第五話 探偵は足で稼ぐ
「昨日は全然進まなかったけど……! 今日こそ、やってやるわよッ!! 目指せ犯人逮捕ッ!!」
翌日、私とシャルロッテは朝から出かけていた。
家の中で唸っていてもしょうがないので、五か所の事件現場を丸一日かけて巡ることにしたのである。
ちなみに、クラブへ潜り込むことは私の猛反対もあって無しになっていた。
ギリギリのところで乙女の貞操は守られた――と言ったところだろうか。
まあこれからも気を引き締めていかないと、何をさせられるかわかったもんじゃない。
第一の事件現場は、レーカー通りを西に向かって、馬車で十五分ほど進んだ先であった。
帝国博物館やリンデン大学のキャンパスなどが集う、市内でも屈指の文教地区である。
木々を多く配した大学のキャンパスは、遠目で見るとさながら森のようで、世界一の大都市の中心部とは思いがたい静寂に満ちていた。
学生や職員たちのいる昼間でも、人影はかなりまばらで、建物の周辺以外はおよそ気配がない。
彼らが帰ってしまう夜になればなおさらだろう。
ほとんど、都会の死角と言ってもいいような場所だった。
「あれだわッ! 止めて!」
キャンパスの構内を通り抜ける、曲がりくねった細い通り。
そこを馬車で進んでいると、不意に、黄色と黒の規制線で区切られた一角が目に飛び込んできた。
歩道の一部が、道路工事でもしているかのように、四角く囲われている。
シャルロッテは慌てて馬を止めさせると、すぐさま扉を開けてすっ飛んで行く。
私は御者に軽く頭を下げると、飛び降りて彼女の後を追った。
「ここが第一の被害者、ジェシカ・アルバートの殺された場所よ。ちゃんと、遺体があった場所が遺されてるわ」
「半年近くにもなるのに、まだ保存してあったのね」
「これだけの事件だからね。いつまで続くかもわからないし、騎士庁も撤去できずにいるんでしょ。私たちには好都合だけど」
そういうと、シャルロッテは立ち入り禁止を示す規制線をためらいもなく潜り抜けてしまった。
私は両手を上げて大きなため息をつくが、今さら彼女を止められるはずもない。
仕方なしに自身も規制線を潜り、彼女についていく。
「被害者が倒れていたのはここね。まだ、チョークの跡が残っているわ」
「あちこちに円い縁取りがされているのは……バラバラだったからなんでしょうね」
さすがに、事件の際の血痕は雨によって洗い流されてしまっていた。
しかし、騎士たちが記録用に現場に残していったチョークの線は、今なおはっきりとしている。
本来、人型になされるはずの白い縁取りは、いくつもの楕円に分かれていた。
なかでも手のひらと腕を象ったらしき縁取りは、得体の知れない気持ち悪さを醸し出している。
バラバラ殺人――八つ裂きジャックの異常性は、半年の時を経てもなお、ありありとその痕跡をとどめていた。
「被害者はその日、この先にある劇場でパトロンの男と待ち合わせをしていたらしいわ。そこへ向かう途中、ジャックに襲われてこのありさまってわけよ」
「目撃者は……居ないでしょうね」
「ええ。翌朝、たまたま通りがかった学生の一人に発見されたらしいわ」
「となると、犯人の手掛かりは……」
「残念ながら、ほとんどないわね」
「うーん……」
改めて現場を見るが、なにぶん、相当の時が経過してしまっている。
何かしらの証拠があったにしても、風か雨によってかき消されてしまっていることだろう。
季節によっては、近くの木々から落ち葉だって降ってくる。
遮るものなど何もない路上、わずかな痕跡なんてあっというまに流されてしまったに違いない。
詳しく調べるにはいささか時間がたち過ぎていたし、場所も悪すぎた。
しゃがみこんで現場を観察していたシャルロッテは、やれやれとくたびれた息をつくと、ゆっくり立ち上がった。
彼女は腰を軽くひねると「よしッ!」と気合を入れなおす。
「仕方ない、次の現場へ行きましょうか。まだ、四か所もあるし!」
「ええ、そうね」
「よーし、まだまだ頑張るわよッ!」
私たちは馬車に戻ると、急ぎ、第二の現場へと向かった。
第二の現場であるサウスブリングの街は、ここからまっすぐに南下して川沿いを進み、橋を超えた先である。
今日はかなり道は空いていたが、それでも馬車で三十分近くかかった。
新型のモービルでも、二十分以上はかかることだろう。
