真実
黒い水の中から這い上がると、そこは元の小路ではなかった。浮かび上がったところは板間で、どうやら屋内のようだった。黒い水を飲んでしまった気がして、ファンは咳きこんだ。
「ファン!」
顔をあげると、シャオが心配そうにこちらを覗きこんでいた。ファンは急いで起き上がり、その様子を確かめる。
「シャオ! 無事だったの?」
「うん、ジェンさんが助けてくれて……」
ファンはシャオの後ろの気配に気がついて、そちらを見やる。夜に紛れる黒色、そして、微かに返る緑色の光。あの羽根と同じ、悪意の潜む色。
「あなたが、シャオちゃんのお友達なのね」
鈴を振るような声がこちらに返り、ファンは体を強張らせた。その声の主は小さな灯りをもって、傍らの小さな篝籠に火種を移した。火はすぐに大きくなり、辺りを照らした。踊り子はこちらを見て、優美に微笑む。美しいのに、空恐ろしい笑みだった。ファンは冷や汗が滲むのを感じた。
「ねぇ、ファン、どうしよう。この暴動、私のせいなの。あの羽根、毒があるんだって。集落のみんなは、無事なのかな。どうしよう、早く伝えないと……」
シャオが涙声で言う。それでも、ファンは踊り子の方から目が離せなかった。火に照らされたその顔は、南王によく似て、しかし、南王の持つ快活な美しさとはまた違うものを持っていた。見れば、口元に一つほくろがある。間違いなく。
「集落は無事だよ、シャオ。王宮の人が言ってた。それに」
ファンは踊り子を睨む。
「違う。この暴動はシャオのせいなんかじゃない。仕組まれてたんだ、みんなは利用されたんだよ」
「え……?」
シャオがこちらの顔と踊り子の顔を見比べて、困惑の表情を浮かべた。
「あんたが鴆の獣人だったんだ。毒と知ってて、あの羽根を渡したんだろう?」
踊り子は微かに表情を歪めて、小さくため息をつく。
「それが、どうしたというの?」
シャオの目が見開いて、踊り子を見つめる。それに一瞥もなく、踊り子は続ける。
「あの集落にはお金が入って、迫害していた都の人々にはそれ相応の報いを与えられた。それに、あなた達が騒ぎ立てたりしなければ、ばれもせずに、今こうなることもなかったわ。私はあの集落のことを思ってやったのに、それを台無しにしたのはあなた達」
「毒を渡せば集落の人達だって死んじゃうだろ! それに、集落の人達は都の人達に復讐しようなんてちっとも思っちゃいなかった。毒を広めた事を知って、後悔してた。死のうとしてた!」
「なら、それでいいじゃない。あのまま惨めに生きるよりはいいでしょ」
踊り子は羽根のついた扇で口元を隠し、さも鬱陶しげにそう言った。シャオファはその細い肩を震わせて、呟くように問う。
「どういうこと? ジェンさんもファンもみんな……あの羽根に毒があるってはじめから知ってたの? ジェンさん、私たちを助けたいって、そう言って……」
シャオの目から涙がこぼれおちる。座り込んだまま傷ついた顔をして、床を見つめている。できれば、こんな形で知らせたくはなかったのに。
「はじめから知ってたのは、この人だけだよ。集落のため、なんて嘘だ。――何のために、こんなことをしたんだ!」
ファンは声をあげた。
「私は私の目的のため。そして、私を助けてくれるあの人のため」
「目的……?」
問い返すと、踊り子はぱしんと扇を閉じ、また妖しく笑んだ。
「そんなこと今はどうでもいいの。現にこうして、すべてがあの人の言うとおりに回っているのだから。私はただ、私の役目を果たすだけよ」
ぞくり、と嫌な心地がして、ファンは思わず構えを取って、後ろに下がった。目の前の踊り子から生ぬるい風と羽ばたきがこちらに届き、傍らの火が踊るように揺れる。黒緑の翼を備えて、踊り子は言った。
「大人しくあの人に協力しなさい、坊や。その子の命が惜しかったらね」
「……ジェンさん、どうして――」
ファンがはっとして振り向くと、傍らで座り込んでいたシャオが苦しげに呻き、その場に倒れた。
「シャオ!」
「早くしないと死んじゃうわよ、その子。さぁ、こちらに来なさい。そして、働くの。すべては窮奇様のために」
不敵な笑みを浮かべ、踊り子は笑んだ。