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四神獣記  作者: かふぇいん
赤の国の章
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南の禍霊(2)

「どこだ! ファン!」

 人混みを抜けながら、シンは叫んだ。町は混迷を極めていた。怪我をしている者も多い。油や生木や、獣の皮の焼ける臭いが町のはずれからここまで届いている。それに混ざる微かな血の臭いを振り払うように、シンは頭を振った。あの時代の風によく似た臭い。

「……嫌な臭いだ」

 少しでも静かなところを探して、もう一度声を張る。ファンはおそらく集落に向かったはずだ。ならば、すぐにでも追いつくはずなのだが。

「ファン! いたら返事をしろ!」

 くす、と笑い声が聞こえた気がして、シンは辺りを見回す。人々を包む混乱と狂気に交じる、心地悪い気配。背中を這うようなじっとりとした、不快。間違いなく、いる。見あげると、夜空の中に、星とは違う小さな光がこちらを見返した。

窮奇(きゅうき)!」

 風を切る音とともに、黒豹がシンの目の前に降り立つ。羽根を一つ羽ばたかせ、窮奇は人の姿をとる。窮奇はその端整な顔に不敵な笑みを浮かべた。

「久しぶりですね、青龍。あの大戦以来……いや、この間も会いましたか」

「――狙いは何だ」

 手足に気を巡らせ、龍化させながらシンは問う。

「挨拶も出来ないとは、東の神獣様は相変わらず無作法でいらっしゃる」

 くすくすと笑いながら、窮奇はこちらの様子を楽しむかのように眺めている。左手の甲には、檮杌(とうこつ)の脇腹にあったものと同じ刺青(いれずみ)が見える。蚩尤(しゆう)眷族(けんぞく)を示す印だ。窮奇は言う。

「目的など、知れた事でしょうに。あのお馬鹿さんがやり損ねた仕事が回ってきただけのこと」

「やはり太極か。ファンはどこだ、言え。言わねば」

「殺しますか? あの時のように」

 その言葉に、びくり、と体が震える。屋外で鳴る風のように、何かが一枚隔てたところで、ざわついているような感覚。大戦の時の記憶か。あの時――? こちらの動作が止まるのを見て、窮奇はさも面白そうに、笑みを深めた。

「忘れてしまったのですか? これは面白い」

 記憶を手繰(たぐ)ろうとして、シンははっとしてそれを止めた。謀略と幻惑は窮奇の得意だったではないか。のせられれば、窮奇の良いように心は揺らぐ。町の狂気もおそらく窮奇の仕業だろう。シンは窮奇を睨み据える。

「そうだな、まったくおかしな話だ。血の穢れを被った獣が神獣などになる前に、鎖が解けた時にでも、お前らなど喰い殺しておけばよかった」

 地の底に繋がれていたあの久遠の時に、積もった恨みのそのままに。ざわざわと波立つ心情と気を抑えつつ、シンは再び問う。

「もう一度だけ訊く。ファンはどこだ、窮奇! 答えろ!」

「おお怖い。そう凶暴でなければあの時だって放っておいたのですけどね。太極はこの街にいますよ。彼が探していた女の子のところに送ってあげましたから」

 そう言って、窮奇は自分の足元に黒い(よど)みを出現させる。

「今頃会っているころでしょうね、その娘のお気に入りの踊り子とも。……ああ、心配せずとも、太極を痛めたりはしませんよ。ちゃんと彼女には言い聞かせてあります」

 ファンの言っていた踊り子か。あの集落に(ちん)の羽根をもたらした者だろう。そして、おそらく鴆の獣人。

「鴆などを憑かせるとは。あのような強い力を与えれば、元の身が持たぬぞ!」

「それは、素養の違うものをつけた時だけですよ、知っているでしょう?」

「素養のある者に力を与えたのか。しかし……!」

 四方への礼を無しに力を与えれば、素養が揃おうとも獣堕のように心を喰われるのが関の山だ。よほどの気力がなければ耐えられまい。窮奇はただにやりと笑み、足元の澱みを波立たせた。

「さて。僕はまた待つことにしますよ。太極がこちらの要求に承諾してくれるまで。ああ、そうだ。町の狂気はもう少し煽っておきましょうか」

 暗い気を含んだ風が窮奇の周りで渦巻く。町に響いていた怒号と悲鳴がひと際大きくなり、窮奇は足首まで澱みに沈んだ。舌打ちをして、シンは窮奇の方へ振りかぶる。窮奇は足元の黒い澱みにとぷんと沈んで、少し離れたところにまた澱みを生じさせて浮かび上がる。

「戦うのは苦手なのですよ。君がひどく痛めつけた彼とは違って、僕は非力ですから」

 手の甲を翻し、窮奇は小路(こうじ)全体に澱みを生じさせる。シンは龍化した足で、大路(おおじ)の方へと飛び退き、吼える。

「お前たちは、今更何をするつもりだ!」

「聞いてばかりいないで、少しは自分で考えたらどうです? 時間はたくさんあったでしょう」

 再び、窮奇は澱みに沈み、声だけがそこに残る。

「忘却さえ許されない、長い長い時間が」

 小路の澱みは残響とともに消え、血とものの焼ける臭いばかりが強くなる。辺りから聞こえてくる羽音は、南王の臣下の者達のものだ。この狂気は、窮奇をどうにかしなければ晴れないだろう。そして、奴は、このまま目論見通りに進めば、もう姿を現さないつもりだ。早くファンを見つけ出さねば。

 窮奇のことだ、きっとファンの心を屈させるために、まだ何か仕掛けているのだろう。集落の娘を含めて、向こうの手は多い。

「俺は馬鹿か」

 気付けば、もう既に良いように足止めされ、時間を喰わされている。ぎり、と歯噛みして、シンは屋根の上へと蹴上がる。飛びまわっていた獣人を見つけ、状況を聞く。やはり、芳しくない。暴動を止めに入っている衛士、武官も、人の保護にあたっている文官も、翼があればこそ間に合っているような状態だ。いずれにせよ、時間は無い。

 空から見つけられぬということは、屋内か。だが、見当なしに探るにはこの都は広すぎる。ファンが青龍の力を使えば、少しはわかるだろうが、それに期待していては間に合わなくなる。

「心当たりがあればいいんだが……!」

 先に、集落の方へ。もはや道など通っている余裕はない。シンは屋根の上をまっすぐ、混乱を極める集落の方へ駆けた。

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