ほころび
「あのジェンって人は前から人気があったんだ?」
ファンは歩き出しながら尋ねた。日はそろそろ傾きだして、建物の影がのびてきている。残っているのは少ないらしいが、そろそろ急がないといけない気がする。
「ううん、ジェンさんが来たのはふた月くらい前かな。そんなに前じゃなかったはずだけど」
「じゃあ、あの色が流行ってきたのも最近か」
記憶にしっかりと留めながら、頭の中で、ふた月前、と復唱する。
「うん、あの色もジェンさんが持ってきたようなものだし」
「どういうこと?」
「あの色を作る染料もジェンさんが持って来たんだって」
「じゃあ、あの装飾品は町のどこかで作ってるってこと? シャオ! 作ってる場所知ってたら教えてくれない?」
ファンがそう言うと、途端にシャオの表情が曇った。夕方前の雑踏を抜けて、二人は再び、細いわき道に入る。言い躊躇うような間があって、シャオは口を開く。
「場所は知ってるよ。……確かにこの町だけど、でも」
言いよどんだシャオは、突然、逃げるように駆けだした。ファンは驚きながらも、それを追う。細い道は土地勘のあるシャオの方が早い。何回か角を曲がったところで、完全に見失ってしまった。あの色は、今のところ謎の病に繋がる唯一の手がかりだ。シャオが何か知っているなら、なんとかしても聞きたい。逃げるような理由があるなら。
「シャオ!」
大きな声でシャオを呼んでみる。が、やはり返事はなかった。もう一度、辺りを回ってみようか。日が長いとはいえ、暮れ始めてから落ちるのは早い。
もう一度、と思いながらも数巡したとき、建物の向こうから、怒鳴るような声が聞こえた。一方的だったが、微かにそれに返る声は間違いなくシャオの声だった。ファンは急いで、建物の裏手へ出る。人垣の向こうを見ると、少年たちに追いやられる形で、身を小さくしているシャオがいた。殆ど反射的に、ファンはシャオの前に躍り出る。背後からも正面からも、驚きと好奇の視線を感じながら、ファンは真ん中にいる少年を見据えた。
「見たことない奴だな。何だ、その能なしの味方するのか?」
意地の悪い笑みを浮かべて、目の前の少年は言う。シャオの身なりに比べて、少なからず裕福そうに見える。町の中心部のほうの子供だろうか。同じ年くらいに見える。睨み据えた視線を外し、ファンは後ろにいるシャオに声をかけた。
「シャオ、大丈夫?」
シャオは俯きながら、かすれた声で答える。
「か、籠を……」
花籠か。再び回りの少年に視線をやれば、シャオの持っていた花籠を見せびらかすように、こちらに掲げて見せていた。ファンは少年の方へ手を伸ばして、行う。
「返せよ」
「そいつが先にぶつかってきたんだ。お詫びくらいは貰わないとな」
「謝れば充分だろ?」
ファンの言葉に、中央の少年は声をあげて笑う。
「充分なわけねぇじゃん。だって、そいつ外の奴だぜ」
少年は花籠を取り上げて中の布包みを払って覗き込んだ。
「……なんだよ、これ。髪飾りかぁ?」
当てが外れたと言わんばかりに、少年は不機嫌そうな顔をする。
「違ったでしょ? 返して!」
シャオは泣きそうな声で叫んだ。少年は舌打ちし、乱暴に花籠を投げつけてきた。地面に向けて投げられたのを、ファンがぎりぎりの所で籠を掴む。が、包みの解けていた中身が零れて、道に花が散らばる。
「黒羽根の何かでも持ってると思ったのによ。今時花飾りなんて、はやんねぇよ! だっせぇ。そんなのもわかんねぇから、未だに素養がはっきりしねぇんだろ」
シャオは傷ついたような顔をして、きつい目で少年を睨んだ。ファンも少年に一瞥をくれる。だが、もう相手にしている時間がもったいない。ファンは道に散らばった花飾りを拾い集めて、すべて籠に収めて、言う。
「気がすんだろ? 帰れよ。こっちだって急いでるんだ。……行こう、シャオ」
ファンはへたり込んでいるシャオの手を取って立ちあがらせた。そして、少年たちの間を割って、表通りへ足を向ける。待て、という声を無視して、ファンは歩を進める。腹は充分に立っていた。それでも、体の中を巡る二色のふつふつと煮えるような熱さがかえって、頭を冷やしていた。
「すかした顔してんじゃねぇよ! よそ者のくせに!」
周りを囲んでいたひとりが、棒きれを拾い上げて、振りかぶる。同じ年頃の子どもの振るものだ、今まで相手にした者達ほど速くはなかった。ファンは振り返って、苛立ちを込めて思い切りその棒を払った。
悲鳴が聞こえて、ようやくファンは気付いた。気付いたときには解けていたが、瞬間的にもどうやら龍化していたらしい。払ったはずの棒が朽木のようにばらばらと砕けて散らかる。思ったよりも頭は冷えていなかったのだ。しまった、と思った瞬間、体の中の青色が奥の方へと引っ込んでいってしまった。
殴ってきた少年は腰が抜けたのか、思い切り尻もちをついていた。辺りはしんと静まりかえり、息を飲む音が聞こえるようだった。少年たちの内のまた一人が、ファンの方を見てはっと顔色を変えて、首領格の少年に耳打ちする。ぎりり、と歯噛みをして見せて、少年は怒鳴った。
「朱雀羽を貰ってるくせに! なんで! なんで壁の外の奴になんか肩入れしてんだ!」
シャオは隣で切なそうな顔をしていた。あの金持ちの家での会話を思い出して、ファンはなんとなく、だが、おおよそを察した。ファンは少年に向かって小さく答える。
「俺はよそ者だから。壁とかそんなもの知らない」
そして、シャオを先に歩かせて、ファンは振り返った。
「……驚かせた、ごめん」
少年たちから返る声はなかった。