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ブラインドスター(上)

上を向こう。何かが観えるかもしれない。

「星を観に行こう」


 彼が電話を通して私の鼓膜を震わせた。

 電話越しなので、彼の顔を触れて確かめることが出来ないが、その声からして楽しみにしてる雰囲気が伝わってくる。おそらく彼の頭の中では私と自分が星を観ている光景が浮かんでいることだろう。

 まだ私が了承も何もしたわけではないのに、だ。

 毎度思うことなのだが、こんなことを思うのは彼に対して失礼であると思うのだが、彼は私なんかと出掛けて楽しい のだろうか?

「別に、行くのは構わないのだけど……」

 そんなこと考えながら、私は言葉を紡ぎ出す。

「けど? どうかした?」

「ねえ、結構まじめな質問何だけど、私と出掛けて楽しい?」

 私は彼に尋ねた。意を決したわけでもないが、少しだけ、コーヒーに砂糖をスプーン一杯程度入れるくらいの勇気は必要としたかもしれない。


「楽しいけど?」


 何の迷いもなく彼は答えた。「何を当たり前のことを」とでも言 っているかのような口振りである。

 返答はやっ! とツッコみたくなったが、そこは何とか喉元でとどめることが出来た。

「そう?」

 冷静に私は彼に聞き返す。

「うん、そうだよ」

 あはは、と笑い声が聞こえてくる。


 素直に「楽しい」と言える彼を羨ましく感じた。

 私にとって、こんな私と付き合ってくれる大切な人なのに、嫉妬してしまうほどに彼を羨ましく思えた。

 そして、そんなことを考えている自分が哀 れで、また少し嫌いになった。

 ミシッという軋んだ音が耳元から聞こえてくる。多分、手に持っている電話の子機を強く握りしめてしまったからだと思う。

「……どうかした? 何か悩み事?」

 私が惨めな自己嫌悪に陥って、黙りを決め込んでいたのを心配したのか、彼が話しかけてくる。

「ううん、何でもない。貴方の変人っぷりについて悩んでいただけだから」

「……それは、ヒドい悩みだね」

「うん。なかなかその悩 みに対しての答えが見つからなくて、大変なの」

「いやいやいや。僕がヒドいと言ったのはその悩み事態に対してな訳で、悩みの答えが見つからないことに対してじゃないからねっ?」

「え?」

「それに、どうして僕が変人なのさ?」

 そんなこと、訊くまでもない。

「私と付き合ってるから」

 私がそう言うと、向こうからは答えが返ってこず、静寂な時が流れ始めた。

 カチッ・カチッ・カチッと時計の秒針が正確に一秒を刻 む音。

 手に握っている子機の感触。

 お尻から伝わってくるベッドからの反発力。

 これが、今の私が此処にいると証明出来る全てだ。

「……そ……、へ……い……」

「えっ?」

 静寂に身を委ねて、ボーッとしていたため、突然発した彼の声が上手く聞き取れなかった。

 そ・へ・い?

