第6話 帰還
目を覚ますとそこは見慣れた僕の部屋だった。
頭がボーっとしているが柔らかいものに包まれている感触から膝枕をされているのがわかった。
太股の感触と優しく頭を撫でてくれる気持ちよさにまた寝てしまいそうだ。
寝返りをうち仰向けになると蝋燭の灯に照らされたすごく綺麗な女の人が覗きこんでいる。
焦点が合わなくて顔がはっきりわからない。
どことなく彼女が神様に似ている気もしたので、夢か現実か確かめるように手を伸ばし頬を触ってみると優しい笑みが返ってきた。
どれくらい頭を預けていただろうか、感覚的には一時間くらいだが実際は数分だろう。
完全に覚醒した僕は覗き込んでいる彼女に話しかけてみた。
「どうして神様が僕の部屋にいるの?」
「君に会いたくなったからだよぉ。それよりボクが神様だってよくわかったねぇ」
「雰囲気と、笑顔と、頭を撫でてくれた手があのときと一緒だったから」
「そうかいそうかい。あーあぁ、絶対わからないと思ったんだけどなぁ。さすがボクのルーシー」
「えへへ。大切な人は絶対に間違えたりしないよ」
二人して笑みを漏らし、僕は再会の嬉しさに神様へ抱きついた。
だけど柔らかな身体で包み込んでくれる神様は出会った頃とは全体的に違っていた。
ちっちゃかった神様の身長は頭一つ分は大きくなり、身体の他の部分も一段と成長している。
髪は銀から淡優しい桃色へ、眼の色は淡紫から僕と一緒の淡青色に変わっていた。
幼かった印象は今はなく、唯一変わらない腰まで届く長い髪は緻密な模様と宝石をあしらったリングで左側に束ねられサイドテールが作られている。
何故ここまで姿が変わってしまったのか訪ねてみるとすぐに答えてくれた。
神様の性格から僕を驚かせたかっただけという可能性を思い浮かべてたけど違ったみたい。
本来下界に行く神様なんて居なく、というよりも行ってはいけない決まりで、神『オーディン』にどうしても行きたいと駄々をこねた結果、条件付きで許しを得たらしい。
条件というのは『神力』を封印して人間になること。
神様達は普段の生活の中で力を行使するのに『神力』を消費している。
これは僕達が言うところの『魔力』、その上位版と考えてもいいらしい。
今から使えなくなりますが良いですかと言われて了承する神なんていないと考えたのだ。
だが天界では食事を取る必要も歳を取ることもなく、日がな下界を見るだけの退屈な生き方に飽きていた神様は、丁度良いと二つ返事で了承したらしい。
そして僕が起きる数時間前に下界へ降りてきた。
諦めさせるための条件が裏目に出てしまい彼が苦い顔をしていたのは容易に想像できる。
ご愁傷様です。
でも僕としては神様にまた会えて嬉しかったので、今度教会に行ったときお礼を言おうと思う。
話ができたなら愚痴くらいは聞いてあげてもいいかな。
こうして人間になった彼女、神様改めノルンちゃんは僕に会いに来てくれたのでした。
「ボクも見た目が変わったけどぉ、ルーシーも一緒だよね♪」
僕も変わったと言われ何の事かと胸から顔を離して彼女を見上げた。
髪を切ったのは先月だし、背も伸びていない、そもそもノルンちゃんと会ったのは昨日だから簡単に変わるはずもない。
不思議そうに見つめる僕の頭をノルンちゃんは優しく撫でながら答えた。
「前の金髪もすごく綺麗だったけど今はもっとも~っと綺麗だよぉ。神々しさすら感じちゃうね! いや、もう君が神だよ!!」
神様はノルンちゃんでしょと思いながら肩まである髪を摘むと見える位置まで持ち上げた。
僕の指に挟まれた髪は光で出来ているのではと錯覚しそうになるほど美しい純白の髪があった。
綺麗だなと暫く見惚れていると頬をぷにぷにされている感触に気がついたので視線を戻すと、彼女は少し大きめの氷で出来た鏡を僕に向けていた。
綺麗に均した鏡面に映しだされていたのは、純白の髪に映える真紅の瞳を持つ神様だった。
鏡に向かって手を伸ばすと白髪紅眼の神様も手を伸ばす。
指と指が触れると氷の冷たさに一瞬手を離すが相手も同じ反応をした。
ウインクしても舌をちろっと出しても即座に真似をする。
「どうしてこんな……」
変わり果てた姿を呆然と見つめていたら事情を知っているというノルンちゃんが教えてくれた。
「それはねぇ、君が吸血鬼になったからだよぉ」
言われて思い出したのは夢の中での出来事。
魔王のおじさんが僕を先祖返りさせて吸血鬼にしてしまったというあれだ。
