#2
コウモリ先生は音楽担当の女の先生だった。
コウモリ先生というアダ名の由来には、単に苗字が「コモリ」だったからという以外に諸説あって、家で蝙蝠を飼っているからとか、吸血鬼映画が好きで、授業中もよくその話題を持ち出すからだと言われていた。
前者についてはどこから出たのか定かではない根も葉もない噂なのだが、後者については、そう捉えられてもおかしくなかった。
事実、ぼくも授業で幾度か聞かされた。中でも『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』という映画の話は、少なくとも三回は聞いた気がする。「この映画に携わった作曲家のエリオット・ゴールデンサールは素晴らしい現代音楽家です」とか、確かそんな風な話題だった。勿論、主演のブラッド・ピットやトム・クルーズのこともよく話に出てきた。
他にも変な噂はあった。それは、先生自体が実は蝙蝠で、休み時間の音楽室で、よく天井の蛍光灯に足でぶら下がって昼寝をしているのだとか、たまに男子生徒を音楽準備室に連れ込んで、その首筋に歯を当て、血を吸っているのだとか言う類のものだ。
そんな噂も、誰が広めたのかわからない。そもそも、実際に生徒が血を吸われるようなことがあったのなら、学校内外でも相当な問題沙汰にされている筈だ。
ただそれというのも、四〇歳近い年齢だというのに関わらず、先生がまるで二〇代のような張り艶のある白い肌と、日本人形のようにサラサラとした黒髪の持ち主であったからだった。
それに対しては、整形してるんじゃないかというくだらない噂よりも、やはり、吸血鬼だから齢を取らないのだとか、我々高校生の血を吸うことで、若さを保っているのだとかの方が多かった。
ぼくの学校の生徒の多くは、先生の美貌に、人の手によって作られた美しさよりも、何だかこの世のものとは思えないような不気味さの漂う美しさを見出していたのだろう。
そして事実、先生は怖かった。授業中私語をしたり、リコーダー等の楽器を雑に扱ったり、居眠りや他の授業の内職をしていたりする生徒には、容赦なかった。
「教室の後ろに立ってなさい!」
普段はとてもおっとりとした声で、歌うように授業をするのに、コウモリ先生が突然ピシャリとそう言い放つと、どんなにひねくれた生徒でも大人しくそれに従うのだった。
ただ、そんなコウモリ先生とぼくとは、ちょっとした親しい間柄にあった。ぼくらは、親戚同士だったのだ。
コウモリ先生、いや、カホちゃんは、ぼくが小さい頃から、よくぼくの面倒を見てくれた。ぼくがカホちゃんによくなついていたせいか、それともカホちゃんがぼくのことを特別に好いていてくれたからなのかはよくわからなかったが、家も近かったぼくらは、度々お互いの家に行き来し、遊んでもらったものだった。
特に、幼稚園生ぐらいから小学校低学年ぐらいにかけては、週末になるとほぼ必ずと言っていいほど、会っていたような気がする。
「ほんとうに姉弟みたいだねぇ、ふたりは」
ぼくの両親や、カホちゃんの両親(つまり、ぼくの伯父さん、伯母さん)、または、その他の親戚の人々も口々にそう言った。
しかしよくよく考えてみれば、普通の姉弟でもなかなかそういう関係は築けなかったのではないだろうか。なにせ、ぼくとカホちゃんは二〇歳も年が離れていたのだ。ちょっとした若い親と、その子どもぐらいの年の差だった。
(そして実際、ぼくには七つ歳が離れた妹、キヨミがいるけれど、キヨミとはそれほど親密な仲は築けていない。時々ぼくが美術部で描いた絵を見せてあげても、「ふうん、お兄ちゃんが描いたんだ」と言うだけで、巧いとも綺麗だとも言ってくれない。まぁ、下手だとか汚いとか言われるよりはマシかもしれないけれど)
でもぼくは、物心がついたときからカホちゃんのことを、おばさん、とも、お姉さん、という風にも見てはいなかった。身長も体型も大人の女性であったカホちゃんを、ぼくはまるで、同い年の友達のような感覚で見ることができた。
理由は、その幼さの残る顔立ちにあったのかもしれない。さっきは、この世のものとは思えない不気味さ、という風に形容してしまったけれど、ぼくにとってそれは、少女のような顔立ちに見えた。
本当に、「まるで人形のよう」だという言い方が相応しいだろう。見る者によってそれは、とてもあどけなくて可愛らしくも見えるし、また少し不気味にも見て取れるのだ。
そしてぼくにとっては、前者の方だった。また、そのおっとりとした声も、女の子のように愛らしかった。最近ではよくアニメ声とかいう言い方をされるのを聞くが、まさにそれだった。
また、カホちゃんの性格そのものも、とても子どもっぽかった。幼いぼくがひとりで寝そべってお絵かきしていると、
「あたしもいっしょにお絵かきさせて」
そう言って、カホちゃんもぼくの隣に寝そべり、お絵かきを始めるのだ。でも、その絵がとても下手っぴで、「ねこさんだよ」とか言いながら、ぶたさんのような丸々した、鼻の大きな動物の顔を描くのだった。それでぼくが、
「カホちゃん、違うよ、ねこさんはこうだよ」
そう言って、小さい鼻と、その左右に三本ずつ伸びるひげと、それから特徴的な大きな目と、その中の針のように細い瞳を描いてみせると、
「すごい、コーちゃんじょうず! その絵、あたしにちょうだい、お願い!」
と、目をきらきら輝かせながら言うのだ。
それから、こんなこともあった。ぼくがカホちゃんの誕生日に、アルミホイルとビー玉で作った指輪をプレゼントしたときのことだ。お世辞にも綺麗と言えるようなものではない、ただのガラクタだったのに、カホちゃんは、
「わぁ、すごくきれいね、ありがとう!」
そう言って、自分の左手の薬指にはめ、愛おしそうに眺めてくれた。しかもそれだけではなく、次の日から仕事に行く時も、その指輪をずっとはめていてくれたのだという。
「先生、なんですか、そのオモチャみたいなの」
学校で生徒に聞かれるたび、
「これはね、コーちゃんっていう優しい子が、あたしのためにプレゼントしてくれたものなのよ」
そう答えたのだそうだ。
しかし、そう毎日カホちゃんがはめてくれることを想定せずに作っていたガラクタの指輪は、一週間と経たないうちにくにゃくにゃになり、セロハンテープでくっついていたビー玉も外れ、どこかに転がって無くなってしまった。
それをわざわざぼくに知らせに来たとき、カホちゃんは泣きながら、
「ごめんね、コーちゃん、ごめんね」
そう何度もぼくの前で謝ってくれたことを覚えている。
と、そんな思い出を挙げてみたところで、今、ぼくも思うところがある。ひょっとしたらカホちゃんは、本当に歳を取らない吸血鬼だったんじゃなかったろうか。ぼくより凄く年上なのに、全然大人に見えないカホちゃんは、考えてみると『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』で幼いまま吸血鬼となり、一生大人の体になれない運命を背負わされた少女クローディアを連想させる。
しかし実際には、そんなことは全然なかった。カホちゃんは、体の面では間違いなく大人の女性だった。割と胸も大きくて、ぎゅっと抱きしめられるたび、幼いながらぼくも、少しどきどきしてしまったものだ。
そして、カホちゃんは本当に不死なんかじゃなかった。八月のある日、吹奏楽部の顧問、そして指揮者としてコンクールの舞台に上がったカホちゃんは、素晴らしく感動的な指揮をした直後、舞台上に倒れ、病院に運ばれた。そしてそのまま、帰らぬ人となってしまったのだ。