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第二話 シャルロッテ・ホームズという少女

 リンデンの市街地を、西端の工業地帯から東端の高級住宅地に至るまで、一直線に貫くレーカー通り。

 無数に存在するこの街の通りの中でも、一番有名で活気のある場所である。

 煉瓦で舗装された通りの上を、人や馬車、最近流行り出したモービルなどがぶつからないのが不思議なくらい所狭しと行き交っている。

 シャカシャカと動く人波は、さながらブリキの兵隊が行進しているかのようだった


 私は交差する人々に肩をぶつけないよう注意しながら、地図を片手に歩いていた。

 街灯に書かれた住所と地図を念入りに見比べながら、少しずつ目的地へと近づいていく。

 やがて「レーカー通り220番地」と書かれた街灯の前で、私は歩を止めた。

 このほんの少し先にある家がレーカー通り221、ひいては221Aを有する場所のはずである。

 おもむろに視線を上げてみれば、背の高いアパルトマンに挟まれたこじんまりとした屋敷が、目に飛び込んできた。


 地上三階、半地下一階建て。

 左端にある玄関の部分が突出して、独立した塔のようになっている。

 屋根は緑青色のスレートが貼られた三角屋根で、壁は明るいレンガ色。

 それなりの年月を経ているのか、色合いはやや褪せてきているが、最低限の手入れは行き届いているようだ。

 それぞれの階に二つずつ取り付けられた窓はいずれも大きく、上部が緩やかな弧を描いている。

 二階の窓の外には、柵で囲まれた小さなバルコニーのようなスペースがあって、鉢植えが並べられていた。

 大きさこそそれほどでもないが、なかなかに洒落た造りの家だ。

 都会的な雰囲気を纏いつつも、どこか牧歌的なほのぼのとした薫りがする。


「へえ……なかなか雰囲気のある場所ね」


 玄関へと続く階段を上がると、呼び鈴を鳴らす。

 チリンッと、良く澄んだ耳に気持ちの良い金属音が響いた。

 だが、しばらくたっても反応はない。

 外出しているのだろうかと思って、壁に張り付くようにして窓を覗き込んでみると、閉め切られたカーテンの向こうから微かに無尽灯の光が漏れていた。

 誰かが家にいることは確実なようだ。


「すいませーん!」


 声を張り上げた私は、もう一度、先ほどよりも力を込めて呼び鈴を鳴らす。

 しかし、しばらくたっても物音ひとつ聞こえては来なかった。

 しびれを切らした私は、思わず玄関の扉を癇癪持ちのように勢いよく叩いてしまった。

 すると驚いたことに、黒い樫の扉はスウッと滑らかに開いてしまう。

 鍵が掛けられていなかったのだ。

 薄く開いた扉の先には、意識が吸い込まれるような暮明が広がっている。


「おじゃましまーす……」


 待っていてもらちが明かないので、思い切って足を踏み入れてみる。

 扉を閉じると、たちまち周囲は闇に閉ざされてしまった。

 奥の部屋の扉から漏れる、淡い光。

 その明るさに導かれながら、ゆっくりゆっくりと足元に注意しながら歩く。

 家の中で、何かの化学実験でもしているのだろうか。

 病院にも似た、薬品独特の胸が悪くなるような匂いがした。


「な、何かしらねこの匂いは……」


 恐る恐る、灯りの零れてきている扉を開く。

 するとたちまち、混沌とした部屋が目に飛び込んできた。

 壁一面を埋め尽くす書架。

 数々の専門書から薄手のファイルに至るまで、本と見なされる物体なら何でも雑多に押し込められているようだった。

 張り出された天宮図と暦、元素周期表。

 いずれもかなり本格的な代物で、大きく描かれている惑星記号や元素記号とは別に、細かな解説が所狭しと記されている。

