第六話 ハバリアの民
姿を現した人影は、背の高い女のようだった。
肉付きの良い肢体が、メリハリの効いた艶やかなシルエットを形作っている。
顔はまだはっきりと分からないが、明るい色彩の金髪が腰まで伸びていた。
さらに腰には、造りの細い長剣を佩いている。
「ジャック……ではないようね」
次第にはっきりとしてくる女の風貌を見て、シャルロッテは警戒を解いた。
彼女はやれやれとくたびれた顔をすると、アストロラーベをポケットにしまう。
女とはそれなりに見知った仲なのだろうか。
初対面の人間を相手にするにしては、ずいぶんと気安い雰囲気に見えた。
もっとも、彼女は女王が相手でも物怖じしないような人種なのだけれども。
私はそそくさとシャルロッテの横に移動すると、耳打ちをする。
「あの人を知ってるの?」
「ええ、上級騎士のクラリカ・レストレードよ。騎士庁でも一番の堅物」
「ふん! 聞こえているぞ、シャルロッテ!」
近づいてくるなり、声を荒げたクラリカ。
改めてその顔を見た私は、その容姿にはっとした。
強い光彩を放つブラウンの瞳に、絶妙な高さの鼻梁。
金髪に縁どられた顔は白く、月光を浴びているような輝きを纏っていた。
絶世という形容が相応しい、力強く凛々しい美貌だ。
同時に厳めしく、威風堂々とした印象も受ける。
クラリカは私たち二人を見下ろすと、ひどいしかめっ面をした。
かすかにだが、権威主義が顔に現れている。
彼女は腰に手を当てて、大きく息をつく。
「何をしていた、ここは立ち入り禁止だぞ? 用件によっては、付いてきてもらうことになる」
「あはは、そんな怖い顔しないでよ。探偵としてちょっと事件の調査を、ね。現場を確認することは何よりも重要だから。ちなみに彼女は私の助手で、作業を手伝ってもらってたの」
「え、ええ! 助手のシェリー・H・ワトソンです!」
シャルロッテに促され、慌てて頭を下げた。
基本は礼儀正しい人物なのであろう、クラリカもそれに応じて軽く礼をする。
騎士らしい、キビキビと切れのある仕草だった。
「……なるほど、そういうことか。だが、たとえ探偵だろうが一般人には違いない。さっさと出て行ってもらおう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
シャルロッテの肩に手をかけ、半ば強制的に移動させようとしたクラリカ。
彼女の腰を掴むと、私はどうにかシャルロッテが連れて行かれるのを阻止した。
そしてすぐさま、血文字を発見した場所を指さす。
「あそこに、瓦礫に隠れるようにして血文字があったんです! せめてあれだけでも!」
「ほ、ホントに!? 内容は!?」
「ハバリア人は奪われるだけではない……ですって」
「ハバリアですって!?」
壊れたレコードのように、とんでもない声を出したシャルロッテ。
彼女は身を翻すと、すぐさま私の指差した先へすっ飛んで行こうとした。
だがそのコートの裾を、クラリカがわしづかみにする。
急に動きを止められた彼女は、勢い余って、顔からコンクリートの床に倒れてしまった。
バタンッと、聞いただけでも肌がヒリヒリと痛んでくるような音が、フロア全体に反響する。
「な、なにするのよ!」
「それはこっちのセリフだ! 一応、お前たちは不法侵入者なんだぞ? 一刻も早くお引き取り願いたい」
「騎士の横暴よ! 私は市民の一人として知る権利を主張するわ!」
「あいにくだが、ここの立ち入り禁止は我々だけではなくこのビルのオーナーの意向もあるんだ。下手に人が入ると、崩落の危険が高まるからな。そういうわけだから、さっさと出ていくように!」
「む、むう……!」
クラリカの極めて真っ当な言い分に、シャルロッテはすぐさま二の句が継げなかった。
彼女は苦虫を噛み潰したような顔をすると、喉の奥で唸る。
やがて、急に表情を和らげた彼女は、クラリカの方へとすり寄る。
猫が甘えるような、柔らかい動作だった。
