死病
地図を頼りに街へと出た二人は、王宮に近い大きな家の門を叩いた。しばらくして、門は僅かに開き、中から男がこちらを覗き込んできた。こちらを見て、男は眉を寄せた。
「何か御用でしょうか」
「青の国の獣人だが、こちらに重病人がいると聞いて来た。容体を窺わせてほしい」
シンはそう言ったが、扉はそれ以上開かず、門の向こうの男は後ろに控えているファンにもじろりと目をやる。
「本当に医者か?」
男はそう、短く尋ねた。ふぅ、と小さくため息をつき、シンは懐に収めていた紙を取りだす。
「南王から御印を戴いている。治療の術を心得ているが、医師でなければいけないか」
男は南王印をじっと見つめ、それが本物であることを認めると、扉を大きく開いた。
「大変失礼いたしました。治療と言って金ばかりたかる者が絶えぬものですから」
男は深々と頭を下げ、二人は中へ通された。外の敷石は磨かれ、辿りついた扉には金の引き手がついていた。客間で椅子をすすめられ、男は再び一礼する。
「主人に話をしてまいります。しばしお待ちください」
侍女をひとりつかまえると、男は客人にお茶を、と言いつけ、奥の方へと消えていった。侍女もこちらに軽く会釈すると、こちらは厨房の方だろう、別の方へと言ってしまった。
「静かな家ですね。人はいっぱいいるみたいですけど」
黒檀の肘掛がついた椅子に落ち着かない様子で、ファンが辺りを見回して言う。確かに、広い邸内は所々に働く使用人の姿を見かけたが、話声は聞こえてこなかった。仕事の音すらかなり気を使っているようで、どこかで水を使う音だけが、シンの耳に微かに届く程度だ。
「病人がいるためだろう。――どうやら患っているのはこの家の主人らしい」
「それならきっともうたくさん医師を呼んだんでしょうね」
「だろうな。……ああ、そうだ、ファン。俺が龍を使えることは黙っておいてくれ」
はい、と返事をし、ファンは頷いた。
やがて侍女が茶を持ってきたが、それに殆ど手をつけない間に、先ほどの男が戻ってきて、奥に招いた。
「従者の方はこちらでお待ち戴きたいと……」
「すまないが、この少年は従者ではなく私の弟子だ。助手でもある、一緒に入らせてもらう」
「そうでしたか。それならば構いません」
男は表情を崩さずに小さく礼をすると、二人とも奥の部屋へと招き入れた。奥の部屋は一段と豪奢な物ばかりが揃っていたが、帳の下ろされた寝台の周りはひっそりとしていた。帳の向こうで影が動き、薄絹が揺れる。
「東国からわざわざお越しくださるとは、誠にありがたい。しばらく伏していたもので、無礼な身なりであるが許されよ」
帳の一部が持ち上がり、奥からこの家の主人であろう、恰幅のいい男が現れた。先ほどの従者に肩を借りてよろよろと歩き、大椅子に腰かけた。主人は体格こそいいものの、肌は土気色でつやがなく、いたるところに紫色の斑点が浮かんでいた。目は落ちくぼみ衰弱の色だけがそこに浮かんでいる。健康ならば頬にはもっと肉があったのだろうが、今は老犬のように皮膚が垂れ下がっていた。痛むのか、ほぼ紫色に染まった手を額にやり、重たく息をつく。その指には黒緑の石のついた指輪が光る。
「医者ではなく、治癒の術が使える獣人だと聞いたが」
主人はシンの顔をじっと見つめ、そう尋ねた。
「心配ならば」
医者を置いてもらっても、と言いかけたところで、主人自身がそれを遮って言った。
「いや、いいのだ。失礼した。もう、むしろ医者のほうが信じられぬ」
水を、と従者の男に言いつけると、主人は大きく息をついた。シンは都に入ってからの瘴気を、確かにこの男から感じた。