 さらに部屋の端には、太陽系を模した精巧な天体モデルと巨大な望遠鏡が置かれていて、怪しげな雰囲気を一層盛り立てていた。

 もし魔女が現代まで生き延びていたら、こんな環境にこそ好んで住むだろう。


 本棚の合間におかれた、奥行七十センチほどのがっしりとした作業机。

 その上にフラスコやら試験管やら、様々な機材をいっぱいに広げて、何やら熱心に実験している人間がいた。

 長く伸びた緋色の髪、小柄で細身の体、背中を向けているというのに存在が確認できる驚異的な胸の突起物。

 襟元から覗くうなじからの白さからしても、間違いなくその人物は少女であった。

 この子が、シャルロッテ・ホームズその人であろうか。

 夢中になって試験管の中の液体を撹拌している彼女に、控えめな声で呼び掛ける。


「あの、シャルロッテ・ホームズさんですか?」

「…………発色が悪いわね」

「返事をしてください」

「もう少し、試薬の量を増やす必要があるかしら」


 少女はピペットを手にすると、フラスコの中の赤い液体を試験管に数滴たらした。

 たちまち、薄い青色をしていた内部の溶液が、鮮やかな蛍光グリーンへと姿を変える。

 絵の具の塊を溶かしたような、急速な変化であった。

 彼女はそれを手にしたまま立ち上がると、興奮した様子で私の方を見る。

 大きな青い瞳は、さながらダイヤモンドでも掘り当てたかのように喜色に満ちていた。


「やったわ! ついに獅子宮生まれの血液だけに反応して、色を変える試薬を発見したわッ!!」

「へ、へえ……」

「これがどんなに凄いことかわかる!? ねえ!」


 占星医学を学んだものとして、とても面白い発見であることは分かった。

 彼女の言ったことが本当であるのならば、生まれた月によって人間の血液にわずかながらも差異があるということになる。

 人体は星の支配下にある――占星医学が長年提唱してきた理念の、確かな証明に他ならない。

 科学の針がまた一歩、前進するかもしれない発見だった。

 しかしながら、今はそれどころではなかった。


「……わかるわ。占星医学の発展に大きく貢献できるかもしれない。けどそれより、あなたはシャルロッテ・ホームズさんなの?」

「ああっと、すっかり忘れていたわ!! 初めまして、私がシャルロッテ・ホームズよ。シャルロッテでいいわ」

「こちらこそ初めまして。私はシェリー・H・ワトソン。私もシェリーでいいわ」

「シェリーね、覚えたわ。これからよろしくね! 早速だけど、お給料は十日締めの月末払い、休みは週に一日ぐらいって感じでいいかしら? 忙しい時期には、毎日が仕事って感じになっちゃうかもしれないけど」


 シャルロッテが雇用条件の話をし始めたことを理解するのに、私は数秒の時間を要した。

 まだ何も事情は説明していないのに、せっかちな子だ。

 いや、むしろ――なぜ私が助手の募集に応募した医者だってわかったのだろう?


「……シャルロッテさん。何で、私が医者だってわかったの?」

「さんはいらないわ。気楽にいきましょ」

「……そうですか? わかりました」

「『そう、わかった』でいいのよ」

「わ、わかったわ」

「それでよし。そこに腰かけて、説明は今するから」


 シャルロッテに促されるまま、私は部屋に置かれていたソファに腰かけた。

 風変わりな部屋に置かれている割には、質のいい品で、腰が柔らかな感触に埋もれる。

 心地よさから、自然と表情が緩んだ。


「なかなかいいでしょ? えっと、あなたが医者だって判断した理由はそうね、まずは来た時間よ」

「時間?」

「そう、平日のこの時間にわが家を訪ねてくる人間はとても珍しいわ。だいたいの人は働いている時間だから。ご老人や何か商売をやってる人なら別だけど、あなたはそうは見えない。つまり、募集の話を聞いてやってきた医者である可能性が高い」

