分岐
初めに異変に気付いたのは、妻だった。娘を迎えに出ていた妻が血相を変えて帰ってきて、都の人々の様子がおかしいと告げた。その言葉に、集落の男たちで都の壁まで出て見ると、風水の薄く強靭な壁を武器で打ち続ける、町人達が見えた。その怒りの形相に自分も皆も、すぐに何が起こったのかをおおよそ理解したのだった。恐れていたことが起こってしまった。すぐに女子供に支度をさせて集落の一番奥に集め、若い者達にそこを守らせた。その一方で男たちを集め、事態の把握を始めたのだった。まず上がったのは、昼間の客人への疑惑だった。
「やはり、あの男の仕業ではないのか」
そうはっきりと口にしたのは、隣家の主人だった。
「何を言う! 羽根を持ち込んだのは踊り子だ、それどころか彼は我らすべてを治療してくれたではないか」
そう答えると、それに応じて同じく治療を受けた者が言う。
「それに王の御印を持っていたじゃないか。そんな立場の人が、こんな騒ぎを起こすだろうかね」
それでも、頷く顔は少なかった。
「王とて、我らを守るとは限らん。この集落は何代もの王を見送ったというのに、何一つ変わってやしない」
「むしろ、現王はこれを機にここを失くしてしまうつもりなのかもしれんぞ。下手をすると、あの羽根の出所すら……」
そこまで話すと、年寄りの声がそれを咎めた。
「確かに、我々は王の庇護をうけずに今までやってきたが、かといって王への不信は罪だぞ」
ぽつりぽつりと交わされていた会話は次第に、相談になり、議論になり、最後には喧嘩のようになり始めた。ダーシュはそれらをじっと黙って聞きながら、壁の向こうにかすか屋根の見える王宮を見やった。確かに、王を信じろ、と言われたとして、それをすぐに承知できる心は自分にもない。壁の向こうから、ひと際大きくざわめきが聞こえて、すぐに会話の中に視線を戻して、口を開いた。
「この事態が王の知るところであろうとなかろうと、今はそれについてとやかく言うべきではない。万が一、都の風水が切れた時、我々はどうするかだ」
辺りが一度、しんと静まり、唸るような声だけが残る。
「我々は一度、病に死する覚悟を決めた。だが、それは我々が死んでも他の者がここで生きていけると踏んだからだ。しかし、この事態ではそうもいくまい」
そう言うと、数人から同意の声が聞こえた。壁の方から様子見に行かせていた若者が戻ってきて、やはり病のことだ、と告げる。隣人は不安そうにこちらを見つめる。
「どうする、ダーシュ。このままでは集落の者みな、殺されてしまうぞ。今や誰一人病んでいないと言っても、信じるはずもない」
「この地を離れなければならんか」
「ここを離れたところで、どこへ行けというんだ」
また論議が始まり、だんだんとそれは諍いじみて来る。が、それを掻き消すような声が壁の方から聞こえてくると、瞬間的にそれは静かになった。都の壁を抜けて、火矢が地面に刺さり、塗られた油を伝って、地面を焦がす。都の方から、あるはずの風水壁を越えて火矢が飛んできた。雨をしのぐために油をぬった天幕はすぐに燃え広がり、集落の殆どに火が回るまで時間はかからなかった。もう、時間は無い。