第10話(1)『祭りの後に』
龍園祭、二日目──
純は、誠也と夏子に連れられて、様変わりした学園内を歩いていた。
「オレは図書室に行きたかったのに……」
眉間にシワを寄せて、ブーブーと文句を言う彼に、夏子は困ったように笑った。
「姫ちゃんにいてもらわないと、私一人じゃ、誠也の面倒を見きれないのよ」
「面倒て……」
校庭の出店で買ったイカ焼きを咥えながら、怪訝な顔で誠也が呟く。
彼はこのイカ焼き以外にも、たこ焼きやクレープなど、既にいくつも買い食いをしている。
それに付き合う形で、純と夏子もその都度、気になったものを買って食べたり、輪投げやダーツなどの遊びに興じたりしていた。
「てゆうか、夏子、うますぎだろ……」
射撃部の出し物である射的を終えて、一番成績の悪かった誠也が、一番の良績を出した夏子に千円札を渡す。
5メートル先の標的を狙って、立った状態で五発撃ち、合計点数を競うルールだったのだが……
夏子の腕前は、側で見ていた射撃部部員が、彼女に入部を勧誘する程だった。
「まぐれに決まってるでしょ」
いつもの微笑みで、夏子がそう言う。
「まぐれねぇ……」
それを聞いて、純は引きつった笑いを浮かべた。
その後、一通りを見て回った三人は、中庭に置かれたテーブルとパイプ椅子の席で、小休止することにした。
「はぁーぁ、これで龍園祭も終わりかぁ」
まるで溶けかけのアイスのように、ぐでっとテーブルに突っ伏して、誠也が嘆く。
そんな彼を見て、夏子はやれやれと困ったように微笑んだ。
「落ち込まなくても、もう少ししたら、『合宿』があるじゃない」
「え! もう『登龍門』の時期だっけ?!」
彼女の言葉に、驚いて飛び起きる誠也。
逆に純は、頭の上に疑問符を浮かべた。
「なんだ? その『登龍門』って……」
「いわゆる、『課外合宿』ってやつ。 龍嶺学園では、一年生の二学期にあるの」
「でもな、姫。 これが普通の課外合宿じゃないんだぜ?」
誠也が夏子から説明を引き継ぐ。
「通称『登龍門』! いつからそう呼ばれてるのかは知らないけど、なんでそんな名前がついたかと言うと──」
人差し指を伸ばし、続ける誠也。
「めっちゃくちゃキツいんだ」
「キツい??」
彼の言葉に、純は怪訝な顔をして聞き返す。
すると、夏子が微笑んで、
「合宿中にある『ハイキング』のことを、一部の人がそう呼んでるだけよ」
と、そう付け加えた。
しかし、それに対し、誠也が首を振って否定する。
「いやいや!『ハイキング』なんて名ばかりよ! 何も知らずに『登龍門』に行ったバスケ部の先輩が、“あれは山登りだ”って、言い残したほどだぜ?」
「言い残すって……ソイツ、死んだんか?」
眉間にシワを寄せ、純が言うと、
「いや、今も生きてるけど」
と、ケロッと答え、誠也は続ける。
「他にも、完全に甘く見てた生徒が、飲み水を求めて沢の水を飲もうとしたとか、あまりにしんどいからって、背負ってた荷物を減らそうと、その場でバックパックごと捨てようとした人もいたって話だ」
「根も葉もない噂だってわかってるだろうけど、間違っても沢の水は飲まないでね、誠也」
夏子が溜息を吐きながら忠告する。
純は腕組みして呟いた。
「そんなキツい行事あんのかよ。 めんどクセェな……」
「一応、『生徒間の結束を強くする』とか、『困難に立ち向かう精神を養う』って、古くからある学園の伝統行事なのよ。 でも、歩く道は整備されてるし、リタイア用の途中抜けルートもあるから、心配しないで──」
夏子がフォローする。
「それよりも、誠也はその前にある『中間テスト』の方の心配をしなさい」
そう言って、彼女が話を切り返すと、
「さぁ!そろそろ『メインイベント』に行こうぜ!」
