龍の青年(3)
険しい顔でそれを見て、シンはバクが顔を上げるのを待ち、ゆるゆると頭を振った。
「それはできない。理由など、とうにわかっているだろう? 夢食い」
かつての通り名で呼び、シンは目の前の男の目をじっと見据える。久しく呼ばれなかったからだろうか、バクが僅かに怯んだのが見えた。
「しかし、貴方がいなければ、東だけでなく中つ国全体が揺らぎます。それこそ貴方が最も恐れたもののはず」
そうだ。青龍は東の鎮守。そのことはシンも重々承知している。そして、この国は四方の力の均衡に、細かに影響を受ける。和が保たれなければ、様々な理に歪みが生じてしまう。三方が健やかにあれど、どこか一方が病めば国は傾く。建国以来、その均衡と和を青龍は――自分はじっと、守り続けてきた。
「……今でなくてはなりませんか」
伏し目がちにバクは問う。曇るその顔は、こちらをどこまで見ているのだろう。
「建国から万の星霜を見送ってきたが、今になって昔の傷が疼く。由は知れないが、長く蝕まれれば、それだけ国に与える歪みも大きくなるだろう。だから、腹を決めてきた」
「貴方は天がお選びになった方、東の守は貴方にしか出来ません。この大役を務められるほど力を持つ者などおりません」
「そうは言っても、この身の力も元より天の力に依るもの。役を果たせぬのなら、天が与えた神獣たる力も徒になってしまうだろう。もう、俺が『青龍』ではならんのだ」
そう答えると、バクはまるで痛みをこらえるかのように顔を歪ませる。シンはそれに対して、つとめて明るい声で、笑って見せた。
「天がここまでの労をねぎらってくれるなら、暇くらいはくれるはずだ。命までは取るまいよ」
冷めていく湯飲みを手に、シンは息をつく。花茶の香りがこの身に収められないほどの記憶を撫でて、その眠りを覚ましていく。茶を飲み干すと、様々な思いが風のように身の中を吹き抜けていった。
千年も万年も、過ぎてしまえばそこに然したる違いは無い。だが、それこそ風のように過ぎゆく多くの人々のために存在できないならばその悠久たる命も無駄になろうものだ。永く善い世を布くことこそ、神獣の務めなのだから。全てが移ろいゆく中の、変わらぬものを守るために自分は生かされているのだ。
「……シンさん。これからどうするおつもりですか」
バクが代わりを注ぎながら、静かに問うた。こめかみの髪が、さらりとその手にかかる。
「まず、四方に礼を済ませようと思う。――俺はそのまま天のところへ行こうと思ったが、陛下がな。他の神獣と王に、その意をはかるようにおっしゃられた。それが、我が君が下された、この旅の条件だ。その後、天へと『青龍』を返そうと思う」
わかりました、とバクは小さく応え、再び頭を下げた。それより先を問うことは無い。夢食いは、この話からどこまで先を察したのだろう。東都を出る時に見送られた今上の顔と、今目の前の男の表情がよく似ていたから。