ブラインドスター(中)
翌日、私は手を取ってくれているお母さんと一緒に、家の外に立っていた。
お母さんが言うには、今日の天気は雲一つ無い晴天だとのこと。
「楽しみね」
お母さんが私に話しかけてくる。
「……うん」
私はその言葉に、少し詰まりながらも答える。
「ねぇ、もしかして「目が見えない」のに星を観てもいいのか、なんて思ってない?」
「ッ!?」
なんの心構えも無しに私の憂いを見破られた所為で、私の身体が跳ねるように強く反応してしまった。
「……はぁ、やっぱりね」
呆れたように、お母さんは深いため息を零す。
「ど、どうしてーー」
「どうして分かったのかって? 私はあなたの母親よ。それ位分かって当然のことよ」
どこか誇らしげにお母さんは話す。
「別に、誇ることでも無いと思うんだけど」
「あらどうして? 私はあなたが生まれてきて、私の娘になって、とても誇りに思ってるんだけど」
私の頭に何かが乗せられた感触がする。
多分お母さんの手。髪を梳くように、軽く上から下へと私の頭を撫で始める。
私はそのお母さんの行動を甘んじて受けることにする。
「それにしても、もう五年になるのね」
「……うん」
今から五年前のことだ。
交通事故に遭った。信号無視の車が道路を横断中の私と衝突したらしい。私は轢かれ跳ねられ、頭を強く道路に打ち付けた。
たった二行程度で説明の済む出来事だったが、私にとっては本当に悲惨な事故だった。
目は開いているはずなのに、何も映らない。視界は深い闇で占められている。
目が見えないというのは、こんなに怖いものなのか。
今まで出来ていたことが出来なくなった。
一人で着替えが出来なくなった。
一人でご飯が食べられなくなった。
一人でトイレに行けなくなった。
一人で外にでられなくなった。
一人でお風呂に入れなくなった。
一人で…………。
何も出来ないこの感覚に、私は戦慄を覚えた。悲しみを覚えた。もどかしさを感じた。やるせなさを感じた。
私はみっともなく泣いた。
しかし、そんな悲しみの世界から連れ出してくれたのが彼だった。機会があれば彼との出会いについて話したいと思う。
ただ一つ言っておくとすれば、彼はどうしようもなく「お人好し」な人ということだろうか。
まぁ、そのお人好しに私は救われたのだけど……。
私の耳が、こちらに近づいてくる音を捉える。サーッという、多分車の走る音だと思う。
音はどんどんと大きくなっていき、私達の前の辺りで止んだ。
「来たわよ」
お母さんが私に告げる。
どうしよう、緊張してきた。
お母さんと繋いでいる方の手が、妙に湿っぽい。汗ばんでいるのかもしれない。
ガチャッ。これは車のドアの開く音。
バタン。これは車のドアが閉じた音。
この一連の音が何を示しているかというとーー、
「おはようございます」
彼が車から降りたということだ。
「おはよう。今日はいい天気ね。晴れて良かったわ」
彼の挨拶にお母さんが答える。
今日はいい天気、それも晴れの天気らしい。
「はい、本当に。絶好の星観日和ですね」
ウキウキと、ウズウズと。実際には分からないけどそんな様な。四時限目終了間近の小学生を彷彿とさせる雰囲気が感じられる。
突然、私の手が強く握られた。
「っ!?」
油断していたところからの、急な刺激に私は驚いた。
『ほら、あなたも挨拶しなさい』
お母さんだ。小声で私に言ってくる。でも、それだけなら別に私の手を強く握る必要なんて無かったと思うんだけど……。
あれかな、よくある肘でチョンチョンとツツくやつ。私の場合は手を握られたくけど。
よくある恋愛ものとかの漫画とかで、廊下とかで好きな人とかに出くわした時のことで、隣に立ってる主人公の友達が「ほら、あなたも言いなさいって」とか言って、肘打ちしてくるアレ。
アレみたいなノリというか、空気を感じる。
「お、おはよう……」
この空気から早く解放されたくて、私は彼に挨拶した。
なんか、催促されてから挨拶するのは気恥ずかしくて、口ごもってしまった。
……。
…………。
………………。
あれ? 返事が返ってこない。
シーンとした空気が場を支配している。
「えっと、あの、どうかしたの?」
私は周りに尋ねる。目の見えない私にとって、周りの現状が分からないことは、とても不安なことなのだ。
「お姫様」
「……はぁ?」
「まるでお姫様みたいだよっ!」
「はぁ」
黙ったと思ったら、突然興奮しだした感じのする彼に「何言っているんだコイツ」みたいな言葉を含め、私は相槌を打つ。
「その白い磁器のような綺麗な肌」
ただ、外に出てなくて日に当たらなかった結果である。
「絹のようにさらさらと、黒真珠を見ているかのように目を惹いて止まない、その腰の辺りまで伸びた髪」
ただ髪を切られるのが怖くて、伸ばしっぱなしにしているだけなんだけど。
「そして何よりもーー」
何よりも?
「君が化粧をしてくれたことだっ!」
化粧? ……え?
「私、化粧した覚えなんてないんだけど」
一体どういうーー
「私がしたわ」
お母さんっ?
「だって、勿体ないじゃない。折角のデートなのに」
「デ、デートじゃないっ!」
ただ星を観に行くだけだからっ! デートじゃないからっ!
「え、デートじゃないのっ?」
私の言葉に、彼が態とらしく思えるほどの驚きの声を上げる。
あぁぁぁぁ、と落胆の悲鳴が聞こえてくる。
「あらら、あなたがフった所為で倒れてしまったわ」
「えー……」
ただ否定しただけなのに、なんか面倒だなぁ。
「ほらほら、どうするの? このまま放置してたら近所で噂されてしまうわ。「あの家の人達は、人を外で四つん這いにさせて眺めるのが趣味みたいだ」って」
本当に面倒臭いなぁ!
はぁ、と私は息を吐く。
「……分かった」
「よおぉぉぉぉぉしっ!!」
話が終わるやいなや、歓喜の雄叫びが巻き起こった。
そして五月蠅い。
「よし、行こう! さぁ、行こう! 楽しんでいこう! 元気にーー」
「静かにして。「あの家の人達は、朝から外に出て奇声を発することが楽しみらしい」って思われるから」
「はい」
私の指摘でぴしゃりと嵐が止んだ。
嵐が止んで、穏やかな沖のような静けさが訪れる。
その海の上を、私は一歩踏み出す。
「行こ?」
私は言った。
「私に、星を見せて?」