聞こえないフリをして、誠也あh椅子から立ち上がった。
純はやれやれと首を振り、呆れたように目を伏せた。
誠也のいう『メインイベント』とは、彼の持っているチラシに書かれた喫茶店──
すなわち、昨日の朝、校門で出会った火憐のクラスが開いている『メイド喫茶』のことだ。
火憐のクラスは、純達のクラスから二つ離れたところにある。
意気揚々と先を行く誠也に付いて歩きつつ、純は口を開いた。
「つーか、メイド喫茶って、男子達は一体どうしてるんだろうな?」
「冬月さんのクラスは、割合的に女子が多いから、多分男子は雑務や調理担当なんじゃないかな」
夏子が予想を口にしているうちに、件の喫茶店が見えてきた。
教室の外装は、ピンクに塗られた木枠や板で覆われ、見事に変貌している。
ハートマークの絵や色とりどりの造花に囲まれ、入り口には既に二人のメイドが立って、客の呼び込みをしていた。
「お! 誠也じゃん!」
そのうちのメイドの一人が、誠也に向かって声をかけてきた。
それは──、誠也よりも背の高い、筋肉質の男子生徒だった。
「だははははっ!! おま、おまえっ……!!」
腹を抱えて大爆笑する誠也の隣で、純は眉間にシワを寄せた。
「男子もそういう方向なワケね……」
「これはこれで、客ウケがいいかもね」
夏子が微笑んで言う。
笑われたメイドの彼は、純の方を観て、
「姫宮だって、昨日は見事なモンだったじゃないか。 俺、観に行ったよ」
ニヤッと笑い、言った。
「あまりの出来の良さに、ほとんどの生徒が、お前が演ってたって気づいてないらしいぜ?」
「あー、そう」
純は、“じゃあ、そのままバレなけれればいい”と、心の中で思った。
やがて、彼の案内で純達は店の中へ入り、机を付き合わせて作られた四人がけのテーブルに座った。
「へぇー」
夏子が周りを見渡し、訪れている客層を見る。
店内は、かなり混雑していた。
「すぐに入れたし、運が良かったな」
純がそう言うと、
「おれがさっきのダチに、席を確保しといてくれって、頼んどいたからなのさ」
と、誠也が答えた。
「そんなことができたの?」
それを聞いて、夏子が尋ねると、
「代わりに、あいつにはうちの『劇』の優先座席を押さえておいたからな」
と言って、ニヤッと笑う誠也。
純は怪訝な顔をした。
「そんな裏取引してたのかよ」
「龍園祭じゃ常識だぞ? 他の部活やクラスのやつらも、いろいろやってるんだぜ」
「一応、生徒会の人間の前で、そういうことは言わないでもらえる?」
夏子が誠也にツッコミを入れる。
「いいじゃないか、別に金銭のやりとりがあるわけじゃないし。 それぞれの持つ『利権』で公正な取引してるんだ」
誠也は彼女にそう説明して、続けた。
「新聞部のやつらがウロウロしてんの、気がついたか?」
「ああ。 学園新聞の取材してるんだろ」
「それは表向きの名目。 実は別の“目的”があるんだ」
「目的?」
純に聞かれて、誠也はコソコソと声を潜める。
「『人気女子生徒の写真』」
「……」
純は眉間にシワを寄せ、夏子は呆れたように溜息をついた。
「ファンの間で結構流通してるんだよ」
「ちょっと、もう! 変なことを言わないでよ」
夏子がピシリと、誠也の言葉を遮ろうとするが、構わず彼は続けた。
「まぁおれらの学年だと、『スウィート・ファイアボール』こと、冬月 火憐は確実に撮られてるだろうな」
「……なんだって??」
純が聞き返す。
「『可憐な火の玉』って意味の『裏ネーム』つって、わかる奴だけがわかる愛称のことだ」
「そんなものまであるんだ……」
夏子が再び呆れて、溜息を吐く。
「他人事みたいにいうがな、夏子。 おまえにもついてるんだぞ?」
