第5話(7)
(どういうことだ? 鳳佳は例外なく、男にビビっちまうはずだろ……)
突然訪れた衝撃と疑問に、自分に注目していた周りの目など気にする余裕もなく、純は無意識に歩き始めた。
(千歩譲って、『男性恐怖症』を抜きにしたとしても、あんなバカ男を鳳佳が相手にするとは思えん……)
到底納得できない事態に、待っていなければならない琴乃のことを、彼はすっかり忘れてしまった。
物思いに耽りながら、美味しそうなデザートの並んだのテーブルを横切ろうとした時──
ドンッ!!
「あっ!!」
通りかかった人と、ぶつかってしまった。
(あ〜、くそッ、何やってんだオレ!)
注意力散漫になっている神経を奮い立たせ、すぐにぶつかった相手の方を見る。
「……」
それは、純よりも小柄な子供だった。
ぶつかった衝撃で、抱えていた何かの紙をバラバラと床に落としてしまっている。
「……」
無言で散乱した紙を拾う少女。
ふわふわとした長い巻き髪に、フリルのついた薄ピンクの可愛らしいドレス。
屈んでいるので、顔は見えない。
「ゴ、ゴメンね──」
純は咄嗟に謝った。
その時、ふと足元を見ると──
「あ……」
一枚、こちらまで紙が飛んできていた。
親切心で、彼はそれを拾おうと手を伸ばす──……
「──! だめっ!!」
突如、少女がそう叫んだ。
しかし、一歩遅かった──純は紙を拾って、その表面を見た。
「──……え?」
紙には、何かが書かれていた──と言うより、描かれていた。
『人物画』だ。
しかも、かなり上手い。
鉛筆を使って描かれた濃淡は、まるで白黒写真と見間違うような精巧さだった。
何より、純の意表を突いたのは──
「これって……」
紙の中に描かれていたのは、紛れもなく、ドレスを着た純の姿だった。
呆気にとられて、茫然としている彼の前で、サッと少女が踵を返す。
「あっ!」
純が我に返ったときには、彼女はその場を走り去っていた。
「ちょっと待って──」
遠ざかっていく女の子を追いかける。
幸い彼女の足が遅いので、純の早足でも、十分見失わない。
(刑事のおっさんに、サラ髪カン違い男……、お次は一体なんなんだよ?)
立て続けに訪れる出会いに溜息をついて、純はホールを横切った。
「はぁ、はぁ、はぁっ……」
少女は会場の隅まで走り、防音仕様の壁に手を突くと、荒れた息を整えた。
「──なんでアタシを描いてるの?」
不意に、背後から声がする。
振り返ると、そこには、腰に手を当てて、片手に持った少女の絵をペラペラと揺らしながら、純が仁王立ちしていた。
「……」
何も答えず、彼の方に向き直る少女。
純は、初めて彼女の顔を正面から見た。
きゅっと一文字に結んだ唇、柔らかそうな頬、上目遣いでこちらを見る大きな目、無表情を作る眉──……
「……あれ?」
小首を傾げる純。
その顔に、彼は見覚えがあった。
と、言っても、先程の昭夫や完斗のように、この会場に来る以前の記憶ではない。
そして、すぐにその答えは見つかった。
琴乃と別れた直後、テーブル越しに一瞬だけ目が合った──あの女の子だ。
「あの時の……」
純はポツリと、そう呟いた。
少女は未だに目線を逸らさず、じっとこちらを見つめている。
「……」
あまりにも見つめ続けるので、逆に純の方が申し訳ない気持ちになってきた。
「……えっーと…」
しかも、よく考えれば今のこの状況を他の誰かが見た時、一見すると純が幼い女の子を追い詰めて、威圧しているようにも取られかねない。
純は、急いで笑顔を取り繕った。
「その──絵が上手なのね。 よかったら、もっとオネエサンに見せてくれる?」
彼がそう言うと、少し心を許したのか、女の子がこちらに近づいてくる。
そして、口を開いてこう言った。
「じゃあ、黙ってコソコソあなたを描いていた事、許してくれる? わたしも、あなたの『秘密』をみんなに黙っておくから」
女の子が懇願する。
純はすぐに答えた。
「まぁ、別にいいけど……──ん?」
しかし、彼女の言った言葉を反芻し、怪訝な顔をする。
「『秘密』……?」
純が聞き返すと、突如、少女の表情が満面の笑みに変わった。
「あなた、『男』でしょ?」
「……一体、何の話?」
表情を変えず、あくまで笑顔のままで、純は聞き返す。
「隠しても無駄よ」
少女が笑顔から、真顔に戻った。
「さっき、向こうで完斗と話してたよね」
「……」
「彼に身分を追及されて、ちょっと焦ったんでしょ」
ジワジワと純を追い詰めていく少女。
数秒、純は何も言わず黙っていたが、しばらくすると、瞼を伏せて、ふぅっと息を吐き、眉間にシワを寄せて口を開いた。
「……──あのキザ男のこと、知ってんのか?」
少女の口調と眼光から、彼は隠し通すのは無理だと悟った。
幸い、今いるのは薄暗いホールの片隅で、客達は演台で挨拶する人物に注目を集めている。
ここでなら、多少『演技』を解いていても、誰の目にも着かない。
純に尋ねられた少女は、肩の高さで両手を広げてみせた。
「あいつのことは、別にあんただってどうでもいいんでしょ? それよりも、わたしが気になってるのは、あいつとの会話に出てきた人の方」
そのセリフに、純がさらに眉間にシワを寄せる。
「鳳佳か?」
その名を告げると、少女は頷いた。
「どうして、あんた、鳳佳の事を知っているの?」
こんな小さな子供が、自分を含め、鳳佳まで呼び捨てにすることに、純は心底ムッとした。
「年上には敬語を使うもんだぞ、コラ?」
純が腕組みしてそう言うと、言われた彼女も、ムッとした表情を見せる。
「あーら、あなたってば、ものすっごい勘違いをしているようだけど──」
純に対抗するように、腕を組んで、胸を張る少女。
「──わたしも、鳳佳も、それに完斗も、みんな同級生よ」
──……。
二人の間を、静寂が満たした。
「……はぁ?!」
純が思わず声を上げ、その反応に、少女は冷ややかな視線を送る。
それでも、純は狼狽えたまま続けた。
「お前……だって……──その成り《・》で?」
「あんただけには言われたくないんですけど?!」
ぷくっと頬を膨らませて、少女は純に食ってかかる。
「わたしの名前は大和屋 瑠璃子。 正真正銘、虎賀美高校の一年生です!!」
腰に手を当て、胸を張って自己紹介する。
純は表情を引きつらせて、呟いた。
「全ッ然、そんな風には見えねぇ……『中学生』どころか、てっきり、『小学──」
「とにかく!!」
強い口調で、純を黙らせる瑠璃子。
よっぽど幼く見られるのが嫌いらしい。
「もう一回聞くけど、あんた、鳳佳とはどうゆう関係?」
再び、会話を元に戻す。
「お前こそ、あのサラサラヘアー含め、鳳佳とどういう間柄だ?」
純も素直に答えようとはしない。
「……」
「……」
しばらく、無言で睨み合いになる二人。
「……──わかったよ」
先に瞼を伏せたのは、純の方だった。
「この状況じゃ、どう足掻いたってオレのが不利だしな」
軽く両手を挙げて、降参の意思を表明する。
「さて、どこから話すべきかな」
腕を組んで、自らの唇に触れると、純は頭の中で話を整理し始めた。
ここ数ヶ月の間、自身に起きた物語を──