最初はなんて事をしてくれたんだと考えていたけど、こんなに綺麗になったのなら許すどころか感謝してもいいくらいだ。
ただ残念なのはお母さんから貰った金色の髪と淡青色の瞳はもう返ってこないこと。
悲しくなってお母さんを見に行こうと立ち上がったとき、突如殴られたような痛みが頭を襲う。
痛みが強くなるにつれ徐々に蘇ってくる眠る前の記憶。
村中に倒れる人々と大量の血の海、村の外に逃げる途中魔物に襲われ死にそうになったこと。
そして何かが僕の身体の中に入ってきて全身に熱が広がり傷が塞がっていく感覚。
後は気絶したのか思い出すことはなかった。
恐る恐る魔物の爪で裂かれた肩を触ってみるも傷一つ残っていない。
勿論貫かれた足も潰された喉も完全に治っている。
その事実に段々平静を取り戻していくと僕を包む柔らかい感触と大丈夫と囁く声に漸く気付く。
痛みに耐えている間ノルンちゃんが抱きしめてくれていたのだ。
暫く身を預けた後、ありがとうとお礼を言って離れた僕に、魔術で出した水をコップに注ぐとゆっくり飲ませてくれた。
「気持ちは落ち着いたかい?」
どうだろう、大切な人達を失った悲しみはまだある。
あの光景を思い出しただけでも涙を流して泣いてしまうだろう。
「大丈夫……とはまだ言えないかも」
皆の死を受け入れなければいけないことはわかっている。
でも直ぐには無理そうだから少しずつ受け入れていくことにしよう。
お祖父ちゃんから貰ったナイフに答えられるくらいの強さも身に付けなければならないしね。
「そうかい。ごめんね、助けてあげられなくて。それまではボクが側についてるからね」
ノルンちゃんは何があったのか全て知っていたようで、申し訳無さそうにしていた。
人間になってまで来てくれたのは、ただ会いたかっただけじゃなく、僕が壊れてしまわないよう慰めるためだったのかもしれない。
その事に僕は何だか嬉しくなり、甘えるように抱きつくと顔を押し付けて呟いた。
「ちゃんと助けてくれたよ、ありがとう」と――。
――
ノルンちゃんがこれからどうするのかと聞いてきた。
甘える以外にすることは一つしか無い。
僕に判断を任せたのは現実を受け入れる態勢が整っているかどうかを確認するためだろう。
手始めにベッドから降りて扉の前まで歩いてみる。
何とも無いので次は慎重に手を伸ばしノブを掴む。
手の震えはない。
動悸も激しくならない。
後ろにいるノルンちゃんと視線を合わせ大丈夫と頷いてみせる。
深呼吸を済ませるとグッと力を込めて扉を開いた。
隙間から漂ってきた生臭い血の臭いに顔を顰め吐きそうになるのを手で抑え耐える。
大丈夫、僕は一人じゃないと自分に言い聞かせると一歩を踏み出した。
部屋を出た僕とノルンちゃんはあのとき調べていなかった隣の書斎、更に奥のお父さんとお母さんの部屋を見たあと階段を降りて一階へと向かった。
階段の近くにある客間を覗き誰も居ないことを確認し、廊下の突き当たり、お祖父ちゃんと別れた部屋までやってきた。
意を決して中へ入ると咽返るほどの血の臭いに身体が竦む。
部屋は泥棒が入ったかのように荒れ果て、夢の中で作った机や椅子には無数の爪痕が刻まれ無残な状態になっている。
そして原因であるあいつは部屋の中央で腹に剣を突き刺したまま息絶えていた。
死んだ魔物を横目にお祖父ちゃんの姿を探すと、引きずったように居間の奥にある台所へ続く血の跡が床に残っていた。
血の跡を辿ると何かを求めるように腕を伸ばし、仰向けに倒れるお祖父ちゃんの姿を見付けた。
何があるのかと眼を向けた先には血で汚れているがキラリと光る小さな指輪が落ちている。
お母さんとお父さんがいつも身に付けていた指輪だ。
僕の家族はもう誰も居ないんだと漸く実感する。
溢れ出る涙と共に力が抜けていき、その場に崩れ落ちた僕は嗚咽を漏らして泣いた。
流す涙も無くなると今度は怒りが滲みでてきた。
這いずりながら魔物の所まで行き腹から剣を抜き取ると逆手に持ったまま振り下ろす。
また引き抜き振り下ろす――何度も何度も繰り返した。
手応えが無くなったので別の箇所にしようと左を向いたらあいつと眼が合った。
僕を襲い喉を潰した返り血を浴びて使えなくなったあの赤い眼。
「ざまぁみろ」
何かが外れる音がする。
自然と僕の口から漏れた声に後ろの彼女が反応した。
「もう、止めよう?」
止める?