「昔からの仲じゃない。私が信用できるってのはあんたも知ってるんだし、少しぐらいはさ。ね? お願いよ」
「昔から知ってるからこそ、こういうバカな行為を止めようとしているんだ」
「け、けちんぼ! 人がせっかく下手に出たのに! ちょっと背が高くてスタイル良くって美人で仕事ができるからって、調子に乗らないで!」
「そう言われてもだな、できないものはできない」
「やだやだ! 調査したい! したいの!」
「……シャルロッテ、さすがに恥ずかしいわ」
おもちゃを欲しがる子どもも真っ青のぐずりっぷりを見せるシャルロッテに、さすがの私もため息をついた。
メッセージの検証をしっかりしたいのはやまやまだが、さすがにこれは恥ずかしい。
彼女の保護者になったような気分で、クラリカに頭を下げると、シャルロッテの体をぐっと引っ張る。
「仕方ないわ、この場は帰りましょう?」
「ちょ、ちょっと!」
「では失礼します」
「気を付けて帰るんだぞ。安心しろ、あのメッセージならばすでにしっかりと調査してある」
「じゃあ、なんで公開しなかったのよ!」
「あんなものを公開したら、リンデンがひっくり返ってしまう! できるか!」
「真実なら公開するべきよ! 秘密主義! 事なかれ騎士庁!」
「……まあまあ、そんなに騒がないの。行くわよ」
「わ、わわッ!」
騒ぐシャルロッテにため息をつくと、コートを思いっきり引っ張る。
こうして私は、行きとは逆にシャルロッテを引き連れて、その場を後にしたのであった――。
「まったく。ああいうときは、徹底的に粘るべきよ!」
帰りの車中にて。
シャルロッテは鼻息も荒く、まだまだ憤慨した様子を見せていた。
拳を振り、どこぞの政治家よろしく大演説を繰り広げている。
すっかり耳にタコが出来てしまった私は、半分聞き流すようにしながら、彼女の言葉にうんうんとうなずいていた。
この年なのに、お母さんにでもなった気分だ。
「だいたい、クラリカがいけないのよ! 昔馴染みなんだし、少しぐらい融通を聞かせてくれたって罰は当たらない――」
「そういえば、クラリカとシャルロッテってどこで知り合ったの? かなり深い付き合いみたいだけど」
「どこでって、学校よ。たまたま同じ寄宿舎でね」
「へえ。あのクラリカって女の人、レストレード家の人でしょ? 学校だってそれなりだと思うけど、一緒だったんだ?」
とっさには思い出せなかったが、レストレードと言えば由緒正しい帝国貴族のお家柄である。
騎士庁の長官も、代々このレストレード家から輩出されていたはずだ。
爵位を持っているのかは知らないが、クラリカ自身もあの年で上級騎士というのは相当に出世が早い。
高等官吏試験に合格した秀才でも、騎士たちを指揮して捜査を取り仕切る上級騎士になるのは、三十前半といったところか。
現場からの叩き上げならば退官間際にになれるかなれないかといった地位だ。
実力があるのかないのかは分からないが、エリートには違いない。
私からの問いかけに、シャルロッテはにわかに動きを止めた。
彼女は引きつった笑みを浮かべると、口端から乾いた息を漏らす。
「ははは……。間違えてたわ、寄宿舎が一緒だったのはセシルね。クラリカは、家がたまたま近所だったのよ」
「……妙に誤魔化すわね?」
「そ、そんなこと気にしないの! それより、血文字の内容について考えない?」
「あれの?」
「ええ。犯人は本当にハバリア人なのかそうでないのか……」
シャルロッテはにわかに真剣な表情をすると、顎に手を押し当てた。
彼女はさらに懐から食べさしの飴を取り出すと、包み紙を剥がして口にくわえる。
何かしらの甘味を食べるのは、彼女が深く考える時の癖のようだった。
ここ数日だけでもかなりの頻度で飴をなめているので、医者としてはいささか不健康に感じる。
「いいけど、そんなに甘い物ばっかり食べてると太るわよ?」
「しょうがないじゃない、私の脳は糖分を欲しているんだから」
「脳みそはそんなに大食らいじゃないわ」
