覚悟
「死ぬよりはましだ、死にたくないものは女子供を連れて、都を離れろ」
「ダーシュ! しかし、そう簡単にここを手放しても、我々には先などないぞ」
都人の声がだんだんと近づいてくる。鬨の声にしては、それは狂気に満ちていた。ダーシュは瞬間的に腕を見つめる。ほんの今朝まではこの腕はその場で腐り落ちようかと言うほど、死に満ちていた。心を埋めるほどの死だ。そう、昨日までなど、死すら望ましく思えていたのに。何の他意もなく向けられた、あの言葉に自分は救われていたのだ。
「我々に死ぬなと言ってくれた者がいるのだ、道はある」
そして、家に駆けこむと、染めに使っていた毒羽根の入っていた壺を外に運び出す。
「何をする気だダーシュ! そんなものを出しては」
「真偽がどうあれ、町人は我らを病の淵源だと思っているのだろう。ならば、もう隠すことに意味はない」
しかし、と戸惑う声をかき消すように話し続ける。
「とはいえ、ただでこの地から離れはせん。ここの者を守ると言ってくれた者がいる。王の顔すら知らぬ私も、顔を合わせ、話した者ならば信じられる。私はその者に賭けたい」
飛んでくる火矢が増え、辺りは瞬く間に炎に包まれる。
「私はここに残り、その者が来るのを待つ。その間に、他の者は逃げてくれ。ここが守られていれば、ここに戻れる。守られていなければ、新たな土地を皆で探せばいい」
急げ! と声を張ると、少しずつ皆が逃げ始める。同時に、怒り狂う町人がこの場を見つけて、迫ってきた。
「それに私は娘を待たねばならない。風水が切れていれば、戻ってくるだろうから」
ダーシュは一つ、息をついて心を決めた。これは問いだ。おそらく娘が抱えていた問いであって、集落の皆が抱えていた闇だ。
――我々は、本当に見捨てられた民なのか。何者にも求められず、求めることも許されぬ民なのか。都の人間と異なる、人ならぬ民なのか。きっとこの身が、そしてこの先起こることが我々への答えになるのだ。
武器を持った町人がこちらに気付いたのを見て、ダーシュは袖をまくりあげた。そして、声を張る。
「止まれ、町人よ!」
そして、勢いよく壺の中に手を差し入れた。壺の底にたまっていた羽根を掴みあげ、わかるように掲げて見せる。
「これが見えるか! これこそが、病の原因となりし毒だ! 近づけば病むぞ、被れば、明日の朝日を拝むことなく、苦痛のうちに死ぬぞ!」
町人の足が止まり、聞きとれぬほどの怒号が響きわたる。片方の手で毒液をすくい、振りまいて見せると、町人は互いを押しのけるようにして後ろに下がった。羽根から希釈のない毒液が垂れ、被った腕を見る間に紫色に染める。毒を繰り返し浴びてきた体は、再びの毒をよく回した。吐き気と眩暈がたちどころに押し寄せる。堪え切れず、その場で嘔吐する。顔を上げると、様々な負の感情を混ぜた顔がいくつもいくつもこちらを見返していた。きっと自分も昨日まで同じような目をしていたはずなのだ。
これは問いだ。彼らと我々の間に、真の恨みがどれだけあったのか。何がこの間を隔てているのか。こうして顔を合わせた者同士、何の違いがあるというのか。
骨にしみるような痛みが、両腕に走る。ダーシュは壺を支えに立ち、口を拭うとさらに声を張り上げた。
「下がれ下がれ! 下がらねば、この苦しみをその身で味わうことになるぞ!」
近づけぬ、と察した向こうから、石が投げられる。石が体を打ち、頭をかすめて、なおも飛んでくる。視界が霞み、飛んでくる石さえまともに見えなくなった時、後ろから声が張られた。
「下がれ、町人! それ以上勝手な真似をするなら、毒をもってこちらからうって出るぞ!」
幾人かの集落の男たちが戻ってきたようだった。柄杓を手に、壺の中から毒液を汲みあげて、吼えている。肩を叩かれて、振り返ると隣家の主人だった。
「ダーシュ。町の者は信じられぬが、ここで苦楽を共にした仲間を俺たちは信じている。お前が言う助けがくるまで、俺達もここに残ろう」
声がかすれて出なかったが、必要なかった。ダーシュは額の汗を拭い、ただ頷いた。