どうして?
可哀想だから?
やっぱりノルンちゃんは優しいなぁ。
こんなやつにも慈悲をあげちゃうんだもん。
でもね、こいつはお祖父ちゃんを殺したんだ。
お母さんもお父さんも村の皆も。
だから危険なやつは早く殺さなきゃいけないんだ。
僕を見ている赤い眼に剣を振り下ろそうとしたが、続く言に動きを止める。
「それ以上は君が君で無くなってしまうよ」
僕が僕で無くなってしまうとはどういう事だろう。
そこでお兄さんが話していたことを思い出し息を呑んだ。
今の僕は吸血鬼を討伐した人達と同じ考えを持っていた。
お兄さんが言う可哀想な人達。
冷静さを失っていたというのは言い訳にはならない。
手を見ると大量の血が付き、剣の先からはポタポタと滴っている。
自分が怖くなって剣を投げ捨てると手に付いた血を近くにあった布で拭った。
中々落ちないそれに、慌てて壊れた窓から飛び出し家の横にある小川に手を突っ込んだ。
水は赤く染まり洗い流されていく。
程なく小川はいつもと同じ綺麗な水を運びだしたが、ルーシーは脳裏にこびり付いて消えない血をずっと洗い続けている。
辺りが夕陽に染まる頃、ノルンはルーシーの手を掴み取り「うん、汚れ無し」と笑顔を向け、そのまま家へと連れて行く。
この時、漸く手に血が付いていないことを理解してホッと息を吐いた。
落ち着きを取り戻した僕は二階から大きな布を一枚持ってくると、お祖父ちゃんが風邪をひかないように被せてあげた。
ノルンちゃんは今、外であの魔物を燃やしている。
放置し過ぎると濁った魔力が瘴気になって漏れ出るから、耐性のない僕は危険なんだって。
お祖父ちゃんも今日の内には燃やしてあげないといけない。
人型の生物はアンデッド系の魔物になる可能性が高いかららしい。
腐敗した身体のグール、骨だけのスケルトンが有名で読んでもらった絵本にも出てきた。
これ以上苦しめたくはないので、お祖父ちゃんを早く神様の下へ送ってあげよう。
お姉ちゃんに教えてもらったお祈りのポーズをしてお別れの言葉を告げる。
最後にもう一度だけ顔を見ると何だか笑っている気がした。
その後は血で汚れていた服を着替え、お母さんとお父さんの指輪を拾い、投げ捨ててしまったお祖父ちゃんの剣に謝ってから家の外に出た。
今から家ごと燃やすのだ。
壁や床には大量の血が飛び散り完全に洗い落とすのは不可能だった。
燃やす必要は無いんじゃないかと思ったけど、匂いにつられて魔物が集まってくるらしく、仕方がないみたい。
魔物というのは本当に厄介だなと思った。
赤い屋根に負けないくらいの炎の色に楽しかった日々を思い出し大切に心のなかにしまった。
家は魔物の時みたいにノルンちゃんが魔術で燃やしてくれた。
本当は僕がしたかったけど、教えてもらった呪文を詠唱しても火はこれっぽっちも出なかった。
少し離れた位置で身体を寄せ合い、轟々と燃え盛る炎と崩れ落ちる家を最後まで見届けた。
また落ち込むかと思ったけど予想とは反して気分は良くなった気さえする。
恐らく僕の中にあった悲しみと憎しみも一緒に燃やしてくれたのだろう。
村人達を火葬するべく立ち上がる、少しだけ成長したルーシーの横顔を見て、もう大丈夫かなとノルンは顔が綻んだ。
――――
翌日、作業は日の出まで続いた。
どの家も返り血が酷くどうしようもなかったので、村の全ての家が灰になっている。
ヤスナ村はこの日をもって長い歴史に幕を閉じた。
【補足】
ノルンの身長は139cm。3サイズはB84/W53/H80。人間ver.の身長は168cm。3サイズはB98/W61/H88。