「私の頭脳は特別製なの! それよりも今は……」
それっきり、シャルロッテは思考の海に沈んで行ってしまった。
先ほどまでうるさく語りかけてきていたのが嘘のように、一言たりとも私に向かって話そうとはしない。
時折、聞き取れないほどの小さな独り言をぶつぶつと漏らすばかりだった。
まだ、レーカー通りの事務所に帰り着くまで十五分ほど時間がかかる。
話し相手がいなくなってしまった私は、窓の外をぼんやりと眺めながめた。
鉛色をした夜霧が、通りを広く漂っている。
その様子は、かつてハバリアの戦場で体感した砂嵐にどことなく似ていた。
「ハバリア人か……」
ハバリア人は、遥か東方の砂漠に端を発する少数民族である。
もともと住んでいた砂漠の名がハバリアであったことからハバリア人と名乗っているのだが、現在では大陸各地に分散して住んでいる。
今から遥か二千年前、当時隆盛を極めていたロマニウム帝国に砂漠を追われて以降、国を持つことが出来ずにいる流浪の民だ。
その性質上、列強各国における彼らの社会的地位は低く、不当に差別されているようなことも多い。
嘆かわしいことに、我がブリタニカ帝国においてもハバリア人への差別は顕著だ。
結婚や就職での差別は当たり前で、粗野で無教養な連中になると、平然と彼らに罵声を浴びせたりする。
彼らに特徴的な黒髪以外は、容姿もごく似通った同じ人間であるというのに、実際には平等など夢のまた夢だ。
そんな現状に不満を抱き、二千年来の念願であるハバリア人国家の樹立を目指した一部の過激派が、東方の帝国植民地で大規模な内戦を起こした。
内戦の炎はたちまちのうちに東方植民地全土へと広がり、燃え上がった。
帝国の拡大を食い止めたい列強諸国や、星錬術を巡って帝国と対立する十字教の思惑をも巻き込み、下手をすれば大陸全土が燃え上がるような大火へと。
ブリタニカ帝国はその鎮火のために膨大な軍事力を投入したが、ゲリラ戦法に長けたハバリア人はそっとやそっとのことで屈服はしなかった。
そうして、三年の月日が過ぎた頃。
泥沼化した戦況に業を煮やした帝国はとうとう、民間人も含めた殲滅命令を下した。
作戦は今でも続行されており、ハバリアの乾いた砂は現在でも血を少しずつ吸い続けている。
恨みに燃えたハバリア人が、帝国人に対して復讐を始めても、不思議はなかった。
実際、ハバリア人による帝国内部での犯罪を危惧する声も多数ある。
数百年来に渡り何事もなくこの地に居住し続けている実績があるため、今は何とか彼らも排除されずに済んでいるのだが――その平穏も、時間の問題かもしれない。
「皮肉なものだわ。悪魔なんて言われた私が、生き延びてるのに……」
自らが戦場で為したことが原因で、私は一部の医者から悪魔などと呼ばれている。
自分としては正しい判断をして、己の信念に基づいて行動したと思っているが、責められるだけの根拠は実際にあった。
狂気的な計画を立てた軍上層部や殲滅戦に臨んだ星錬術師など、他にも殺されるべき人間はいくらでもいる。
そんな連中が今に至るまでのうのうと生き延びて、戦争とはほとんど関係のない民間人が復讐で殺されるなんて。
もし本当に犯人がハバリア人ならば、疑問を感じずにはいられなかった。
「やっぱり、捜査を混乱させようとする目的か……。うーん……」
気がつけば、私は前後不覚になるほどどっぷりと思考の海に沈んでいた。
不意に、肩を揺さぶられる。
我に返ってみれば、馬車は事務所の真ん前に来ていた。
シャルロッテが呆れたような顔で、こちらを覗き込んでくる。
「どうしたの?」
「ああ、すこし……。血文字のことで考え事してて」
「早く降りるわよ、お夕飯を食べそびれちゃうわ」
「そうね、急がなきゃ」
シャルロッテは、座席に今日一日付き合ってくれた従者への報酬――なんと、二ギニーもある――を置いた。
彼女は私の手を掴むと、軽く引っ張ってくる。
私は苦笑すると、そのまま彼女と二人、連れたって馬車を降りた。
