軍なき
建国以後、中つ国の四方の国には軍というものが存在しない。それは、獄の者達を封じた後、天が恒久の平和を約束したからだ。攻めることもなければ、攻められることもない。獣人で作られた太古の軍も、その通りに平和になると無用のものとなり、それに伴って獣人になる者も減っていったのだ。
「ならば、俺も手を貸そう。あの集落には一度行っているから、向こうの者も俺がわかるはずだ」
「有り難いが、句芒。確かに手が足りぬ、足りぬが、東国の守護をここで戦わせるわけにはいかぬ。ぬしが出るならば、まず余が出る」
朱明の言葉に、シンはすぐさま反論する。
「だが、朱明。この場において、貴公と王は将だ、将が兵のように前に出て、大事あればそれこそ崩れるぞ」
「しかし……」
「窮奇が来ていて、人を殺せる毒を持つ者がいる。それだけの手札を持っていて、何故、大きく動かぬのか。それは、こちらから手を出すのを待っているのだろう。この国の王や神獣が王宮を離れ、護りが無くなるのを待っているのだ。何より、窮奇は力づくで打ってこない代わりに、一番痛いところを突いてくる奴。易々(やすやす)と手を出すな、朱明」
朱明はただ黙りこみ、その細い腕を胸の前で組んだ。じっとそれを聞いていた南王が口を開きかけた時、玉座の間の扉が勢いよく開く。先ほど一斉に出ていった中の獣人の一人、文官のようだった。
「陛下!」
「どうした」
朱明はさっと玉座の裏に隠れ、シンとファンは脇に下がる。
「集落に向かったルーユウ殿より、言伝を頼まれました」
「ルーユウが? 申してみよ」
はい、とその文官は畏まり、一度口をつぐむと静かに、先ほどとは別の声で話し始めた。あのルーユウと呼ばれた近衛の声だった。
「集落の人々は集まり、病と羽根を盾に耐えております。怪我人はいますが、死者はおりません。が、それも時間の問題、荒ぶる町人を止めるため、一つお願いがございます」
そこまでしゃべると、その文官はどうされます、と元の声で尋ねた。
「よい、続けよ」
南王が促し、その男は続きをしゃべる。
「この場を守るため、案がございます。報告は必ずいたしますので、今この場の御無礼は許されよ」
とのことでございます、と文官は元の声で締めた。
「考えるまでもない。無礼で王は死なぬ、とだけ伝えよ」
文官はさっと頭を下げ、了の意を示した。そして、再び、顔を上げると続けた。
「あと、もう一つ、ルーユウ殿からなのですが」
「なんだ?」
「集落の者が、朝から出ている娘が一人、戻らないままでいる、と申しているそうですが……」
そこまで話した時、静かに隣で俯いていたファンがさっと顔を上げるのが、シンにはわかった。止める間もなく、走りだしたその腕を掴む前に、ファンは玉座の間の扉を押していた。
「待て、ファン!」
文官は何ごとかと驚いた顔をしていたが、南王にルーユウへの言葉は急ぎ伝えよ、と言われ、立ち上がる。もしあの少年見たら、戻るように言います、と告げて、彼もすぐに出て言った。
「句芒!」
「ああ、すぐ追う! 窮奇はファンの事を知っている。ファンがもし戻ったら、そちらに任せる、朱明、貴公の元を離れぬよう言ってくれ」
シンも続いて、玉座の間を飛び出し、すぐさま足を龍化させた。ただ走っていったのなら、すぐに追いつくはずだ。