プロローグ
【二〇一〇年九月】
頭の中を、沢山の言葉たちが泳いでいる。
私は小説を書こうとしている。書きたいと思っている。あの夏の前に起きた出来事を、書かねばならないと感じている。
けれど、容易にはいかない。書こうとしている言葉を、頭の中の無秩序な言葉達を、掴んでは白い原稿の上へ並べようとするのだけれど、掴んだそばから言葉は、うなぎのごとくにゅるりと逃れ、また混沌とした脳内の溜め池の中へと戻ってしまう。
はぁ。溜め息が出る。私に物語は書けない。これまで沢山の本を読んできた。参考にすべきものはいくらでもある。けれど私が今書こうとしている話は、書きたいと思う物語は、そして書かねばならない記憶は、それらのどの言葉を代用しようとしても、うまくいかない。
つまり私は、私自身の言葉で書くより――脳内の溜め池に無秩序に投げ込まれた他人の言葉ではなく、自分の精神という煮えたぎるマグマの中から、あるいはそれよりもっと深い所にある核の中から取りだした、純粋で、完全なオリジナルである表現を使うより、自身の小説を綴る術は無いのだと知る。
◇
そこまで書いて――突然湧き起こった感情の赴くまま滅茶苦茶に、先ほどのくだらない冒頭文を、ノートパソコンの画面に向けてタイピングした後で、私は嘗て兄が使っていた部屋に足を踏み入れる。
兄が家を出てからもう五年も経つというのに、机の上の透明シートに挟まれた書類や写真、本棚に並べられた漫画や参考書、積み上げられたゲームソフト、壁に貼られたスポーツ選手やアニメのポスター、自作の絵画に至るまで、彼が家にいた当時のままで残っている。
下手に弄ったからといって怒られるわけでは無い。ただ、家族の誰も手を付けようとしないだけだ。特に意味があるわけではないけれど、なんとなく、私はそれに意味を感じずにはいられない。
兄はきっと、ここに自分の抜け殻を残していったのではないか。高校当時の姿を、そっくりそのまま。
抜け殻。どうしてそんな言葉が出てくるのか。勿論自分自身が嘗て、二〇〇八年から今年の半ば、つまり中学三年から、つい二ヶ月ほど前のあの日の出来事までの間、抜け殻みたいに過ごしていたという経験からでもある。家を出る前までの彼は、そう、この間までの私と同じようだった。抜け殻だった。
二〇〇三年から二〇〇五年の春まで、どうして彼が抜け殻のようになってしまったのか。当時まだ小学生だった私にはわからなかった。明るく、朗らかな兄が――いつも暖かな色遣いで、胸躍るような楽しげな絵を描いては、私に見せてくれた兄が、急に塞ぎ込み、全く何の絵もかかなくなってしまった理由を、何も。
けれど、今ではわかる。兄の机の引き出しを開け、兄が当時書き綴っていた日記帳を見つけて。そこにある、哀しい物語を読んで。
そう、それはただの日記ではなかった。物語だった。ノンフィクションの出来事でありながら、私がこれまで読んできたどんな小説よりも、小説然としたものだった。
つまり兄も当時、物語を綴らねばならなかったのだ。そういう状態にあったのだ。誰に読ませようというつもりはなくても、やはりそうせざるを得なかったのだろう。
勿論、そんな彼の物語を、私は私自身の物語の参考にしようなどとは思っていない。いくら自分と血の繋がった、最も身近な存在である兄が書いたものだとはいえ、この文章は飽くまで兄以外の誰のものでもなく、私が扱えるような代物ではない。
それでも、私は彼の物語を読み、語らずにはいられない。兄が伝えなければならなかった文章を、今こうして、兄の代わりとなって伝えずにはいられない。
それは、ひょっとすると兄の望むことではないかもしれない。いくら温厚な兄でも、そんなことをすれば、妹である私を叱るかもしれない。蔑むかもしれない。
けれど少なくとも、この物語に描かれた、兄ともう一人の、別の人物は喜んでくれるような気がする。なぜならこの小説は、彼女が生きた証だから。この世に存在していたことの、すべてだから。
私も覚えている。今でも思い出せる。彼女の笑顔を。優しく、愛らしかった、コモリカホコという一人の女性の存在を。
二〇〇三年。これは今からもう、七年も過去に遡る出来事である。