同一犯が起こした事件の犯行現場にしては、かなり離れていると言えた。
こうしてたどり着いた第二の現場は、第一の現場と同じように、人通りの少ない路地裏だった。
大通りへとつながる近道だそうだが、土地勘のない人間でなければ滅多に通らないような寂しい場所である。
殺人鬼よりも、浮浪者やチンピラとでも出会ってしまいそうなところだ。
建物の出入り口におかれたゴミ箱から、かすかに嫌なにおいが漂ってくる。
被害者は、男との待ち合わせ場所に向かって急いでいたところを、ジャックに襲われたらしい。
状況的には、第一の事件とかなり似通っている。
だが第一の事件と決定的に違うのは、発見されるまでの時間だ。
第一の事件が半日以上経過した後だったのにもかかわらず、こちらは二十分もかかっていなかった。
相手の男が、つい一か月前に起きた第一の事件のことを思い出し、彼女が通りそうな道をすぐにあちこち探した結果らしい。
「壁に血が残っているわね……」
路地裏の一角に、物々しく張られた規制線。
例によってそれを潜り抜けたシャルロッテは、現場近くの壁に残された血痕を見ていた。
五階建てほどのビルに挟まれた、圧迫感を覚えるほどの狭い路地。
日差しもまともに注がないこの場所は、ビルによって風雨から守られるような格好となっていた。
現場に残されたおびただしい血痕の一部が、第一の現場とは違って、わずかながらも残存している。
変色し、黒々とした墨のようになった痕がぽつぽつとまだら模様を作っていた。
壁に、道に、放置された酒樽に――惨劇の模様が写し取られている。
さすがの私も、顔をしかめずにはいられない。
「ねえ、ここ! やけに血の量が多くない?」
シャルロッテが指差したのは、ひときわ大きく、黒で塗りつぶされた円だった。
大人が三人、固まって立てるぐらいの面積がある。
他の物に比べて色もはっきりとしており、白っぽい石畳がそこだけ真っ黒く染め上げられていた。
血痕の一部は触手のように長く伸び、近くの壁にまで達している。
ここでおびただしい量の血が流されたであろうことは、明白だった。
それこそ、事件直後は血の海と形容できるほどだったことだろう。
「ここで、被害者が殺されたのかしら」
「たぶんね。近くで刺されるか何かして、この場所に倒れこんだんだわ。だから、この場所にたくさん血が流れた。もし星錬術で最初からバラバラにしたなら、もっと血は広範囲に飛び散るはずよ!」
「となると……殺されてから、バラバラにされたってことね?」
「ええ、そういうことになるわ。犯人は被害者をバラバラにして殺したんじゃなくて、殺してからバラバラにしたのよッ! これは重大なことだわ!」
瞳を輝かせ、得意げに語るシャルロッテ。
さながら、新しい数式を発見した科学者のようであった。
それも、叙勲されるクラスの大発見をしたかのようだ。
彼女は懐からルーペを取り出すと、うきうきとした表情で、より詳細に血痕を観察する。
「ざっと、直径一メートルってとこね。血が細く流れて、壁際にまで達してるところもある……。首でも切ったのかしら?」
「頸動脈を切ったなら、もっと違う形の血痕ができたはずよ。血が一気に噴き出しちゃうから」
個人差は大きいが、人間の血圧と言うのは馬鹿にはできない。
看護婦が間違って動脈に注射針を刺したところ、血が天井まで飛んだなんて話もある。
首の大動脈を切れば、それこそ噴水よろしく血が吹き上がることだろう。
周囲には血のシャワーが降り注ぎ、もっと派手に血痕が飛び散っているはずだ。
このように、血だまりが綺麗な円形に出来るとは考えにくい。
「やっぱり、お腹とか胸を刺されて倒れたって感じかしらね」
「そうなると思うわ」
「ただそれだと、ちょっと量が多すぎる気がするわ。素っ裸で襲われたのなら分からないでもないけど、服を着ていたはずだし」
「……確かにそうね」
事件が起きたのは、まだ肌寒さの残る季節のことである。
リンデンは寒冷な土地であるし、被害者がシャツ一枚で行動していたなんてことはありえない。
それなりの厚着をしていたはずだ。
となれば、被害者の着ていた衣服が出血をかなり吸い込んだはず。
それなりに長い時間、被害者を同じ場所で横にでもしていない限り、これほど大きな血だまりが出来るとは考えにくい。
「もしかしたら、犯人は被害者を殺した後にしばらく何かをやっていたのかも……?」