 彼は一体何を言ったのだろうか。

「ごめんなさい。もう一回言ってもらえる?」

「ゑ゛、もう一度言わなきゃダメ?」

 私が彼に訊くと彼の声は僅かに上擦り、復唱することに抵抗を示した。

「さっき、ちょっとボーッとしていた所為で、貴方の言ったことが上手く聞き取れなかったの。だから言って?」

「えっと、本当に聞いてなかったの?」

「うん。「そ」が何たら位しか分からなかった」

「うわぁ、マジかぁ……」

 出来れば言いたくないんだけどなぁ。滅茶苦茶恥ずかしいんだけど。と、躊躇するようにボヤき始める。

「お願い、教えて」

 それでも、私は彼に頼む。

 彼の言ったことが気になって仕方がなかった。

 それもある。

 それもあるけどーー、

「あー、分かったよ。じゃあもう一回言うから。今度は聞き逃さないでよ?」

「うん」

「心して聞いてよ?」

「うん」

「聞いて、「聞かなきゃ良かった」とか思わないでよ?」

「うん」

「あとーー」

「早く言って」

 どれだけ前置きをするつもりなのだろうか。

「……はい。じゃあ、言うよ?」

 一 拍空いた後、その言葉は私に届いた。


「それなら、僕は変人でも良いかな」


 その言葉は、私の心を震わせた。

 彼の言葉は何時も私を困らせて、困らせて、困ったことにドキドキする。


 彼の言ったことが気になって仕方がなかった。

 それもある。

 それもあるけどーー、

 せっかく彼が私のために言ってくれたことを、聞き落としたくなかった。彼が送ってくれる優しい気持ちを感じたかった。

 声だけしか聞こえな いのなら、このくらいの我が儘は望んでも悪くないと思う。


「それで、どうだった?」

「え、何が?」

 急に尋ねられた為に、何のことを訊かれたのか分からなかった。

「僕が今言ったことだよ」

「えっとーー」

 とても嬉しかった。

 なんて恥ずかしくて言えない。

 それに、素直にそう言ってしまうと負けたような気がする。何に負けるのか、そんな考えに至った私もいまいち分からないけど。

 でも、嬉しいという気持 ちは伝えたい。非常に難儀な性格をしているものだ。自分自身のことだけれども。

 こんな風に育ってしまったのは、果たして誰の所為だろうか。

 ……まぁ自分の所為だろう。

「うん、まぁ、良いんじゃない?」

 結局、私はこんな感想しか言うことが出来なかった。

「そっか。それなら良かった」

 そんな曖昧で、きっと言ってほしかった答えでないだろう言葉に、彼は満足げに頷いた。

「じゃあ、明日迎えに行くから」

「はい?」

 唐突な彼からの申し出に私は呆ける。しかし、その「はい」を肯定と受け取ったのか、

「よしっ! 君も賛成してくれたことだし、明日の準備するよっ! またねっ!」

「えっ? あっ、ちょっと……」

 私の制止の呼びかけも意味をなさず、私の耳元からは「プーッ、プーッ」といった無機質な電子音だけが鳴り響き始めた。

 再び訪れる静寂な世界。

 耳には彼の声の余韻が残り、胸には言葉の温かさが仄かに残 っている。


「お母さん」

 電話を終えたことを知らせるために、私はお母さんを呼ぶ。

 ガチャッという音と共に、人の気配が近づいてくるのが分かる。

「もう終わったの?」

 お母さんの声だ。その声が私に問いかけてくる。

「うん。明日、星を観に行こうって」

 お母さんの質問に、彼が強引に決めていったことを伝える。私は行くとは言っていないんだけど。

「あら、素敵じゃない」

 ロマンチックねとお母さんは言 う。

「昔、私もお父さんに連れて行ってもらったことがあるのよ」

「お父さんに?」

 余り遠出とか好きでは無さそうな印象だったのだが、意外だ。

「ええ。車を買ったとかで、誘ってくれたの」

 その時を思い出すかのように、懐かしんでいる様な声色が聞き取れる。そして、その声が弾んでいることから、その旅行が楽しかったのだろうということが伺える。

 その事が羨ましく思える。少しだけど。

「それじゃあ、楽しんで きなさいね」

「……えっ?」

「あら、彼と一緒に行くんでしょう?」

「……うん」

 お母さんの問い掛けに私は頷く。

 私の言葉を無視して勝手に決めたとか、強引だと文句を言っていたけど、本心的には彼と一緒に出掛けるのは嬉しいと思っている。

 いい思い出が出来たらいいなと思っている。

 星を観に行く。その響きはとてもウキウキするものだし、楽しみだ。

 でも、楽しみだと思うけど、いい旅行にしたいと思っているけど、それでも私は思うのだ。


 ーー目の見えない私に、果たして星を観る資格なんてあるのだろうか?


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