夜景紀行のはじめに
エッセイ連載ばっかり立ててすみません。(笑)
単刀直入に言う。夜景が好きだ。
この十数年の人生の中で「好きだ」と思えるものにはたくさん出会ってきたが、未だかつて夜景ほど私をときめかせたものはない。
わりと都会に住んでいるので、マンションの階段からも夜景が見える。それも好きだが、もっといいのは旅先での夜景だ。
まだ一人旅のできる年齢ではなく、親や周りに連れられてしか旅行に行ったことはないが、いつもと違う夜景ほど素晴らしい眺めはない。岐阜にいる祖父母の家の屋上、学童保育所の卒所旅行で行った神戸、鹿児島の天文館。絶景だ。ことに神戸は本当にすごかった。
いつかこの土地を離れてどこかに引っ越すとしたら、夜景の美しい街の、高層マンションの最上階近くや、屋上付きの家がいい。まあ、高価だろうしそもそも高所恐怖症だし……という現実もあるわけだが。
どんなに疲れていても、どんなに不機嫌でも、夜景を見れば余裕で回復できる。だがしかし、そんな私の愛する夜景には、悲しい性質がある。
昼間は見られない。(当たり前だが)
たとえば朝、家族とトラブルがあったとする。そのままカバンを持ち、学校へ行き、勉強をし、家に帰る。そして家に帰れば、朝のトラブルの続きが待ち受けている。そんなピリピリした気分が、夜景を一目見れば一瞬で吹き飛ぶはずなのに、そこに癒やしの夜景はまだない。私が帰宅するのはだいたい平均して4時頃だからだ。
夜景を見るには、昼間を頑張って過ごさなくてはならない。夜景を見終えればまた昼がやってくる。
他のことも一緒だ。たとえばテスト週間ではない、解放された毎日を過ごすためにはテストやテスト週間から逃げられない。そのうちまた次のテストがやってくる。
生きている限り、そのサイクルは何にでも付きまとうだろう。では、なぜたった一時の夜景を見るためだけに、私は長い昼間を生きるのか。
簡単である。短かろうと何だろうと、とりあえず夜景が見たいから、がむしゃらに昼間を頑張れるのだ。
話を戻そう。ここでは、どうしようもなく阿呆な駄作者が人生を旅していく中で、夜景のように好きなもの、昼間みたいに苦手なものを、時に面白おかしく、時に大まじめにつづっていく。日々思ふことつれづれは「詩」だし、若獅子ヒロインの日常は「変な友人の紹介」なので、充分別ジャンルとして成立するはずだ。
もしかしたら、これもまた連載を凍結させてしまうかもしれない。そのときは「連載を凍結させるのは、やっておきながら何だが嫌いだ」などとここに書くつもりである。
という感じで、よろしくお願いします。
ありがとうございました。
PS、若獅子ヒロインは凍結したわけではありません。今度投稿します。
さて、こっちの二話目は何を書こうかな……。