「いつ誰が来るかもわからないのに? 犯人の心情からしたら、一刻も早くその場から逃げ去りたいはずよ。いったい何をやったっていうの」
「被害者の持ち物を物色してたとか」
「……持ち物は何も盗まれちゃいないわ。命以外はね」
シャルロッテは首を横に振ると、少し冷ややかな口調で言った。
盗みが目的でないとすると、いったい犯人は何をやっていたのか……。
謎はいっそう深まっていくばかりだ。
考えれば考えるほど、思考が泥沼にはまっていくような気がしてしまう。
答えの出ない問いに、頭が締め付けられるように痛くなってきた。
「……まあいいわ、次の現場へ行きましょ。これまでの結果だけでも、結構な成果だわ」
「そうね。あとでゆっくり考えましょうか」
「さ、そうと決まったら早く早く!」
シャルロッテに手を引かれ、現場を後にする。
こうして私は、第三の事件現場へと足を踏み出したのだった――。
第三、第四の現場では特に大きな収穫はなかった。
強いていうならば、ジャックは現場に証拠を残さない、実にいい仕事をしたということが分かった。
第一、第二で経験を積んだことが手際の良さにしっかりと反映されている。
ジャックは良くも悪くも『悪魔的な』頭脳を持っているようだ。
悪質な病原菌が抗体を獲得するように、進化と変化を繰り返している――。
「いよいよ、第五の現場ね!」
「何だかんだで、結構時間がかかったわ。早く仕事をしないと」
車窓から、すっかり茜色に染まった空が見えた。
東方は薄く墨を塗ったような藍色で、夜が押し迫ってきているのがわかる。
念のためカンテラは持ってきているが、出来れば日が完全に暮れてしまう前に、仕事を終わらせたいところだ。
「そこの角を右に曲がって。そう、そのビルよ!」
やがて私たちの目の前に姿を現したのは、恐ろしく寂れたビルだった。
高さは四階建てで、間口の広い長方形をしている。
元は商業施設か何かだったのだろう。
ステーキのイラストが描かれたレストランの看板が、軒先でプラプラと揺れている。
外壁の一部は崩れてはがれ、中はすっかりがらんどうになっていた。
建物の維持に必要な柱や壁は残されているが、それ以外はほとんどすべて取り払われている。
むき出しにされたコンクリートが、冷たく物寂しい雰囲気を醸し出していた。
「ここが第五の現場? 今までとはだいぶ違うわね」
今までの四か所は、場所こそ異なるがいずれも路上であった。
それが今回は、廃墟とはいえ屋内だという。
首を傾げた私に、すぐさまシャルロッテが説明をする。
「第五の被害者ナターシャ・クラコーは用心深い女でね。護身用に、拳銃を持ち歩いていたのよ。それも、四十四口径! 路上でジャックに襲われた時もそれで応戦して、命からがらこのビルまで逃げ延びたってわけ」
「だけど結局、殺されてバラバラになってしまったのね……」
「ええ、ジャックは星錬術が使えるからね。身を隠そうとしてここに逃げ込んだのが、逆に仇になったんだわ」
星錬術の破壊力は凄まじいものがある。
攻撃に長けた術師ならば、艦砲射撃に匹敵するほどの攻撃を繰り出せる。
だがその反面、術の発動にはいささかの時間が必要だ。
早くて一~二秒のタイムラグがある。
一つの術に特化して、極限まで発動を早くすることもできなくはないが……それでも引き金を引く方が早い。
加えて術師自体は生身の人間であるため、弾丸を命中させることさえできれば殺すことは容易だ。
なので、ギリギリまで距離を詰めて拳銃を突きつければ、勝利も不可能ではなかったはずだが――いかんせん、そこは素人か。
身を隠すために逃亡するという、対星錬術師戦では最悪の選択肢をとってしまったようだ。
「少し暗いわね。カンテラつけて?」
「はい、どうぞ」
「サンキュ!」
例のごとく張ってあった規制線。
建物自体が古いこともあってか、今回はそれに加えて「立ち入り禁止」と書かれた看板まで立っていた。
しかしシャルロッテは、カンテラを手にすると、闇を分け入って内部に潜り込む。
彼女の後に続いて、私も恐る恐るではあるが、規制線を潜って建物の内部へと足を踏み込んだ。
たちまち、湿気を孕んだ温い風が私の頬を撫でる。
外から見て判断したよりも、実際はかなり風化が進んでいるようだった。
天井から落ちたコンクリートの欠片が、砂利のようにして床に散らばってしまっている。