そうして玄関の前に立つと、シャルロッテがノブを握るよりも先に、ドアが開かれる。
栗色の頭が、元気いっぱいに飛び出してきた。
シャルロッテの頭が、エリカの胸にぶつかりそうになる。
「おっと! もう、危ないじゃない!」
「すまへんな! 二人が帰ってきたみたいやから、つい」
「ただいま。この匂いは……シチューかしら?」
甘く暖かな、ミルクの香りがした。
私は鼻をひくひくとさせながら、エリカの方を見やる。
すると彼女は腰に手を当てて、心底自慢げに胸を張った。
白いエプロンに包まれたふくらみが、誇らしげに前へ突き出される。
シャルロッテは小さいと言っていたが、私にはそこそこ大きく思えた。
林檎を詰めたぐらいはありそうだ。
「シェリーちゃんは鼻がええなあ。今日は私特製のシチューや! いっぱい作ったから、二人が帰ってくるのを待ってたんやで!」
「おお、シチュー! エリカのシチューって、すっごく美味しいのよ! 早く食べましょ!」
ひどく興奮した様子で、私の話しかけてくるシャルロッテ。
シチューの味を想像しているのか、その目はとろんとしていて、口の端からはよだれがこぼれていた。
私は彼女に軽く笑みを返すと、そのまま二人と共に家の中へと入る。
幸せな気分だった。
仲の良い人たちと、おいしい食卓を囲むという事実だけで、胸が切なくなるほど幸せだった。
体全体が、ほこほこと気持ち良い暖かさに包まれている。
この私がこんなに満たされていて――いいのだろうか。
罪を重ねてきた、この私が。
「……ねえ」
「なに? 怖いわよ、急に真剣な顔しちゃって」
「私、幸せになってもいいのかなって思って」
シャルロッテの動きが、にわかに止まった。
彼女は呆れたような顔をすると、ひどくあっけらかんとした態度で言う。
「……なーに言ってんのよ。良いに決まってんじゃない!」
「だって、私は――」
「昔のことでしょ? 今更どうにか出来ることでもないんだし、今をしっかり生きてればいいのよ。胸をドーンと張ってさ!」
腰に腕を当てると、シャルロッテは威張るように大きく胸を張った。
細く華奢な体には似つかわしくない、重量級の砲丸がズンッと揺れながら飛び出す。
「ほら、シェリーも! 姿勢を良くすれば気分も晴れるわよ?」
「ちょ、ちょっと!?」
「そんな身体を固くしないでよ? 女同士でしょ」
少々意地の悪い笑みを浮かべるシャルロッテ。
彼女は私の手を握りしめると、ささやかな抵抗を軽く退け、器用に背中側へと回した。
そのままグッと腰のあたりを押し、私の身体を弓なりに反らせて、半強制的に胸を張った姿勢を取らせる。
ゆったりとしていた白衣の前が、ぱっつんと張った。
布地に何本かのしわが寄り、ほとんど隠されていたふくらみが形を露わにする。
「や、やめて! 恥ずかしい!」
「恥ずかしくなんてないじゃない。こーんなにスタイル良いんだから、少しぐらいアピールしないと逆にもったいないわよ」
「べ、別に私はモテたいとかそんなこと考えていないから……」
「こら二人とも! はよせんと、シチューが冷めてまうで!」
エリカは私の胸元を見ながら、妙に棘のある声で言った。
それを聞いたシャルロッテは、笑いながら私の胸の下に手を回すと、たぷたぷと弄んで見せる。
華奢な手に収まらない膨らが、大きく波打つ。
刹那、嫌な気配がした。
先ほどまで笑っていたエリカの顔が、にわかに凍てつく。
笑顔の仮面が割れて、中から恐ろしい鬼が顔をのぞかせた。
やがて無言で突き出された拳が、廊下の壁を大きく揺さぶる。
ドンッと腹に響くような音が、強烈な威圧感と共に伝わってきた。
「……怒るよ?」
「は、はい!」
エリカの冷え冷えとした声に、私たちはすぐさまうなずいた。
そして彼女の視線に従い、飼い犬が小屋に戻るがごとく、速やかにシチューの用意された食堂へと向かう。
こうして、この日の調査は無事に終わったのだった――。