誠也にそう言われて、夏子は驚いて両手でパッと口を押さえる。
「えぇ! 冗談でしょう?」
「本当だよ」
「私、なんて呼ばれてるの?」
「いや、だって、教えたらおまえ、その名前で呼んでるやつら、全員炙り出しにかかるじゃん」
肩の位置で手を広げて教えない誠也に、夏子はやれやれと首を振る。
「にしても、『可憐な火の玉』って、安直な名前だなぁ……」
言いながら、純がテーブルに頬杖をついた時──
「あたしのこと、呼んだかニャ?」
背後で、そんな声がした。
振り向くと、そこには、昨日と同じくメイド服を着た火憐が立っていた。
「いらっしゃいませ、ご主人様! ご注文をお伺いしますニャ!」
元気よく『お決まりの挨拶』をして、火憐が言う。
「“ニャ”って……」
純が怪訝そうに呟くと、火憐は何も言わずに、得意げに自分の頭を指差した。
「あ!」
夏子が思わず声をあげた。
そこにあったのは、昨日のような焦茶のイヌ耳ではなく──、黒いフェルト地のネコ耳だった。
「今日は『黒猫』なのニャ」
そう言って、彼女が背を向けると、くるりと巻いた長く黒い尻尾が揺れた。
相変わらず、嬉しそうな表情の火憐……どうやら、仮装が楽しいらしい。
「ご注文を伺うんだけど、実はお店が繁盛しすぎちゃって、今日はもう『パンケーキ』しか出せニャいニャ」
「ニャんじゃそりゃ。 ──あ……」
彼女の言葉につられて、純が言い間違う。
誠也と夏子、火憐までもが笑った。
「お飲物はまだあるから、伺うニャ!」
注文用紙とペンを取り出し、火憐が言う。
「私、ウーロン茶で」
「おれはコーラ」
「アイスコーヒー…」
言い間違いに、少し顔を紅潮させながら、純も注文する。
「姫宮くん、コーヒーにシロップは欲しいかニャ?」
首をかしげて尋ねる火憐に、
「四つくれ」
と、当たり前のようにと答える純。
「えっ!? よ、四つも入れるのかニャ!?」
猫語のまま、火憐が驚く。
「文句あんのか?」
眉根を寄せて、純が聞き返すと、夏子が代わりに答えた。
「みんな驚くけど、実はこの子、物凄い甘党なの」
「そ、そうニャんだニャ……。 でも、流石に四つは体に悪いニャ……」
心配そうに、火憐は言い、
「せめて、二つにするニャ!」
そう言って、オーダーシートに、勝手に二つと記入する。
「おい!オレは客だぞ!」
純が喚くが、火憐は笑顔で答えた。
「客じゃなくて、ご主人様ニャ! ご主人様には長生きしてもらわないと困るのニャ! それに、猫は言うことを聞かない生き物ニャ! と言うことで、許してニャ!」
「ニャんだとぅ!──あ……」
またも感染った語尾に、純は黙り込み、火憐は笑顔を残して、テーブルから去っていった。
「今にして思うと、こういう教室を改装して出し物をした連中は、後片付けが大変だろうな」
改めて教室を見回し、誠也が呟く。
「だからこそ、私たちみたいな片付けの少ないクラスが手伝うのよ」
夏子が言うと、
「めんどくせー」
純が顔をしかめて、そう溢した。
ほどなくして、彼らの注文した飲み物と、蜂蜜のかかったパンケーキを、火憐が運んできた。
「お待たせしたニャ!」
「……その語尾、クセにならないか?」
純が呆れたように言うと、
「今日一日ずっと言い続けてるから、もう既にクセにニャっちゃったニャ」
元気にそう言う火憐は、弊害が出ていても、あまり気にしていなさそうだ。
「冬月さん、喫茶店してみてどうだった?」
夏子が笑顔で尋ねると、火憐も笑って答える。
「すっごく楽しいニャ! 売上げの計算とかが面倒だけど、こんニャ体験、普段しニャいし、やっぱりみんニャでニャにかをするのは、楽しいニャ」
料理を持ち運ぶ銀色のプレートを抱えて、火憐が言った。