どこからか吹き込んだ風が内部で共鳴して、魔笛のような重低音を鳴らした。
戦場で恐ろしい体験は数えきれないほどしてきたが、それらとはまた種類の違う、陰湿で昏い恐怖が私の体を包む。
背中が曲がり、自然と猫背になった。
「現場はどこ?」
「三階の西側よ」
「結構あるわね……」
「もしかして、怖い?」
「まさか」
「そう、なら急ぎましょ。日が暮れたらもっと暗くなるわ」
一足飛びで、ととととっと階段を駆け上がっていくシャルロッテ。
彼女に続いて、私もややゆっくりとではあるが階段を上っていく。
やがて三階に辿り付いた私たちは、すぐさま西側へと走った。
するとたちまち、星錬術による破壊の跡が目に飛び込んでくる。
頑強なはずのコンクリート建築が、圧倒的な力によって凹み、抉り取られていた。
この場所を舞台に、戦争でも起きたかのようだ。
「凄いわね、これ。ガトリングガンでも乱射したみたいだわ」
「どんなタイプの術式かしらね……」
穴の開いた柱を見ながら、シャルロッテが呟く。
星錬術に詳しい彼女でも、あまり見たことがない類の物であるようだった。
ルーペで穴やクレーターをじっくりと観察しながら、頭をしきりとひねっている。
彼女を横目で見ながら歩を進めると、やがて血痕が目に飛び込んでくる。
錆びた緋色のまだら模様が、視界全体を覆い尽くした。
第二の現場よりも、全体としてまだらが細く伸びており、激しい印象を受ける。
「ここが現場みたいだわ」
「おおッ! 血痕がしっかり残ってるわね!」
「被害者が応戦してきたから、証拠の隠ぺいとかを気にしていられなかったのかも」
「好都合だわ、最後だし決定的な証拠をつかんでやるわよッ!」
シャルロッテは鼻息を荒くすると、懐からキャンディーを取り出した。
長い棒の先端に渦巻き型をした飴の付いた、俗にペロペロキャンディーと呼ばれるタイプのものだ。
彼女はそれを口にくわえると、その場でしゃがみこんで周囲の観察を始める。
その背中は真剣そのもので、近づくことすらためらわれるほど緊迫した雰囲気を纏っていた。
真実を見つけようと必死な顔は、パズルを解こうと頭を振り絞っている子どものようである。
「邪魔しない方がよさそうね……」
私はシャルロッテから距離を取ると、自分は自分で現場の検証を進めることにした。
万が一にも建物を崩さないように注意しながら、一歩一歩、足を動かしていく。
ナターシャという女はあのジャックを相手にかなり粘ったようで、争いの痕跡はそこら中に残されていた。
星錬術による大規模な破壊の跡はもちろん、鉛弾が食い込んだ柱などもある。
それら一つ一つに目を配りつつ、慎重に現場の観察を続ける。
すると一か所、がれきに埋もれた壁があった。
天井に貼られていた石膏板が落ちて、屋根でも作るように寄りかかってしまっている。
上に分厚く堆積した埃からして、結構前からこの状態となっていたらしい。
私は手袋をはめると、縦横五十センチほどの板を慎重にどかす。
「これは……!」
灰色の壁に、緋色の文字が鮮やかに浮かび上がっていた。
血文字だ。
滴るほどの血を使って、おどろおどろしい筆致で描かれている。
悪魔がこの世に残していった、置手紙のようだ。
瞳がたちまち驚愕で大きくなる。
――ハバリア人は奪われるだけではない。
暗示的で、心を貫くような強烈なメッセージだった。
「犯人はハバリア人……? まさか、復讐なの……?」
狼狽し、声が引きつる。
自然と腰が抜けてしまった。
私は尻を引きずりながら、じりじりと後退する。
脈が速くなり、全身が嫌な汗で濡れた。
トラウマがよみがえってくる。
「シェリー、どうかしたの? ……ん?」
心配そうなシャルロッテの言葉が、不意に途切れた。
彼女は私とは逆の方を見ると、目を細める。
手がズボンのポケットへと伸び、素早くアストロラーベを取り出した。
上蓋が開かれ、視線がいつの間にか昏くなっていた星空を一瞥する。
臨戦態勢――そう呼ぶのが相応しい、緊迫した気配がにわかに満ちる。
「あなた、誰?」
研ぎ澄まされたバターナイフのような、切れ味鋭い声。
それに掬いだされるようにして、柱の陰から、黒い影が姿を現した――。
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