龍の青年(2)
奥の部屋からしばらく叱責の声が聞こえていたが、終わったのか幾分しゅんとした様子の少年――ファンと、バクが戻ってきた。バクは茶器をひとそろいと鉄瓶を卓子の上に置き、花茶で良いか問うた。
頷いたシンの、その前の席にファンが座り、好奇の目を向けている。バクとこちらが特にすぐ話す様子でもないのを見たのか、乗り出すように話しかけてきた。
「ねえ、お兄さん! お兄さんの守護獣、龍だよね!」
ああ、と頷いて見せると、だいぶん興奮した様子でファンはさらにぐっと身を乗り出してきた。
「やっぱりだ、すごいや。幻獣付きなんてめったにいないんだよね? いつから獣人に? やっぱり修行とかいるのかなぁ」
矢継ぎ早に尋ねられて、シンは困ったように頭を掻く。今になって、うかつに頷くもんじゃないと思ったが、ともあれ、どうとも答えあぐねたから問いは問いで返す。
「お前は、獣人になりたいのか?」
ファンは大きく頷いて見せる。
「もう、素養くらいわかってもいいはずなんだけど。何度聞いても、神官様は、まだ定まらない、って。でも、おれよりもっと小さい子だって見立てが済んでるのに」
表情を曇らせ、ファンは椅子に再び、すとん、と腰を下ろした。
「だから、大人になるまで素養の定まらない人だっていると教えたでしょう。早く決まったから善い、偉いというのではありません。気にしてしまうことが良くないのです」
バクは三人分の茶碗に茶を注いで、それぞれのところに置いて言う。ファンは憮然として、卓子の木目を見つめていた。花茶は新しいものらしい、甘い香りが強く部屋に漂っている。冷めないうちにどうぞ、とバクは言って続ける。
「人と違えば焦ったり不安になったりするのもわかります。ですが、人の生き方というのは素養で決まるものではありませんよ。善く生きなければ、それこそ素養が定まった時に、獣性に自分が追いつきません」
しゅんとした様子で、茶碗に手を掛けたままファンは俯く。花茶を一口含み飲んだシンは、湯気を立てる茶器を離して、ファンの方を見やる。消沈しているというより、辛さの滲む顔だった。シンは茶の香りにふうと息をつき、口を開く。
「素養のことはわからんが、俺が知る限りでいいなら、獣人について話そう」
ファンは弾かれるように顔を上げて、こちらを見る。バクの方にちらりと視線をやったが、問題ないようで静かな頷きだけが返る。
「獣人には大まかに三種あるのを知っているか」
問いに、ファンが首を振る。
「なら、お前が知り、言っている獣人ってのは、たぶん『昇化』だろう。これには、素養の見立てと、四方の王への謁見が要るからな。で、もう一つはさっき見たはずだ」
「もしかして、あの行商のおじさん……」
「ああ、そうだ。『獣堕』という。名というよりは、状態という方が正しいな。世に漂う獣の気の、中でも念の強いものが素養の合う者、心の弱った者に取りついたものだ。大体が憑かれるとかなりの負荷になるからな、祓わなくてはならない」
ファンは感心したような溜息をひとつついて、きらきらとした目でこちらを見ている。もっと、と言わんばかりに椅子を前にずりだしたファンに、バクは笑いながらも、咎めるような声音で言う。
「ファン。旅の人に話をせがみたいのはわかりますが、ゆっくり聞けばいいことです。シンさんに今必要なのは休息ですよ」
はい、と返事をして、ファンは微かに不満げな様子で黙る。しかし、それもしばらくすると、不満はぱっと引っ込んでしまったのか、旅、と呟いた。その顔を見て、シンは、再びしまった、と思った。言いだす事が想像できたからだった。
「お兄さん、シンさんって言うんだね。――ねぇ、おれを弟子にしてよ! 旅の手伝いなら、荷物持ちでも何でもやるから!」
少年の口をついて出たのは、案の定。バクが驚いた顔で、反対の声を上げようとするのを、先にシンがそれを遮った。
「駄目だ。この旅は俺の目的のための旅だ、一人の連れとて持つつもりはない。弟子となれば、尚更だ」
「でも、おれ、ここにこのままいたんじゃ、きっと獣人になんかなれないんだ」
負けじとファンは食い下がる。頑なな目だ、ずっとこれまでその思いを胸に潜めてきたのだろう。しばらくじっと考えて、シンは口を開いた。
「さっき、獣人には三つの種類がある、と言ったな。その最後のひとつが『化生』。素養の見立てもなく、四方の王にも会わず、生まれおちたその時から、天に許され獣人として生きる者、それが化生だ。――俺は化生の者だ。獣人になるために、お前に教えられることは何もない」
がたん、と勢いよく椅子が鳴る。立ち上がったファンの、その頬は見てとれるほど紅潮している。自分でも思ったより冷たい口調だと感じたが、ファンは突き放され、馬鹿にされたと思ったのだろう。その表情を見ると、続けようと思う言葉が喉で滞るが、シンは捨てるように息をついて、続ける。
「それだけじゃあない。獣人になる者はそれを志した時、絶対の理由と自分の命を覚えて立つ。それこそ、命を賭して成る覚悟と共にだ。お前には、それがあるか。ただ、憧れるだけではなれん。……どうだ、あるなら聞くぞ」
ファンの顔には、困惑と悔しさが混ざって映る。深く傷ついた色で全体を染めて、それが外に溢れだす前に、ファンは外へと飛び出していった。扉が乱暴に閉められ、余韻が部屋に残る。茶をすすり、バクは静かに口を開いたが、言葉は微かに怒気を含んでいた。
「止まらせるためといえ、こうまで言う必要はなかったでしょうに。それに、貴方は『化生』ではない。――いえ、貴方は人間でもない」
とん、と湯飲みを置き、バクはその目をまっすぐにこちらへ向ける。
「そのように人型に身を寄せ、東王の元を離れてどこへ行こうと言うのです」
そして、机の上に手をつき、恭しく頭を下げる。
「今すぐお戻りください――青龍様」