(よくもまぁ噛まずに言えるな……)
純は半ば呆れたように、彼女を見つめる。
「もうすぐ終わっちゃうのが、名残惜しいニャ〜……」
壁の時計を見て、少し寂しそうに語る彼女。
「片付け、手伝いに来よっか?」
誠也の進言に、火憐は笑顔で首を振る。
「ありがとう、でも大丈夫! ニャんだか、いろんニャ男の子たちが“来てくれる”って言ってくれたから、人手は十分ニャ」
「そっかそっか」
元々、彼女とお近づきになりたい男子生徒山ほどいたが、今回でさらに増えただろう。
後片付けの手伝いも、立派な学園祭の一部──これを機に、彼女と親密な関係になろうとする生徒もいるに違いない。
「あっ! そういえば、姫宮くん! わたし、『劇』観たよ!」
思い出したように、火憐が純に向かって言った。
「本当に、もうっ! すごかった! わたし、感動した!」
思わず猫耳メイドという立場を忘れて、興奮気味に彼女は話した。
「お姫様として登場したのにも驚いたけど、何より結末には驚き過ぎて、声が出なかったよ!」
チクッと純の胸を、火憐の言葉が刺す。
また彼が気を落とさないように、夏子は別の話題を振ろうと口を開いた。
しかし──
「アレ、本当は結末が違うんだ」
純が素直に、火憐にそう伝えた。
「え…? どう言うこと……?」
頭上に疑問符を浮かべて、火憐が首を傾げる。
純は彼女に、劇中でどんな経緯があったかを話した。
数日前のハプニングから、思わぬ代役、そして、起きてしまった事故……
「──と、まぁ、そんな感じで。 結果として、ああなっちまったんだ」
グラスに刺さったストローで、アイスコーヒーをくるくると回しながら、純が言った。
「そうだったんだ……」
火憐が呟く。
「でも、結局オチまで無事付けられたし、良かったよな。 クラスのみんなも結果オーライって感じだったし」
誠也が明るく笑って言う。
「そうだね。 いち観客としては、姫宮くんが書いた本来のストーリーも、観てみたかった気もするけど」
にっこり微笑んで、火憐が純の顔を覗き込む。
「……」
純は押し黙ったまま、何も言わなかった。
「そういえばさ──」
誠也が体を預けていた椅子の背もたれから身を乗り出し、少し小さな声で言う。
「──元怪盗役のあいつと、あいつに助けてもらってた女子、その後、どうやら付き合い始めたらしいぜ?」
ニシシ…と笑い声を交える誠也に、火憐が驚く。
「え! ちょっと待って! それって、男子体操部の、あの子だよね?」
どうやら、彼女も他の女子と同じく、多分に漏れず、そういう話が好きらしい。
目をキラキラさせながら、誠也の話に飛びついた。
「もう、誠也、あんまり言いふらさないの──」
呆れたように、夏子が彼を嗜める。
「今日も、二人で校内を回っているみたいだけど、みんな空気を読んで、邪魔しないであげてるんだから」
「えー! いいニャあ……!」
思い出したかのように、猫語をつける火憐。
そして、夢見がちな瞳で呟く。
「たとえ周りの目があっても、やっぱり一緒に居たいよねぇ。 きっと今年の『龍園祭』は二人にとって忘れられないものになるよ!」
純は火憐の言葉を隣で聞いて、怪訝な顔をする。
「そんなもんかねぇ」
ズコズコとストローを鳴らしている純を、火憐は覗き込むように見て、
「姫宮くんは、好きな人いないの?」
と尋ねた。
「いねーよ」
眉間のシワを消さずに、素っ気なく答える純。
そっか、と小さく答えて、火憐はなんだか嬉しそうな表情をする。
夏子と誠也はお互い見つめ合って、どちらともなく、微笑みながら溜息をついた。
純の持っているグラスの中で、溶けて崩れた氷が鳴らす“カラン!”という音が、一際大きく聴こえた。