「なるほど、でもそれだけだと根拠が弱すぎると思うわ」

「まだまだ、他にもあるに決まってるでしょ?」


 シャルロッテは、舐めないでとばかりに頬を膨らませた。

 白くほっそりとした顔が、食べ物を頬に詰め込んだネズミのように、下膨れになる。

 本人としては怒っているのだろうが、もともとビスクドールのような整った顔立ちをしているだけに、逆に愛らしくなってしまっていた。

 それを見た私はなんとなく微笑ましいような気持になる。


 すると、私の感情の機微を察知したのだろうか。

 シャルロッテの眉間に、にわかに深い皺が寄った。

 マズイ、幼いとかそういうことを気にするタイプの女の子だったか。

 私はシャルロッテの百五十センチほどしかない身長と華奢な体つきを見て、それとなく事情を察する。

 ……胸だけは、零れ落ちそうなほどの立派な果実を抱えているのだけれど。


「何か、いま私のことを幼いとか子どもっぽいって思わなかった?」

「いえ、別に……。そんなことはないわ」

「それならいいわ、話をつづけるわね。次の根拠は、あなたが特に騒がずにここまでやってきたこと。家がこれだけ薬品臭かったら、普通の人間なら大騒ぎするわ。うちの大家さんとかね。このことから、あなたは日ごろから薬品の臭いに慣れていることが分かる。医者の可能性がますます強まったわ」

「なかなか、いい推察かしら」

「最後に、興奮した私の話を聞いて『占星医学』と言ったこと。医学にそれなりに精通していなければ、まず出てこないワードだわ。これで医者確定ってわけ」

「……凄い、よくあの状況で聞き逃さなかったわね」


 感心して、私はパラパラと手を叩いた。

 あの興奮した状態で私のさりげない一言を聞き逃さないとは、相当の注意力である。

 するとシャルロッテは、照れくささからか顔をほんのり赤くしつつも、さらに饒舌となる。


「まだこれだけじゃないわ。同時に、あなたが相当に腕の立つ医者だってことも分かった。だから、詳細な条件の話とかをしたのよ?」

「……それって、つまり採用ってことかしら?」

「ええ、合格」


 拍子抜けするほど、あっさりと決まってしまった。

 厳しい面接などを覚悟してきたというのに、そんなものは影も形も存在しなかった。

 私としては採用されて何よりといった心持ちだが、さすがに理由を聞かずにはいられない。

 このままでは彼女と働こうにも、心がむず痒くもやもやとしたような気分が残ってしまうから。


「どうして? なんで、私が優秀な医者だってわかったのかしら? 聞かせて」

「理由は簡単よ。あなたが若いから」

「逆じゃないの?」


 思わず怪訝な顔をしてしまう。

 私のような小娘が医者として現れたら、普通はその実力を疑うことだろう。

 いや、医者として認識してもらえればまだマシな方か。

 頭の固い人間が相手ならば「ごっこ遊びをしているんじゃない!」と一喝されてもおかしくはない。

 事実ここ半年間の就職活動で、本物の医者なのかと疑われて医師免許を取り出すのは、もはや通過儀礼と化していた。

 そしてその後、医師免許に書かれた名前を見てしかめっ面をされるのも、お馴染みだった。


 しかしシャルロッテは、朗らかに笑う。

 青く透き通った瞳は、自信と確信に満ちていた。

 熟練した職人のように、自身の眼に相当の信頼を置いているようだ。


「そうね。若ければ実力がなさそうに見えるっていうのは、極めて一般的な考えだわ。あなたぐらいの年なら、本物の医者かどうかすら怪しまれることが多いでしょうね。けど、あなたは『リンデンで一番腕が立つ医者がほしい』とはっきり断言している私の元を訪れた。つまり、私が抱くであろう不信と疑いを、確実に晴らせる自信があったってことよ」

「なるほど、一理あるわね」


 シャルロッテの推測したとおりである。

 もし彼女から実力を疑われたら、自身の足をメスで軽く切って、素早く縫合して見せるぐらいの覚悟は決めて来ていた。

 そのための道具も、しっかりとカバンに詰め込んでいる。

 何もかもお見通しなシャルロッテの言葉に、私は内心で舌を巻いた。

 金持ちの放蕩娘だとばかり思っていたが、とんだ切れ者である。


「この時点で可能性は二つ。一つは自信過剰な大馬鹿者。もう一つは、本当に腕が立つ医者。先ほどまでの受け答えを見る限り、あなたはかなり控えめで自己評価の低いタイプだと判断したわ。もし自意識過剰な人間だったら、私の手から試験管を取り上げていたはずだからね。よって、前者の可能性はほとんどなく、後者の可能性が高いっと、こういうわけよ」

