星と同じものを、今、自分も見ているのだと思うと、強い感動に包まれました。赤みがかったガスの帯が木星の表面を水平に何本も取り巻いており、その一本一本が幾重にも層を成し、深い所は黒色が勝り、その少し上層は灰色っぽくかすみ、最上層は銀色に輝いています。そのすべてが極めて立体的です。宇宙船の目の前に見えている、木星のシンボルである巨大なガスの渦でできたアーモンド型の斑点が自分の眼にそっくりだと佐藤船長は思いました。
旅は大成功のうちに完了する目前で、自分達は史上空前の英雄として地球人に大歓迎されると思いました。しかし、決して浮かれてはならない、この成功は現存している宇宙船の乗組員だけの功績ではない、何百代も脈々と続いた、自分達が顔も知らない先祖達の気の遠くなるような努力と忍耐の継続の上に初めて成就したもので、自分達はその金字塔の頂上にちょこんと乗っているに過ぎない、地球に帰ったら、まず、先祖達の英雄的な功績を称賛しなければならない、と自分に言い聞かせ、気持ちを引き締めました。
1000年前から、地球周囲の宇宙空間には宇宙人の来襲に迅速に対応するための宇宙ステーションが軌道上を周回しています。宇宙ステーションには地球防衛軍の宇宙滞在部隊の総司令部が置かれています。この司令部のスタッフの緊張度が2日前から刻々と急速に増大してきています。地上の参謀本部との連絡も頻回です。
「48時間前に土星の軌道内に進入した飛行物体はその後も進路を変更していないのか。」
「はい。明らかに地球に向かって一直線に進んでいます。8時間前に木星の前哨基地から送られてきた映像の解析結果はいかがだったでしょうか。」
「彗星や小惑星のような自然構造物とは明らかに違う。まず、人工の物と考えていいだろう。何者かが地球に向かってきているのだ。」
「300年前と同じレグルス星人でしょうか。」
「わからん。しかし、あの時は危なかった。一つ間違っていたら、人類は全滅していた。今回もまったく油断できない。最高度の警戒態勢を維持してくれ。」
1時間後、木星の前哨基地から、再び、飛行物体の映像が宇宙ステーションを中継して地球に送られました。地球の宇宙情報解析センターでは直ちに緊急分析が行われました。
「今、最新の映像の解析結果が出た。まぎれもなく、何者かが造った宇宙船だ。しかも、その大きさが、今まで地球に攻撃を仕掛けてきた最大の宇宙船の500倍は優にある。デザインも今までに見たことがない。レグルス星人のものではないかもしれない。」
「レグルス星人の宇宙船のデザインが300年の間に変わったのではないですか。」
「そうかもしれない。しかし、今回の宇宙船の特徴はその驚くべき推進力だ。今まで我々が経験したどんな推進装置と比べても異次元のパワーの強さだ。あの規模の宇宙船をこれほどのスピードで動かすことのできる推進装置が存在するとは信じられない。どういう原理か想像もつかない。今度の奴らは厄介だぞ。とてつもなく高度な技術を持っているのに違いない。」
「計算ではあと30分で木星の前哨基地に最接近します。」
「よし、木星の前哨基地に配備されている透視画像スキャナーで宇宙船内部の宇宙人の姿を撮影して、至急、地球に送信してくれ。」
木星の前哨基地のスタッフによって撮影された画像は直ちに地球の宇宙情報解析センターに送られ、解析されました。
地球防衛軍の張り詰めた緊迫感とは対称的に、1万年ぶりに地球に帰還する宇宙船の中は和やかな雰囲気に包まれていました。
「これが太陽系最大の惑星、木星だ。地球へ帰ったら、こんな真近では見ることはできない。みんなも木星のこの姿を良く眼に焼き付けておいてくれ。ここまで来れば地球まではあと48時間余りだ。既に我が家の門をくぐったも同然だ。もう少しで我が家の玄関だ。玄関を開けると家族がみんなで温かく迎えてくれるぞ。ほら、あそこに、小さく光っているのが地球だ。これからどんどん大きく見えてくるはずだ。」
地球の参謀総長から宇宙ステーションの総司令官に緊急連絡が入りました。
「今、木星の前哨基地で撮影された宇宙船の乗組員の画像の解析結果が出た。乗っているのはレグルス星人ではない。もちろん、地球人でもない。見たことのない宇宙人だ。」
「では、やはりやむを得ないですね。」
「その通りだ。レグルス星人の時は、奴らが初め友好的な態度を装って来たので、不用意に地球に接近させてしまったのがまずかった。奴らは地球から5000万キロ・メートルの距離に到達すると掌を返したように凶暴になり、核融合ミサイルの照準を地球に合わせて、地球のレア・アースをすべて差し出せと脅迫してきた。毅然とした態度で拒否したら、核融合ミサイルで攻撃してきやがった。我々は奴らの宇宙船と核融合ミサイルを惑星間レーザー・ビーム砲で迎撃したのだが、発射された核融合ミサイルのすべてを撃墜することができず、3発が地球に命中してしまった。犠牲者は100万人だ。あの愚行を繰り返してはならない。もしかしたら奴らは、我々に友好的であるかもしれない。しかし、現時点では、奴らが友好的かどうかを判断できる情報は我々にはない。また、近距離から発射された核融合ミサイルを完全に撃墜できる技術力もない。だから、接近してくる謎の宇宙船はみんな撃ち落としてしまう以外に方法がないのだ。聞けばおよそ1万年前に我々の先祖が、地球より高度な文明を持つ宇宙人を探しに地球を旅立って行ったという。彼らがいつ戻って来るのかはわからないが、我々は彼らがいつの日か、きっと、想像を絶するような高度な技術力と科学力を携えて戻ってきてくれると固く信じている。その日までは、我々が生き延びるにはこうするしか方法がない。地球をいたずらに危険に晒すわけにはいかない。・・・参謀総長から地球防衛軍宇宙滞在部隊総司令官に命令する。現在、木星近傍を航行中の宇宙船が火星の軌道内に侵入したら、火星基地の宇宙近距離要撃隊を指揮して、これを完全に撃滅せよ。攻撃前の警告は不要。以上だ。」
その時、佐藤船長は宇宙船内でいたずらっ子のような表情を浮かべていました。
「地球にいる人々は、我々が地上に降り立ってもまさか同じ地球人だとは思わないだろう。びっくりするだろうな。やはり、メンケント星人に提供された技術の中で最高のものは出発間際に授けてくれた進化加速薬だ。我々が別れの挨拶をした時に、『ああ、そうそう、君たちの故郷への道のりは長いそうだから、良かったらこれを使いながら帰りなさい。』と、付け足してくれたのだ。宇宙船内の空気に少量混ぜるだけで進化の速度が1万倍になるという。帰路の5000年は進化の時計では5千万年に相当することになる。さらに宇宙船という隔絶した環境だから、そのガラパゴス効果との相乗作用で、急速で特異な進化を我々は遂げることができたのだ。」
彼は両手の16本の指を器用に使ってコントロール・パネルを操作し、宇宙船の地球までの航行予定に微調整を加えると、また、窓の外の景色を眺めました。
「今、私が見ている木星の姿は1万年前の先祖達にも同じように見えていたのだろうか。私より3つ少ない、2つの眼球によっても同じように見えたのだろうか。」