「……自意識過剰な人間でなくても、試験管は取り上げたくなるけどね」

「あはは……。まあ、結局取り上げなかったんだし、推理に間違いはないわよ!」


 痛いところを突かれたのか、シャルロッテは笑ってごまかした。

 観察力に優れてはいるが、意外と細かいことは気にしない性格をしているようだ。

 まあ、神経質な教授と研究室を共にしたことがある経験上、これぐらいの方が助手として付き合うには気楽でいいかもしれない。

 それに、後頭部をポリポリと掻きながら困ったように視線をそらして笑うその姿は、どことなく憎めなかった。


 彼女はそのままゆっくりと立ち上がると、先ほどまで座っていた机の棚を開く。

 羽ペンとインク、そして一枚の羊皮紙を取り出した彼女は、私の前にそれらを並べた。

 紙の上部には、達筆な筆記体で『契約書』と書かれていた。

 この場で契約を済ませてしまうつもりらしい。


「条件を確認して、これで良かったらサインをして。こういうのって、早い方がいいし」

「ちょっと待って。その前に、あなたが何者かを確認したいわ」

「ありゃ、知らないで来たの?」


 シャルロッテは目を丸くすると、素っ頓狂な声を出した。


「ええ、紹介をしてくれたスタンフォードさんは、あなたが何をしている人か知らなかったわ。というよりも、教えてもらえなかったって言ってたわね」

「あー、そういえばそうだった。言ってない奴もいたか」

「それで、何をやっている人なの?」

「分からない? この部屋を見て」


 どことなく、挑発的な口調で言うシャルロッテ。

 口元が楽しげに歪み、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 彼女に試されていると感じた私は、とっさに部屋の中を見渡してヒントを捜す。

 

 壁一面に並べられた、蔵書でいっぱいの本棚。

 部屋の端に置かれた望遠鏡と無数に書き込みのなされた天宮図。

 ガッシリした作りの実験机とその上に並べられた実験器具の群れ。

 だいたいではあるが――シャルロッテが何者なのか、想像がついた。

 化学と天体の知識を同時に深く必要とする職業と言えば、一つしかない。


「星錬術師かしら?」

「うーん、惜しい! あれを見て」


 そう言ってシャルロッテが指差したのは、本棚の中でも厚いファイルが並んだ一角だった。

 ファイルの背表紙にはそれぞれ「1895年1月」と言った具合に、日付が書かれていた。

 日付は連続していて、何かの資料を長期的に集めているのだとわかる。


「えっと、何かしら? 天体の観測日記?」

「違うわよ。あれはね、興味深いと思った事件の新聞記事をスクラップにして集めているの。まだ数年分しかストックがないんだけどね」

「へえ……」


 なかなか、興味を惹かれる試みである。

 資料が十年分、二十年分と蓄積されていけば、さぞかし大きな財産になることだろう。

 けれどこれで、私はシャルロッテの職業がますますわからなくなった。

 事件の資料なんて集めて、何をしようと言うのか。

 博物学的に、事件と暦の相関関係でも導き出そうというのだろうか。


「……私の完敗でいいわ。教えて?」

「私の助手になるなら、もう少し観察力を鍛えないとね。ま、いいわ。教えてあげる。私の職業は――」


 シャルロッテは軽く息をのむと、もったいぶるように間を開けた。

 そして――


「探偵よ。おそらく世界で唯一、星錬術を使う探偵。さしずめ星錬探偵ってとこかしら!」


 大きく胸を張り、誇らしげに語るシャルロッテ。

 これが私の前で初めて、彼女が己の肩書を名乗った瞬間であった――。


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